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獅子とアンティーク  作者: 結木さんと
第1章 イタズラクロック
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イタズラクロック 2




 三人揃って通されたのは、古い物であふれ返った『玄野古物堂』の奥。そこだけかろうじてスペースの確保された商談用のテーブルだった。

 とはいえ、基本スペースは二人での対面用なんだろう。

 狭い。いくら半数が小柄な女子とはいえ、ここに四人はあきらかに定員オーバーだ。しかもそのうち一人は巨大なライオン頭である。なんとなくの流れから俺の隣に腰かけていらっしゃるが、圧迫感がハンパない。さらにくるくると周囲を見回してくれるおかげで俺の危険度が跳ね上がっている。

 正直に言おう。……鬱陶しい。

 おもちゃ売り場に来た子供か。「あんたは頭デカイんだからじっとしてろ!」と注意した方がいいのだろうか? しかし仮にも女子に頭デカイは避けるべき?

 ……あと、ちょっとイイ匂いがするんだよな。困ったことに。肩がくっつきそうな至近距離から、たとえるなら、深い森の奥でひっそりと咲く花みたいな……こう、いかにも「女の子」って感じの爽やかな匂いが。

 おかげで健全な男子高校生であるところの俺は、さっきから妙にドキドキしていた。

 その発生源がライオン頭の変人であることを再認識するだけで、妙な性癖でも目覚めてしまったのかと切実な不安に襲われる。


「……それで? オレはいったいなにを鑑定すりゃあいいんだ? 芳倉よしくらのお嬢ちゃん」

「えっ!? な、なんで、あたしの名前……」

「知らずに来たのかよ……」


 立ったままのクロ爺が呆れたように深い溜め息を吐く。


「あのな……お前さんとこの亡くなった祖父さんは、オレの昔馴染みだ。葬儀でも挨拶したはずだが、憶えてないか?」

「ご、ごめんなさい。お葬式の時は、あたし、ボーッとしてて……」


 すっかり消沈した芳倉という名の少女は、先刻までの態度が幻だったように頭を下げた。

 きっとそのお祖父さんと仲が良かったのだろう。

 大事な身内を亡くしたすぐ後とあっては、数多くいる参列者の顔など憶えていなくても仕方ないと思える。


『芳倉さんは、お祖父様を好いておられたのですね』

「誰がっ……あんのへそ曲がりクソじじいっ! もし蘇ったらブン殴ってやるんだから!」


 ヒュッと少女の拳が宙を切り、ライオンさんはビクッと肩を震わせる。

 ……なんなの?

 俺は全身の力が抜けるのを感じて項垂れた。


「あー……まあ、あいつは昔っから変わりモンだったからなあ」

「実の孫に殴られるほど恨まれる変わり者ってなんだよ……」

『お、驚きました……芳倉さんは武道を修められているのでしょうか?』


 遠い目をする俺たちを余所に、胸を押さえたライオンさんがズレたつぶやきをもらす。

 どうでもいいけど、その楚々とした口調と仕草はなんとかならないものだろうか?

 見ためとのギャップが酷すぎて、そろそろ俺の精神が耐えきれそうにないんだが。


「……変わり者なんてレベルじゃないです! おじいちゃんはいつもヘンテコなものを作って、あたしたち家族に迷惑ばっかりかけてきたんです! おうちに遊びに来てくれた友達の前で、知らない間に魔改造されていた犬小屋の屋根が頭のおかしな秘密基地みたいに真っ二つに割れて、中からドローンを発射されたあたしの気持ちがわかりますか!? 次の日からあたしのあだ名は『総司令官』です! 変わり果てた寝床を見つめるコジローの悲しい眼差しがいまも頭に焼きついて離れません!」


