さんじゅうきゅう 『からす』 ~シャルド~
「きみはあの方の敵?それとも…?」
そう聞かれた時、頭が真っ白になって、すぐには答えられませんでした。
「俺は……」
それだけを口にして、何も言えなくなってしまった。
敵かどうかと聞かれると、敵ではないと思う。だけど、味方なのかと言われると、それも違う気がします。今まで、僕は流されるままにこんなところまで来てしまったけれど、本来なら、僕はフィアレイン様に許されないような行動ばかりしています。
大失敗した食事も、名前のことも、奥様から聞かされたとは言え旦那様の子どもではないとまで言ってしまいました。
自分でも言い過ぎたと思います。
それでも、フィアレイン様は僕を責めることはありませんでした。確かに、母親のことを言った時は、少し怒らせてしまいましたが、それでも名前のことだって何も言いませんでした。
本当は怒ったっておかしくないのに…。
「敵ではないと仮定して言うけれど、あの方に伝えてほしいことがあるわ」
え?と顔をあげると、彼女は真剣な顔をしていました。さっきまでの変態の顔でも、フィアレイン様に見せていた、笑みでもありません。思わず、どきりと心臓が鳴ります。
「あの方の命を狙う組織があるの。…気を付けて。…組織の名前は『からす』。近所のお使いから暗殺まで請け負う何でも屋のようなものよ」
お使いから、暗殺まで…?
と言うか、命を狙う?!
『覚えておけ、シャルド。この家は、お前が思うよりも貴族の中の貴族だよ』
さっと血の気が引きます。なぜ、僕は、今、あの言葉を思い出してしまったのでしょう?
貴族の中の貴族?
その意味を…考えなかったわけじゃなかった。でも、もし…。
「まさか…。あの家に…?」
僕の質問に彼女は少し眼を細めただけで、何も答えませんでした。
彼女はそのままくるりと僕に背中を向けました。もっと話を聞きたくて、彼女の肩に手を伸ばした時でした。
「きゃ!」
彼女の髪が僕のシャツの袖口ボタンに引っかかって、彼女の髪を引っ張る形に。
「なに?!」
「待てよ。引っかかったんだ。今、取るから」
慌てた彼女が動いた時。
ぶちっ
「っっ!!」
彼女が声にならないような悲鳴を上げたのが聞こえてきました。
ボタンに付いている抜けてしまった髪の毛と真っ青になった彼女を見て、しまったと思いました。確か、女性にとっては、髪の毛は命。そんな髪を抜いてしまっただなんて。謝らなきゃ!
だけど、そう思った瞬間にがりっと右腕に痛みが走ります。思わず、右腕を見ると、シャツが破れていました。まくり上げると、三本のひっかかれたような傷がついていました。血が出ています。と言うか、どうやったらこんな傷をつけられたんだ?どんな爪だよ。武器?上着を着ていなくてよかったです。上着の支給は今はまだ、1着しかないのです。シャツは何枚かありますが、上着には替えがないので。
茫然と彼女を見ると。
「あああぁぁあぁ!!何するの!!なんてことするのよ!!あの方が褒めてくれた髪の毛が!!私が一つにくくっていたら、馬の尻尾みたいでかわいいって褒めてくれたのよ!!しかもしかも!!髪のまで触ってくださったのよ!!ちょっとその時の記憶は残念ながら、あんまりないけど…。でも、でも!優しく髪の毛を撫でてくれたのよ!私、その時、意識がなかったけれど、眼が覚めたら、髪がほどけていたし、誰かに触れられた感触があったもの!!その後、感触を忘れないために、あまりにも髪の毛を洗わなかったら、臭いって言われちゃったけど!!臭いなんて言われたくないから渋々、洗ったけど!!それでも、あの方がまた触れてくれるかもしれないと思って、いつも綺麗にしていたのに!」
………。
え…?
「せっかく綺麗にしていたのに!なに触ってくれてるのよ!!」
「……」
……さっき、敵かどうかを聞かれた時よりも、もっと頭が真っ白になっていました。
やっぱり、この子、変…。
「もういいわよ!君があの方の敵だろうと、なんだろうと!」
びしっと指さされます。
「君は私の敵よ!!!」
その後、彼女はぼっさぼさの髪のまま、床に落ちている本を本棚に片付け始めました。僕は呆れかえったまま、床を磨くことにしました。会話もないまま、黙々と掃除をしていると、段々とイライラしてきました。
なんで、僕は睨まれて、ひっかかれて、敵にされなきゃいけないんだ?彼女の方がよっぽどひどいことをしているのに…。確かに、髪の毛を抜いてしまったのは、申し訳なかったけど。
ちらりと彼女を見ると、彼女もこちらを見ていたようで、ぎろりと睨まれました。
彼女の方がよっぽど…あの方の邪魔じゃないのか…?
「…喧嘩か?」
ぽつりと聞こえた声に2人揃って振り返ります。
彼女を気にし過ぎて、全く気が付かなかったけど、いつお帰りになったのか、入り口の扉に寄りかかるようにフィアレイン様が立っていました。
「わが君!!お帰りになったと思っていました」
彼女は満面の笑顔。うわ、なんなんだろう。その猫なで声。気持ち悪い。
「この羽虫を駆除しましょう!そうです!それが一番です!わが君の敵になる前に!」
羽虫?!思わず、むっとします。
「いや、この変態を始末するべきです!いつか害になる!」
変態が睨んでくるが、気にならない。そうです!ここで、こいつは始末しておいた方がいい気がします。
「…似た者同士」
そう呆れたように言われて、思わず固まってしまいます。
「我が君!こんな忠誠心もないような子と愛しかない私が似ているわけありません!」
「フィアレイン様!こんな変態と普通の子どもの俺が似ているわけありません!」
ほぼ同時にほぼ同じような否定をした僕達にまた呆れたようなため息を吐かれます。もっと否定しようとしたら、彼女とほぼ同じ否定になっていました。
「…そう言われたくなかったら、その煩い口を閉じろ」
ぐっ、と口を閉じるのも同じくらいでした。
「帰るぞ」
僕に向かって疲れた様に言うフィアレイン様の後ろをついていきます。彼女の方を見ると、彼女は僕を真剣な顔で見ていました。
少し頷くと、彼女も少しだけ頷いているのが見えました。




