底辺発・頂点行
「やっぱり俺以外にもこの世界にきた現代人がいたんですね。正直、個人的にはそっちの方がしっくりきますけど」
仁は自分一人が選ばれた人間だとは思っていなかった。一介の高校生である仁がこのような事態に陥っている以上、他に異世界にやってくる者がいることは何らおかしいことではあるまいと考えていたのだ。
「しっかしまぁ……まさか魔法でファンタジーな世界にこのオレが召喚されるとはなァ! 一世を風靡するハードロッカーになって帰るぜ!」
「だからね、臨場さん? 帰れませんって……。臨場さんが帰り方を知ってるなら話は別ですが」
千歳仁は先刻出会ったばかりのハリケーンギタリスト――臨場隆也に現状況を説明している最中だった。仁とて知っていることは多くはないが、推測できていることもあり、相談も兼ねて話してみたのである。結局何も得られていないのではあるが。
フリーターでミュージシャン(自称なので本当なのかは謎だが)の臨場は二十代半ばで人生の先輩ということになるのだが、その砕けた態度故に敬語を使いづらい。
「おそらく、なんですが……現世から持ってきた道具が魔装とかいう魔力を帯びてしまった可能性が考えられます。まだ二パターンしか見ていないのでなんとも言えませんがね。明らかにギターにも魔力の放出を視ましたし、俺の目……いや、コンタクトも魔装と化していますからね」
「魔装ってのはよくわからねェが、オレの相棒が進化したってことでいいんだよなッ!?」
「いや……そこはよくわかってもらわないとマズいんですが。んー、言ってみればギターで魔法が起こせる、みたいな」
「魔法使いでギタリスト……? 新しィ! これは流行るぜ……! ハハッ! んで、どんな? オレどんな魔法が使えんの!? 魔法使いながらギター弾くとかできんのォ? そしたら照明とかド派手な演出とかやりたい放題……ケヘッ」
「…………酒場をかき消したのがソレですよ。ギター弾きながら魔法とかはよくわかりませんが、少なくとも弾いている姿は全く見えませんでしたね、風が凄くて。とにかく、意図はなかったにせよ、まぁ罪には問われるんじゃないかと」
「な…………。前科持ちの魔法ギタリストとかやべェなオイ。いいのかそんなヤツが存在して」
「ダメでしょう。なんか臨場さんの声が反響しすぎで頭痛くなってきた」
小さく呟き、臨場との会話に疲れたのかこめかみを押さえる。何かと会話が噛み合わないのは臨場の異世界に対する無知よりも臨場自身の人柄にあった。
時間的には深夜を回っているだろう、しかしそれとは別種の静けさが辺りを包んでいる。
現在、仁と臨場隆也が会話している場所は小洒落た喫茶店でもなければアルコール臭漂う酒場でもない。
牢獄。
強硬な石壁に鉄の格子が嵌っているシンプルにして堅牢な部屋。中には簡易ベッドとトイレしかない。地下にあるのか、月の光も届かない暗がりと地下独特の湿気た辛気臭い空気。
大通りの一件に駆けつけた魔装騎士団に三人は捕らえられていた。元々、事件の発端であり全責任は臨場隆也にあるのであったが、駆けつけた魔装騎士には知る由もなかったのであろう。仁とノアは弁解を試みるも仁の赤眼に気付かれてからは半ば畏怖されるようにして捕縛、連行され投獄まで味わう結果となったのだ。
「そ、それより臨場さんじゃなくて『ジークさん』って呼んでくれていいんだぜ! 基本その名で活動してんでよ!」
投獄の際もちろん武器、魔装の類は全て押収されており、ギターを奪われた臨場の狂乱っぷりは筆舌に尽くし難いものであったのだが、今はテンションこそは高いものの彼なりに落ち着きを取り戻してはいる。
仁は簡易ベッドに仰向けになりながら天井の闇をぼーっと眺める。三人は違う牢屋でこそあれ、並んだ位置を占めていた。本来平和な街であるからなのか、他に投獄者は見当たらない。