 お、おう…………なんというか、「めっちゃエキセントリックなお祖父さんですね」という感想以外、なにも浮かばない。

 わっ、と顔を覆った芳倉さんを、向かいのライオンさんがオロオロしつつ宥めている。


「ハッ。犬小屋割るぐらい可愛いモンだ。あいつとオレは若い頃に小さな時計メーカーの開発部門の同僚だったが、そこの部長の息子の祝儀の席であいつ、花嫁のカツラ割ったからな。あんな見事にパックリ割れた文金高島田、オレはあれ以来一度も目にしたことがねえ」

「そ、そんな昔から、他人様にご迷惑を…………信じられない……っ!」

「追い打ちかけてんじゃねーよアホジジイ!」

「いやー、あのカラクリはすごかった。中から金メッキの鶴が出てきたんだが、なにがすげえって装着した人間に気づかせねえ軽量化だわな。あれには技術屋のオレらだけじゃなく、親族も全員たまげてた」


 違う、それは技術力の高さに驚いたんじゃない。あまりにもあんまりな事態に、みんな思考停止しただけだ。


『あの、あの…………ゆ、ユニークな、お祖父様ですね?』


 そしてライオンさんのフォローはやっぱりどこかズレている。

 俺は話をややこしくする老人の足を踏んで黙らせつつ、カオスと化す現状から慌てて脱却を図った。


「なあ芳倉さん……それで、見せたいものってなんだ?」

「そ、そうです。あんな前代未聞のミラクル馬鹿野郎なおじいちゃんのことなんて、どうでもいいんです。あたしには知るべきことがあるんです」


 仮にも血を分けた祖父に対して随分な言い草だ。彼女の恨みの根は深い。

 涙目で吐き捨てた芳倉さんは、さっきからずっと膝に抱えていた大きな包みをそっと机の上に置いた。


「……これはおじいちゃんが、おばあちゃんの七十回目の誕生日にプレゼントしたものです」


 外野で聞く分には微笑ましい話だが、芳倉さんの顔色は晴れない。

 またなにか珍妙なエピソードでもあるのだろうか?


「本当なら、おばあちゃんは結婚指輪を贈られるはずでした……そうです、あいつは結婚して何十年も経つのに、まだ指輪すら贈っていなかったんです。……ほんと最低」

「そりゃあ仕方ねえだろ。夫婦で指輪を交換するような習慣ができたのなんざ、ごく最近のことだぞ? オレらが若ぇ頃はまだ一般的な行事じゃなかったんだ。オレだって死んだカミさんに指輪は贈ってねえよ」

「お、女の敵……っ!」


 芳倉さんが鋭くクロ爺を睨みつける。

 どうしてこの爺さんはそう余計なことばかり言うのか。

 うっかり人類の約半数を敵に回した老人は、遠い目で天井を見上げて手を合わせていた。


「おじいちゃんが言いだしたんです。来週の誕生日に結婚指輪を買ってくるって。あたしもちゃんと聞いてました。なのに……………なのに、あのボケじじいは……っ!」


 燃えるような怒気を振り撒いて、芳倉さんが荒々しく包みの結び目を解く。

 出てきたのは古い木製の箱だった。さらにその蓋が開くと、なにやら豪奢な『門』のような形の置き物が見えた。怒りながらも手つきは慎重な芳倉さんがそれを取り出して、ようやく彼女の祖父の贈り物の全貌が判明する。





 出てきたそれは――“振り子の置き時計”だった。


 汚れて黄ばみの目立つ白の塗装にゴールドの縁取り。天井部には西洋の城の飾り屋根のような金の装飾が施されていて、その中央にはさらに小さな懐中時計が設置されている。

 かすれて見えにくいが、胴体の側面に黒く描かれているあれはネズミと馬のモチーフか。全体的に劣化して色褪せているけれど、なんとなく高価そうだ。

 どういう意味があるのか大小二つの時計が組み合わさる奇妙な置き物を眺めて、ふいに、ライオンさんがぽつりとつぶやいた。


『これは…………《同調時計サンパティーク》……?』


 聞き慣れない単語を頭の中で反芻する。さんぱ…………なんだ?

