4.三十過ぎてから勇者を名乗る
一話の「帽子」→「ヘルメット」に直しました。
常駐警備員と混同してました。確認不足ですみません。
「というわけで、これからよろしく。ソーヤ」
「......」
こいつ何で俺の名前知ってるんだ?
自己紹介なんてした覚えはないぞ。神だからか?
俺が訝しんで黙っていると、何を勘違いしたのか、ベルが慌てて取り繕った。
「ああ、安心して。全部が終わったら、僕が責任を持って地球に返すから」
「当たり前だ!」
屈んで木の棒を拾い上げる。
トレッキーのあんちきしょーと手を組むのは癪だが、利害関係が一致した以上、ここはひとまず一時停戦だ。
その場で棒を素振りしてみる。
その瞬間、巨大な突風が発生して、洞窟の壁面に爪痕のような亀裂を残したーーなんてことはなく、ふぉんふぉんと空を切るマヌケな音がした。
「おい、これただの棒じゃねえか」
「そりゃね。普通のヒノキの棒だもん」
「武器もないんじゃ戦えねえよ。神様だろ? 何かねえの?」
「この棒を頭上に掲げて呪文を唱えれば、魔法が使えるよ。僕お手製のMPも使わない特別な奴」
魔法剣って奴か? ようやくファンタジーしてきたじゃねえか。しかも神仕様!
自分が異世界に来たのだと実感し、年甲斐もなくワクワクしてくる。
「呪文って何て言えば良いんだ?」
「『我は勇者なり! 刃よ、悪を切り裂き闇を照らせ! 絶対聖剣<アブソリュートホーリーソード>!』って叫ぶと、棒が聖なる光に包まれるんだ。ほら、やってみよ。1、2の3ハイ!」
「......」
「あれ、どうしたの? ほら、せーのハイ!」
「我は......なり......よ、......らせ」
「ちょっと、何言ってるか聞こえないよ。もっと気合い入れて、全身全霊で叫ばないと。この魔法はハイテンションじゃないと発動しないんだから」
「......は、恥ずかしくて言えるかぁーっ! こちとらもう三十だぞ! オッサンに片足突っ込んだ男が勇者とか、痛々し過ぎて目も当てられねえよ!」
10年前ならいざ知らず、中ニを卒業した俺にはもはや厳しすぎる。
ポケモンの限定配信モンスターもらうために、映画館でチビッ子の行列に加わるだけでもしんどいのだ。勇者なんて名乗ろう日には、間違いなくメンタルが死ぬ。
「レベル1に選択肢なんてないよ。いい加減に現実を見なよ」
「現実? 何それ? 美味しいの?」
「うわあ、ダメな大人の典型だ!」
「装備なんて何でもいいだろ。魔法の棒にこだわる必要なんてねえんだ」
「それじゃあ僕の存在価値って何?」
「生意気な喋る棒」
「ひどいっ!?」
「とりあえず、人里を目指して装備を整えるぞ」
俺はそう告げると、ぶつぶつ不満を漏らす棒<ベル>をガリガリ引きずりながら、問答無用で歩き出した。
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それから数十分ーー
「ここどこ?」
俺たちは鍾乳洞の細道で迷子になっていた。
そもそも地図もコンパスもなしに、見知らぬ洞窟を抜けようというのが、どだい無理な話だったのだ。真っ暗ではないとはいえ、明かりも十分とは言い難い。見落とした横穴だって一つや二つじゃきかない筈だ。
「あーあ、迷っちゃった」
ベルが分かりきったことを嫌味ったらしく指摘してくる。
「じゃあ、お前は分かるのかよ?」
「当然でしょ。神なんだから」
「ならさっさと教えろよ!」
「教えてあげるのは構わないけど......さっき失礼なこと言われて、傷ついちゃったからなー」