「頭がこんがらがってわけわかんない。ロック? ニホン? 魔装だらけの国……? それなら……」
ここに入ってから主に会話の主導権は仁と臨場にあり、ノアは完全に除け者となっていたのだが、耳だけは貸していたのかようやく疑問やら感想やらを口に出す。
「だからノアには言いたくなかったんだよな……。そもそも概念が違いすぎて説明が出来ない」
同じ境遇の仲間がいる以上、その手の会話をして情報交換をしたかったが、どうにもジークこと臨場隆也は仁以上にこの世界に関する情報を持っていなかった。
ノアは当然意味不明な単語の羅列に困惑しているだけだろう。それに比べて革ジャンのロックンローラーはこの理解不能な世界に怯える様子もなければ何も知らぬ状態で勝手に酒場に入りギターを掻き鳴らすという傍若無人ぶりだ。
「んぁ? 世界が変わろうがオレの生き方は変わらねェ。ギター一本あればそれでオレの世界は完成だからなァ! ハハハァッ!」
そのギターが今手元に無いのであるが仁はあえてそこに突っ込むことはしない。それにしても牢の中でここまでハイな人間など存在するのだろうか、と同じ人種に並々ならぬ隔たりを感じる仁であった。
「そもそもなんでギター一本であんな爆音を出せたんですか? アンプとかに繋ぐものじゃないんですか?」
仁はあの時の様子を思い出しながら問う。臨場の持っていたギターはエレキギターと呼ばれるものだ。本来ならばアンプといった音響機器に繋がない限り大きな音など出るものではない。臨場の靴が牢屋の石底を叩く音が返ってくる。
「そーいやそうだなァ。なんかオレ的にはイケそうな気がしたンだなァ、これが。なんでかは知らん。オレの音楽にかける想いが奇跡を呼んだのかもしれん」
話の後半は特に気にしなかったことにして、これも魔装化の影響によるものかもしれないと思案を巡らす。段々と眠気が脳内を侵食してくるのを感じ、思考を閉じる。今日はなんだかんだで色々とあったせいかここにきて疲れがどっとわき寄せてきたのだろう。
「で、でもなんでその嵐の正体がわかったわけ? あの風の渦で視界も霞んでたのに終わるタイミングも予知しているみたいだった」
ノアにとって臨場の存在に気づく前から嵐の元凶を捕捉しきっていたことが謎に思えたのであろう。
「近づけばただの暴風でも、距離を置いた所では別の現象が起こっていたからな。ノアはさっさと現場に向かったから気付かなかったかもしれないがな」
「別の現象……?」
石壁の奥からノアの訝しむ声が反響してくる。
「ああ、音楽だよ。とてもこの世界に似合わない人工的な音で奏でられるロックミュージックが聞こえたからな」
「???」
ロックミュージックという単語そのものが理解不能なノアにこの説明はなかったなと仁はコホン、と一拍置いて言い直した。
「とにかく、独特な音楽が俺の故郷で聞いたことのあるものだったってことだな」
「おォ! オレの魂の響きを聞いてくれたんだな!? どうだったよ!?」
「普通です」
「あ、そう……」
ノアと仁は元々歩き疲れていたこともあり、牢獄の粗末なベッドの上でも深い眠りについた。臨場は話し相手もいなくなりしかたなく寝床についたようだが、背中が痛いだのなんだのとしばらく文句を垂らしていた。
そんな彼らしかいない牢獄に光が差し込んだのは一体何時間経った後だろうか。牢獄へと続く階段から複数の足音が聞こえ仁は目を覚ました。身を包む銀鎧に腰に差した直剣。仁はそれらから陽炎のような揺らぎを視た。魔力の流れ、魔装騎士である。
「出ろ。ロイガル様がお呼びだ」
「おい、騎士様よォ、オレのギター返してくれよなァ。アイツがいねェとどうにも身体が軽すぎて落ち着かねェ。まさかあんな事になるとは思わなかったンだよ。な? な? 許してくれよ」