 思わず隣を見ると、視線に気づいたのかライオンさんもこちらを向いた。


『――十八世紀の時計職人、アブラアム=ルイ・ブレゲが発明した《パンデュール・サンパティーク》……日中に使用した懐中時計をこの台座に戻せば、ずれた時間の誤差を自動で修正するという複雑機構を組み込んだ機械式時計です』

「へ、へえ……」


 ……多少の覚えがあるとは言ってたけど、本当に詳しいな。見ただけでわかるとは。

 鑑定の手伝いを名乗り出た自信は伊達じゃないというところか。

 予想よりずっと精細だった知識に内心で舌を巻きつつ、とりあえず時計に視線を戻す。

 本体らしき置き時計は十二時のすこし手前、台座に据えられた懐中時計は、なんとも中途半端な九時十五分を差していた。


「…………時間、ずれてるが」

『ぜ、ぜんまいが切れたのでは』


 ふーん、と生返事をして、おそらくゼンマイを巻く用と思しき鍵を手に取る。すると、芳倉さんが「動きませんよ」と向かいから声をかけてきた。


「壊れてるんです、それ。巻けません」

「えー……」

『な、なぜ私を見るんです?』

「いや、せっかくだし、そのすごい機能とやらを見たかったな、と」

『私のせいではありませんよね……? そ、それに、ずっとオーバーホールをしていない時計なら、壊れていても仕方ないと思います!』


 しどろもどろなライオンさんが必死に弁明する。

 ……まあ、それもそうか。

 どうも彼女の容姿が怪しすぎるせいか、いたずらに疑ってしまうな。

 俺が納得して頷くと、ライオンさんは小さな咳払いをして、説明を再開した。


『あともう一つ……このデザインは、彼の死後にオルレアン公から特注を受けて製作されたサンパティークによく似ています。なので、仮にブレゲ社のオリジナルだとしても、十九世紀初頭のお弟子さんの作品ということになるでしょう』


 いや、それでも充分にすごいだろう。

 十八世紀から十九世紀のはじめといえば、たしか欧州ではフランス革命が勃発した時期だったか。現代からだいたい二百年ぐらい前の話だ。

 とりたてて世界史の成績が良いわけでもない俺は、まずそんな昔から複雑な機能を持つ時計があったことに多少の興味を持った。

 この骨董品をクロ爺は知っているのだろうか? 目を向けて訊ねると、なぜか複雑そうな顔で答えを返された。


「……時計を扱う人間でブレゲを知らねえなんざ、モグリもいいトコだ。いまでも高級時計に採用されてる機能の半分以上はその天才技師の発明がベースだぜ? なにしろ、現存する世界最古の腕時計をこしらえたのがルイ・ブレゲだからな」


 へー、そうなのか。高級な時計なんて俺はロレックスの名前ぐらいしか知らないが、とにかくそのブレゲ某がすごい職人なのだということはなんとなくわかった。


「あいつも同じようなことを言ってました……でも、だからなんだって言うんですか?」


 うつむいた芳倉さんが声をこぼす。

 それは――すこし震えた、怨嗟の声。


「……おばあちゃんは、指輪をとても楽しみにしていました。“あの人がプレゼントをくれるなんてはじめてだわ”って、うれしそうに笑っていたんです…………それが、どうしてこんな、動きもしない汚れた時計なんですか? こんなの、いくら貴重なものでもただのガラクタじゃないですか。男の人はどうか知らないけど、女にとって結婚指輪は特別なんです。お金に換えられる物じゃないんです。それを……」

