さんじゅうはち あれは、わたしの ~アランティス~
帰り着いた時にはすでに深夜だった。
「ありえない。何故、深夜に馬を走らせなければいけないのか」
ぶつぶつと私の後ろで呟く従者シルバ。
聞こえていないと思っているわけではないだろう。文句を言いたいが、直接言うと問題になるので、敢えて、ぶつぶつと呟くことにしたようだが。
「聞こえていたら意味がないと思わないか?」
そうほほ笑みながら言うと、バッと勢いよく顔をあげる。
「聞こえるように言っているんですぅ!なんでこんな深夜に急いで帰る必要があるんですか?!明日でいいじゃないですか!」
こいつ!だんだん遠慮が無くなって来たな。
「うん。そうなんだけどね」
胸騒ぎがする。それだけの理由でこんなにも夜遅くに馬を走らせた…。
街の大通りを馬を連れて歩いているわけだが、こんな夜更けに人の気配は全くない。しんと静まり返った街。月明かりだけが、足元を照らしてくれる。シルバが引く馬の足音だけが響く。
何かの胸騒ぎ。その正体もわからない。なのに、急いで帰って来た理由。
「何だろうな」
帰らなければ、そう思った。感情に突き動かされた。自分でもうまく説明ができない。
そのまま理由を考え思考の中に入ろうとしたとき。
「あっれ~。こんなところで会うなんてねぇ」
明るい声が後ろからかけられる。
シルバがすでに私を庇うように立っていた。剣に手をかけて…。振り返ると、そこには、月明かりの中、真っ黒いローブを頭からかぶっている子どもがいた。フードは深く、顔の上半分を隠している。
背が私よりも頭一つは小さいだろう。
こんな時間に子ども?
「何してるのぉ?」
高い声からは性別を判断できない。身体のラインで分かる様な歳でもない。そもそも、身体は足元までローブで覆われていて、手足さえも見えない。
「そちらこそ、こんな時間に子どもが歩き回るものではないと思うが?」
「あは☆いいんだよ。僕は子どもじゃないからね」
?子どもではない?どう見ても子どもにしか見えない。
「で?こんなに早く帰って来た理由はなぁに?」
「…私がどこに行っていたのか分かっているのか?」
まるでどこに行っていたのか知っているかのような口調に警戒心が増していく。この子どもは危険な気がするな。
「あはは。そんなに警戒しなくてもいいじゃないか」
愉快そうに笑う子ども。だが、声はどう聞いても笑っているように聞こえない冷たさを感じる。
背中に冷や汗が流れる。意味が分からないモノに対する恐怖。
「でも、そうだね。君を絡め獲れれば僕はゲームを有利に進められるんだけどな」
そのセリフにシルバが、殺気立つ。私でもたじろぐほどの殺気だ。これでもシルバは護衛としてなら、随一だ。従者としてはダメダメだが。
「ふふ。『あれ』に抑えられるよりはよほど僕は君を使ってやれるよ」
でも、と子どもはため息をつく。わざとらしく、芝居がかった仕草だ。
「君は主人を定めているんだろう? まぁ、それでよしとするかな」
「!!?」
突然の発言に、息をするのも忘れそうになる。なぜ、知っている? 誰にも、いや、シルバ以外には知るはずのない私の心を。その瞬間、心の中はかつてないほど動揺していた。
だが、顔は恐らく、いつも通りに笑みを浮かべていただろう。そんな自分に嫌気がさす。
「ふふ。僕の名は『フィル・ドーナ』。この名を知っておくといいよ」
楽しそうに名乗る子どもはひらりと身をひるがえすと、走り去っていった。
その後ろ姿を茫然と見送る。
「『フィル・ドーナ』?」
私は思い出したようにその名を口にする。
「知っているのですか?」
「ああ。恐らく、高名な魔武具士ではないかな。その武器は強力かつ凶悪。死神の武器だと言われるくらいだとか。以前、父上に見せていただいたことがある。陛下から直々に賜った武器がそれだった」
「あんな子どもが?かなり小さかったぞ」
「恐らく、と言っただろう。名を名乗ることくらいなら誰でもできる」
「そりゃそうだけど」
…おい。驚きすぎて、今まで申し訳程度に使っていた敬語さえも吹っ飛んでいるぞ。
「しかし、年齢不詳、正体不明の魔武具士があんなに若いなんてな」
「いや、若いって言うか、がきんちょじゃねえか」
「…そうだね」
子ども…なのだろうか。とも思う。
ずきりと頭が痛む。こめかみを抑えて、眼を閉じる。
何か大切なことを忘れているような。
「あぁ、そうか」
子どもらしくない子どもを、私は知っているじゃないか。
ふっと笑みが零れる。「ひぃ!黒い笑み!!」と従者が私を見て、ちょっと後退る。
だが、構っていられない。私は、見つけてしまった。
「あれは、私の――――か」