通りを魔装騎士団と共に歩く仁ら三人。大通りとはいなかいまでもそこそこに人の姿が見られる道を半ば見せしめのように連行されていく姿は太古の死刑でも想起させるものであった。
「…………」
臨場の言葉に耳を傾ける者は誰もいない。ギターと呼ばれるものが奇異な魔装であることしか認識していないので、取り合う必要もないと考えているのか。
仁は無駄に騒いでいる臨場の影に隠れるようにして小言を漏らす。
「ロイガルって……誰だ?」
対するノアの顔はいかにも強張っていて明らかにおかしいことを仁は感取していた。
「…………ルッセリアの国王よ」
「なんで国王が俺らに? まさか本当に処刑されるんじゃないだろうな」
「……その割には余裕綽々のようじゃない? ま、さすがに処刑はされないと思うけど、何かあるはず……」
さすがに一騒動起こして国王に呼ばれるとなったら顔の一つでも強張るのも無理はないだろう。
「それにしても……」
伏し目がちに左右を確認すると明らかに臨場とノア以上に仁が警戒されているのがわかる。臨場のギター、ノアの日本刀が押収されたのに対し仁のソレは騎士側から見れば完全に魔眼に他ならないので未だに警戒を解かないのだろう。かといって仁には特に何ができるわけでもない。
「嫌な予感がするわ……」
ノアの漏らした言葉を聞いて仁は溜息を隠せない。
「こっちに来てから大体そんな感じだけどな」
「…………」
王城、謁見の間で仁は言葉を失っていた。隣のノアも黙りこくって緊張と不安の表情を浮かべている。初めて見る王城を「おォー」と感嘆を漏らしながらあちらこちらを眺め回していた臨場も今やその威勢は目の前の威圧に圧殺されていた。
王の御前。ルッセリアの王、ロイガルは王座に堂々と座しているのだが、他の二人はどうあれ、仁がそれに気後れして沈黙したのではなかった。
予めノアからロイガルの正体を聞かされていた仁が想定していた国王というものはいかにも貴族然とした明らかに機能性を失っているマントなり王冠なりを装備しているものだろうとばかり思っていたのだが、この面前に君臨する王は明らかに違う。
一言でいうなれば、騎士王。
周囲の騎士とは比べ物にならない精巧を極めた甲冑を身に纏い、右手に握られた得物。仁の丈ほどにもなるその鋭利な武器は槍。紅い穂先が特徴的な禍々しさで周囲を圧倒する。
魔槍。
仁の眼によってそれらがただの飾り物でないことを悟らせる。今までに視たことがないほどの魔力の放出量に仁自身が飲み込まれそうになった。
まだ歳も三十といったところで王としてはあまりにも若いが、その風格は既に王のものである。眼光は大気を切り裂くように鋭く、引き結ばれた口元とスッと通った鼻筋からは知性のみならず王としての才気を感じさせる。生まれながらにして王を約束され、そのために生きてきた過去が初対面の人間にさえ見て取れるほどの王の中の王であった。
「貴公らは先日の騒動の首謀者だと聞いている。何が狙いだ?」
突き刺す視線は仁たち三人に対する警戒を意味していた。
「俺――私と隣のノアは本件に関して特に関与はしていないのですが……。それにこれはルッセリアに対する攻撃を意図したものではなく、いわゆる事故で……」
ようやく口にすることができた弁明を仁が試みる。一国の王相手に一歩も退かない態度は驚嘆に値するものであるが、見方によっては無礼とも取られかねない。
「魔装を用いて暴れていたそうだが?」
魔装そのものが一般人の手に渡ることがほとんどない状況において、魔装を用いて暴れることは国家を揺るがす大きな要因と考えられるのだろう。わずかにも揺るがない騎士王の表情がそれを告げる。
「まさかあんな事になっちまうとは思わなかったんだって、だが、オレのせいではある。本ッ当に申し訳ない! すまなかった! 許してくれ!」