「若すぎるお嬢ちゃんに一つ教えてやろう。この世に金で解決できないことなんてなぎぃやああああああああっ!? 足がーっ! 足がーっ!?」


 余計なことしか言わない老人のすねを蹴って暴言を阻止する。

 孫ぐらいの歳の女の子に嫌われるのはつらかろうという思いで放つ、敬老キックだ。

 悶絶するクロ爺を見てライオンさんが気遣わしげに狼狽えているが、あんなものは放っておけばいい。どうせ数分で回復してくる。


「……お願いします。せめてこの時計が本物かどうか、鑑定してください。……パパは偽物のガラクタだって言うんです。けど、そんなの、おばあちゃんが可哀そう……」

「もしそれが本物だったとして、芳倉さんはどうするつもりなんだ?」


 いたたまれなくなって声をかけた。

 すると涙目の彼女は、小さなくちびるをいじらしくキュッと結ぶ。


「…………売り払って、指輪を買い直してきます」

「あのなあ、お嬢ちゃん……サンパティークのオリジナルアンティークがいくらするか知ってんのか? 何年か前のオークションで五億だぞ、五億。どんな指輪を買うつもりなんだ。そもそもただの学生なんぞ、どこの店も相手にしてくれねえだろうよ」

「う、売れるもん! 買えるもん!? 賢者の石で作られた指輪とか買うの! おばあちゃんの名前も彫ってもらうんだから!」


 ……彼女は祖母を不老不死にでもするつもりだろうか?

 予想より早く復活を遂げた年寄りとファンタジックな中学生の大人げない会話にげんなりしていると、隣で背筋を正す気配がした。


『……芳倉さんは、お祖父様が大好きだったのですね』


 まるで時間を巻き戻すかのように、ライオンさんが同じ内容の言葉を繰り返した。

 それはさすがに空気読まなさすぎじゃないか……? と危ぶんだものの、彼女はまっすぐに前を向いたまま発言を取り下げる様子もない。


「あ、あの……話、聞いてました? あたし、おじいちゃんのことは大っキライだって……」

『でも、昔はお好きだったのではないでしょうか。そんな記憶はありませんか?』


 どうしたのか強引なライオンさんの問いかけに、芳倉さんが「うぐ……」と言葉を詰まらせる。


「……そ、そりゃあ……小さい頃は、おもしろいオモチャとか、いっぱい作ってくれて…………その……いまほどじゃ、なかったような気も……する、かも」

『きっと、裏切られたように感じてしまったのでしょうね。期待さえしない人を、嫌いにはなれませんから』


 声のトーンがすこし下がった……ような気がする。

 俺の聞き違いだろうか。

 獣のかぶりものに隠された横顔からは、どんな感情も窺い知ることはできなかった。


『……わかりました。一度、中を見てみましょう』

「なあ、ライオンの嬢ちゃん。そこまでしなくても」

『いいえ。ひょっとするとポケットウォッチのテンプ受けにサインがあるかもしれません』


 頑として譲らないライオンさんの態度に、クロ爺は渋々といった様子で引き下がる。小声で聞き取りづらかったが、テンプウケ云々とは専門用語か。

 そして不安そうな顔の女子中学生に向けて、ライオンさんは礼儀正しく頭を下げた。



『それでは――――遥か遠き昔日せきじつのカケラを、拝見いたします』



          ◇



 おもむろにライオンさんが制服のポケットから取り出したのは、白い手袋と小さな工具セットだった。

 ――女子高生のポケットから、工具セット。

 この震えるほどの違和感、おわかりいただけるだろうか?

 たとえばあの小箱がソーイングセットだというなら、まだかろうじて納得できる。昨今の高校生が常備するには珍しいアイテムだが、それでも蓋を開けた途端に使い込まれた細いドライバーやピンセットが顔を出す光景よりかはまだ衝撃も浅い。

 さっきのマニアックな時計の知識といい、このライオンさん、いったい何者なのか。

 ありえない状況の連続に忘れていたが、そういえば俺たちは自己紹介もまだだった。

 とはいえ、いまさら『あ、あの、よかったら自己紹介しませんか……?』などと全員人見知りで気まずい合コンの冒頭みたいなことを言いだせる空気でもなく、俺はただ呆然と、手際よく時計を調べるライオンヘッドの女子高生(推定)を眺めた。