「さっきは調子に乗ってました! マジすいませんでした!」
「よろしい。とりあえずこのまま道なりに真っ直ぐ行って、一つ目の角を左ね」
「了解ッス。ベル様!」
俺はそう告げると、ふんふん鼻唄を歌う棒<ベル>をうやうやしく掲げながら、ゆっくり慎重に歩き出した。
それから数十分ーー
「行き止まりじゃねえか!」
俺たちは鍾乳洞の袋小路で迷子になっていた。
ベルの道案内に従い、鍾乳石の林をかき分け、コウモリの大群に追われ、冷たい地底湖に落ちかけた挙げ句の果てがこれだった。納得が行かない。
「あーあ、迷っちゃった」
俺は分かりきったことを嫌味ったらしく指摘する。
「い、いや、きっとさっきの道を右だったんだよ。うん、そうだ思い出した」
「真っ直ぐ<素直>じゃねえ棒なんか物干し竿にも使えねえよ。......さっきの地底湖に捨てっちまうか?」
「さっきは見栄張ってました! ほんとすいませんでした!」
「よろしい。つーかお前、自分の世界だろ? 何で道も知らねえんだよ」
「ソーヤだって、アパートのフローリングの木目まで覚えてるわけじゃないでしょ? それと同じ」
些末事過ぎて認識すらしてなかったってことか。
徒労感で膝から力が抜けそうになる。時間を無駄にした。
「とりあえず、さっきの分かれ道まで戻るぞ」
そういって俺が来た道を振り返ると、
グルルルル......
袋小路の入口に灰色の獣が立っていた。
見た目は面長のドーベルマンといったところだろうか。ほっそりとしながらも筋肉質なシルエットで、全身から獰猛な気配を滲ませている。そのうえ体格はレトリバーよりも二回りほど大きく、ライオンのような威容だった。
そいつが俺の人差し指ほどもある犬歯を剥き出して、こちらを威嚇している。
「ひっ......」
始めて向けられる本物の殺意にーーいや食欲に、俺は思わず後ずさった。
次の瞬間、まるでそれを合図に待っていたかのように、獣が飛び掛かってきた。
グガァッ!
「うわあああっ!?」
俺は裏返った悲鳴を上げながら、メチャクチャに誘導棒を振るった。ピカピカと赤い軌跡が宙に浮かぶ。しかし獣が煩わしそうに前足を一振りすると、誘導棒は根本からへし折れてしまった。そのまま前足で力任せに押し倒される。
「誰かっ! 誰か助けてっ!」
「何やってんのさ! 助けなんて来ないよ、ちゃんと戦わないと殺されちゃうよ!」
ベルの叱咤が飛ぶが、俺はすっかりパニクっていた。
制服は獣の爪でボロボロに裂かれ、その下の肌まで撫で切りにされる。全身が火傷を負ったように、痛みと熱を訴えた。底に鉄板が入ってるはずの安全靴は、獣の強靱な顎にくわえられて、ありえない形に歪みはじめている。
ブチブチブチッ
そして遂に頼みの綱の安全靴も引きちぎられ、引っぺがされた。
獣が悠然と俺の身体にのしかかってくる。たったそれだけで、起き上がることも出来なくなってしまった。
俺は首筋に噛み付こうとしてくる獣の顎に、ヒノキの棒を差し入れ、最後の悪あがきを試みる。
「来るな来るな来るなーっ!」
迫り来る死を拒絶するように叫んだ。
しかし黄ばんだ獣の鋭い牙は、有無を言わせずヒノキの棒に食い込んでいく。
もうダメだと思ったその時、ベルの助言が耳に届いた。
「ソーヤ! 魔法を使うんだ!」
「!」
俺は涎と鼻水で顔をグチャグチャにしながら、全身全霊で魂の絶叫を上げた。
「うわあああー! 『我は勇者なりぃ! 刃よ、悪を切り裂き闇を照らせぇええええ! 絶対聖剣っ!!』」
呪文を唱えた瞬間、ヒノキの棒が白い輝きを放ちはじめ、ナイフでバターを切るように獣の顎を上下に切断した。