例えば、知らないうちに、訳の分からない法案が通っていたりして
私はその日の帰り道、何かしら違和感を覚えた。どうしてなのかとしばらく考え、いつも決まって会う初老の男性に今日は会わなかった事に思い至る。
私が帰る時刻は毎日大体同じなのだが、その時刻に帰ると初老の男性が犬を散歩しているのにちょうど鉢合わせするのだ。
その男性は、勤務時間は短いがまだ働いており、それで飼っている犬の散歩が、早朝と夜になってしまうのだ。私は大変そうだと思ったのだが、そう言うと彼は「なに、ずっと家の中で寂しい思いをさせていて、可哀想ですし」などと返して来た。優しい男なのだ。私は彼に好印象を持っている。
犬好きの私は、犬を触らせてもらうついでに彼と色々と話し、意見を交わす事も度々あった。彼は私と意見が合い、よく現政権批判などもしている。経済政策など、少しばかり強引すぎるのではないかとか。初老ではあるが、その男性は頼もしくも昨今のパソコンなどの情報機器の類を問題なく使いこなしているらしく、情報にも敏感だ。昨日などは、彼はこんな事を言っていた。
「昨今は、インターネットで悪者を成敗するようなつもりで、犯罪者の情報を公開しているような輩がいるが、私はあれは問題だと思うですよ」
彼が言うには、近代刑罰の基本は“更生”で、犯罪者の情報公開はそれを妨げかねないというのだ。刑務所から出た人間が、社会復帰し難くなれば、また犯罪を犯してしまうのではないかと。
それを聞いて私は“なるほど”と納得をした。
私なども「犯罪者に同情は無用」と言ってしまうタイプだから、その意見には思うところがあったのだ。反省すべきかもしれない。
この国では冤罪であると分かっても、被疑者への差別が消えないという理不尽な事があるらしい。そういった点からも、犯罪者の情報をいたずらにさらすのは良くないのかもしれない、とも思う。
家に帰って夕食を取っていると、妻が私にこんな事を言って来た。
「今日、近所で警察に捕まった人がいたみたいよ。わたし、驚いちゃったのだけど、なんでもね……」
それを聞いて私は慌てて妻を止めた。もちろん、昨日に聞いたあの初老の男の話が頭にあったからだ。犯罪者とはいえ、情報の公開には慎重になるべき。私がそう言うと、妻は「あらあら、立派だこと」などと嫌味を言って来た。
少なくとも面白半分に語る話ではないだろう。私はそう妻を注意をしようかと思ったが、こんな事で喧嘩になってもと、それを思い止まった。
夕食を取り終え自室に行くと、私はパソコンの電源を入れて、インターネットに繋げた。私は自宅ではあまりインターネットを使わない。しかし、今日は別だった。何故なら、今日職場で少しばかりショックを受けた事があったからだ。
国民総背番号制。
国民に特定の固定番号を振り、より管理し易くしようとする制度で、マイナンバー制度とも呼ばれる。この制度の2016年1月からの導入が既に決まっている事を、会社の会議の場で私は初めて知った。この番号を我が社で扱う可能性について、軽く議論になったのだが。
この制度には様々なメリットやデメリットが言われている。それで、注意しようと思っていただけに、導入を知らなかった事が私にはショックだったのだ。いったい、いつの間に決まったのだろう?
正直、もっとテレビや新聞などで取り上げても良かったのではないかと思った。だからインターネットで、世間一般の反応を調べようと思ったのだ。
この制度を導入すれば、行政はより効率化するらしい。苦しい財政の現状もあるし、少しでも税金の節約になるというのならあまり反対する気はないのだが、それでもやはり充分に国民に知らされていない点には不満がある… いや、不安があると言った方がより正確だろうか。
しばらく探すと、案の定、陰謀論の類が出て来た。
この制度は預金封鎖によって、国民から資産を取り上げる前準備なのではないか云々、国民を監視し易くする為ではないか云々。
不安があると言っても、流石にこういった意見を真に受けはしない。私はそれを笑った。ところが、そこでふと人権擁護法案の事を思い出したのだった。
あれはどう考えても、とても危険な法案だった。しかも、ネットでは熱い反対運動が起こっていたにも拘らず、マスコミの多くはほとんど取り上げなかった。つまり、情報統制されていたのだ。
ならば、今後、それと似たような事が起こらないと誰に言い切れるのだろう?
そこで私はこんな想像をしてしまった。
例えば、知らないうちに、訳の分からない法案が通っていたりして、それで知らないうちにその法に抵触し、訳も分からず突然警察に逮捕されるなんて事が……
もちろん、それは現政権が、邪魔な人間を排除する為に行うのだ。だから、ネット上などで現政権批判をしている人間が狙われる可能性だって充分にある。
そこで私はあの初老の男を思い出した。彼は現政権をよく批判しているのだ。ネット上でも同じ様に批判しているのかもしれない。今日、彼は犬の散歩をしていなかった。そして今日、誰かが警察に捕まったと妻はそう言っていた。
まさか……
それから私は居間に行くと、テレビを観ている妻にこう訊いてみた。
「それで、今日捕まった人って誰なんだ?」
すると、妻はおかしそうに笑ってからこう言った。
「あら、やっぱり気になるんじゃない。捕まったのは、直ぐそこに住んでいるタコタさんよ。電車で痴漢容疑だって。魔が差しちゃったのかしらね?」
私はそれを聞くと「ああ、そう……」とそう応えた。安堵する。どうやら、私の心配し過ぎだったらしい。
次の日の朝、私は例の初老の男に会った。犬を連れている。「昨日はどうしたのか?」と尋ねると、風邪気味だったので、犬の散歩は早い時間に孫娘にしてもらったと答えた。それから私は彼にこう言ってみた。
「犯罪者の人権を気にかける事も重要ですが、ただ、権力の監視という意味で、ある程度は誰がどんな理由で警察に捕まったのか、一般の人が知る事も重要だと思うのですよ。権力者は邪魔な人間を排除したがるものですから」
それを聞くと彼は「なるほど、そんな意見もありますか」と感心したように言った。
「日本は比較的安定していますが、それでもいつ権力が暴走するか分からないですからな」
私はそれに大きく頷いた。
もちろん、これは現政権に限った話ではない。歴史を観れば、いつの時代のどんな社会でもその心配があるのは自明なのだから。
参考文献:見せかけの正義の正体 著者:辛坊治郎 朝日新聞社
因みに、しれっと増税していたりする事は起こっています。空家の固定資産税ですが……
http://matome.naver.jp/odai/2142505376895993301