 すでに調べ終わって布の上に置かれた懐中時計の背面には、どこかのお姫様の横顔らしきシルエットが彫刻されている。

 これはもしかしたら持ち主のヒントになるんじゃないかと思ったものの、ライオンさんは見向きもしなかった。知ってはいたが、どうやら俺に骨董品を見る目はまったくないようだ。自分がこの場にいる意味をまったく見出せない。

 ……もう帰ってもいいだろうか。芳倉さんからチラチラと送られる「この人、なんでここにいるんだろう……?」的な視線もそろそろ痛くなってきたことだし。

 居心地の悪い場所から脱出する言い訳を考えていると、短く息を吐く音が聴こえた。

 サンパティークとやらを鑑定していたライオンさんだった。


「どうした?」

『あ……いえ』


 時計を見下ろす少女の返事は、なんとも歯切れが悪い。

 まさか壊したのか……? と慄いたが、どうやらそういうことではないようだ。


『……芳倉さん』


 やがて、ゆっくりと顔を上げた彼女は、すこし震えた声で告げた。


『申し訳ありません…………これは、偽物です』


 ためらいながら――それでもきっぱりと、その宣告は下された。

 唖然とする俺の視界は、ソファに力なく沈む小柄な身体を捉えた。


「そん、な……」

「芳倉の嬢ちゃんには悪いがな、こりゃあ相当な粗悪品だ。職人が焼き上げで色をつけるブレゲ針はただのメッキ、サインの模倣もまるでなってねえ。なにより重要な中身の機械が安物のハリボテときた。……こんなオリジナルどころかエタブリスマン・ミクスツにもなれねえ玩具なんぞ、いくらゼンマイ巻いても動きやしないだろうよ」


 クロ爺が容赦のない評価を口にする。珍しく苛立っているようだが、それはこのデキの悪い模造品に対する怒りか、はたまたそんな粗悪品に騙された旧友に対する落胆か……。


「その、エブリ、デイ……? ってのは、なんだ?」


 よくわからない単語について訊ねると、ライオンさんが訂正しつつ答えてくれた。


『“エタブリスマン・ミクスツ”……出来のいい贋作に、ブレゲがつけた呼称です。王侯貴族に顧客を持つブレゲは贋作も多く、それらを嫌っていたことで有名ですが、優れた機構を組み込んだものだけには特別な評価を与えたそうです。現代においてもその価値は認められていますので、芳倉さんのお祖父様はそこに期待したのではないか、と……』

「そいつはねえな」


 ライオンさんの推測を、しかしクロ爺はきっぱりと切り捨てた。


「ヤツは優れた技術者だったが、鑑定の眼はさっぱりだった。そのくせ古い時計に目がねえもんだから、よくふざけた偽物を掴まされてたんだ。……ただまあ、今回はさすがに気づいてたんじゃねえかと思うが」