手を合わせて懇願する臨場の姿は、友達に借りたCDを壊してしまったノリの謝罪であった。臨場としてはこれくらいしか謝罪の仕方を知らなかったのだが、当然、周囲の騎士がそれを見過ごすはずがない。
「貴様ッ! 無礼にも程があるぞ!」
近くの騎士が引きぬいた直剣に一瞬で身を固める臨場。顔が奇妙な形で固まっており、冷たい汗が滝のように流れている。脳天気なりにも身の危険くらいは察知できるらしい。
「そう、貴公の魔装も実に奇怪なものだ。あんなものは今まで目にしたこともない……。そして魔眼を持つ者、まさか魔導の血を引くものが生き残っているとは。貴公はどこからやって来たのだ?」
仁は返答に困った。今この場でコンタクトレンズを外し、これが魔装であることを証明することは容易い。しかしそれをすれば明らかにこちらのアドバンテージを失うことになってしまう。警戒は解かずにおくほうが賢明であろう。
「それが……どこにあるのかわからないのです」
実際、この世界のどこに日本があるのかもわからないのでこの受け答えは間違っていないと自分に言い聞かせる。
しかしその言葉に反応したのは空気の読めていない臨場だった。
「え? 日本っしょ?」
きょとんと目を丸くしている赤髪ハードロッカーにジト目で睨む仁。
「ニホン? ニホンなどという国があるのか?」
ロイガルにも臨場の声は届いていたのか食いつきがいい。この世界における数少ない王国の長であるロイガルもニホンという国の存在を知らないようであった。
「では貴公の魔装こそがニホンにおける王族魔装なのかね? 私らが触っても魔装は反応しなかったのは当然、か。しかし一国の王とあろうものが何故このような――」
仁は内心困惑していた。話が見えない。
「オレぁ王じゃねぇぞ? それに楽器屋に行きゃあギターぐらい何本も売ってるだろ」
「!?」
一瞬にして騎士王の表情が固まった。その顔色は警戒と呼ぶよりも驚愕に満ちているものだ。
「貴公らの国は、宝の国とでもいうのか……? 更に魔導の血を引くものまでいるとは……どこだ!? そこはどこにある!?」
息を荒げるロイガル。この世における趨勢を決めるものとした挙げられるものは金でも無ければ権力でもない、『魔』なるものである。前者はそれらに付随するものにすぎないのだ。
「それがわからないのです。ここへは気付いたらやって来ていて」
控えめに仁が応答する。隣で臨場も頷く。
「確かにどうやって来たんだかなァ? どうしても思いだせねェ」
どこか落胆したかのように肩を落としたロイガルはゆっくりと口を開いた。
「そう……か。やはりそう簡単に事は済まんということか」
一息の溜息で間をとってから、再びロイガルは話しだす。
「貴公らの話は実に奇怪であるが、証明もまた同時に提示されている。そして何より興味深い。少なくとも貴公らが悪意を持ってこの国にやってきたわけではないことは信じよう」
「ありがとうございます」
ほっとしている臨場をよそに仁の表情には一切の変化はない。
「しかし、だ」
ロイガルはここからが本題だと言わんばかりに言葉を紡ぐ。
「たとえ過失であろうとも騒動を起こし、我が国に被害をもたらしたことには違いない。……となればだ」
「……刑罰か何かですか?」
空気が張り詰める。両隣の臨場とノアが小さくビクリと震え、佇まいを正した。
この事態は仁の予想通りのものであった。いくら事故のようなものだとはいえ、さすがにお咎め無しというほど甘くもあるまい。そう考えていた仁だったが、現実はさらにその斜め上をいく。
「いや、そんなことは言わん。ここは一つ我が国のために働いてもらいたい」
臨場は刑罰免除に喜んでいるのか、喜々とした顔色を浮かべているが、ノアはやや戸惑っているように眉根を寄せる。
仁の脳裏を嫌な予感が過った。