「……? どういうことだ」

「これだよ」


 返事をしつつ手渡されたのは、日に焼けて乾燥しきった紙片だった。

 記された内容は……これ、フランス語か? 英語ですらあやしかった俺は当然ながらまったく読めない。

 ただ、その上からでかでかと――『靴を忘れた とりに戻る』という、ミミズがのたうち回ったような二行の覚え書きがあるのはよくわかったが。


「……いくらなんでも“保証書”にラクガキはねえだろ。すくなくともそれを書いた時には、やつも不出来な模造品だってことを知ってたんだろうさ」

「これ、芳倉さんのお祖父さんの字で間違いないのか?」

「オレがあいつの筆跡を見間違うかよ。図面の清書を何回やらされたと思ってんだ」


 とか言いつつ、手伝ってあげてたのか。

 口こそ悪いが面倒見はいいという典型的ツンデレ爺を生温かく見ていると、額にグーパンを放り込まれた。重すぎるだろ、罰が。


「ひどい……あんまりです、こんなの」


 ぽつり、と小さな声がこぼれた。

 声の位置が低い。彼女はうつむいていた。同年代でも小柄なのだろう肩を震わせて、懸命になにかをこらえているようにも見えた。


『芳倉さん……』

「あー……許してやれとは言わんが、ちっと視野を広げてみちゃどうだ? 絹さん……あいつのカミさんは、時計を贈られて、なにか言ってなかったか?」

「……“仕方ないわね”って……いつもみたいに、笑ってました」

「そうだろうよ。夫婦ってのはそんなもんだ。この歳まで連れ添ってりゃ相手のことなんざだいたいわかる。あいつはガキみてえなふざけた野郎だったが、決して誰かを不幸にして喜ぶような人間のクズじゃあなかったぜ。大方、珍しい時計でも贈ってカミさんを驚かせたかったんだろうさ。……絹さんにしても、そこんトコは理解してるはずだ。じゃなけりゃあ偏屈な職人なんぞと長年暮らし続けられるかよ」


 年長者からの説得に、中学生は「うぐ……」と喉を詰まらせる。

 納得はできないが、理解してしまった、というところか。

 俺やライオンさんも同じ、生まれて十年そこらの若輩では、長い道のりを辿ってきた先人の心情など推し量ることはできない。

 これで騒動も決着か、と息を吐いた時、隣で偽サンパティークを元の姿に戻していたライオンさんが首を傾げた。


「あぶな……ちょっと、自分の攻撃有効範囲をきっちり把握してくれ」

『……不思議です』


 俺の苦言を無視して彼女はつぶやく。


『内部の機械はもう壊れているはずなのに……どうしてでしょう? 私は、このアンティークがまだ生きているように思えるのです』

「それはいいけど、さすがに無視は酷いと思うんだ…………うん?」


 生きて、る……?

 なにげないその言葉が、頭の中で反響する。

 俺は再び手の中の保証書を眺めた。次いで動かない偽サンパティークと、裏返しの懐中時計を注意深く観察する。

 これは……


「なんだ、どうした暁彦」

「……なあクロ爺。芳倉さん家の祖父ちゃんが亡くなったのって、いつ頃だ?」

「ああ? ……今年の二月だが、それがどうした」

「じゃあ奥さんの誕生日は?」

「知るわけねえだろ。よその嫁さんの誕生日なんざ憶えてられるか」


 クロ爺が鼻を鳴らす。随分な言いぐさに思うところもあるが、まあ、概ねその通りだ。

 無愛想な老人の代わりに答えてくれたのは、うなだれていた芳倉さんだった。


「……二月四日です。家族みんなでおばあちゃんの誕生日のお祝いをして、そのすぐあとにおじいちゃんが倒れて……病院に行ったんですけど、そのまま……」

「そ、そうか…………えっと、ごめん」

「いいえ。もう落ち着いてますから」


 苦笑を返すあどけない顔に、すくなからず狼狽する。

 しまった。考えに夢中になりすぎて、配慮が足りてなかった。「アホか」とでも言いたげなクロ爺の視線にもまるで反論できない。


 けど、そのおかげで判明したことがある。


 ――――頭の中でカチリと音がした。

 古く錆びついた歯車が、一つずつ、けれどたしかに動きはじめていく。


「ひょっとして、間に合わなかったのか……」


 これまでに得た情報を整理していると、隣のライオンさんがぬっと顔を寄せてきた。


『……なにかわかったのですか?』


 ち、近い……。

 この圧迫感。せめて生身なら……いや、どっちにしろ緊張するか。素顔はわからんが。しかも珍妙なかぶりもので白昼堂々と出歩く変人さんだが。

 ゴホン、と咳払いを一つ。

 さりげなく身体をかわしつつ、俺は告げた。


「ああ、まあ――――たぶん、こうなんじゃないかって答えなら、見つけたよ」






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