魔眼(仮)
「おい、なんで俺らが逃げなくちゃいけないんだ?」
場所は街道外れの雑木林。正午を過ぎた太陽の日差しは依然として猛威を振るっていたが、鬱蒼と生い茂る草木によって中和されていた。木陰に腰を下ろしながら味気ない乾燥したパンで昼食を共にとっている最中である。
仁と少女は漆黒の雷狐討伐後、煙のようにその場をあとにしていた。それはもっぱら彼女の都合のように思えたが、なぜか彼女に引っ張られるようにして仁も同行させられている。そして彼女は最低限の箇所を回り、仁がいつまでも半裸であることに彼女の方が耐えられなかったため適当な軽装を仁に代わり購入したり、水や携行食だけを揃えるとさっさと小さな集落を出てしまった。
「魔物の騒ぎを嗅ぎつけてイルドの魔装騎士団がやってくるわ。不用意に接触するのは避けるべきよ。一般市民ならともかく、アンタじゃ拘束されかねない。いや、最悪――殺されるかもね」
快晴の空に柔らかな緑の香りが充満していた世界に一瞬にして空気が凍るのを感じ取る。
「…………なんで?」
「魔装騎士団は『魔』に関しては特に敏感なんだから。魔物はもちろん、魔導師が生き残っていることを知れば何をしだすかわからない。ましてや今回の事件の発端なのだから」
この世界において国と扱われるのは王の君臨する王国である。そして、王と共に存在する魔の漲る地。その中核を成すのが王立魔堂会である。そしてその王立魔堂会に所属する騎士団は魔装騎士団と呼ばれるものであった。職務は魔物等の脅威からの自国防衛や国内の治安維持であるが、保護域外であっても魔物絡みの事件には関わりを持ってくることが多いことで知られている。
そして彼らを特徴づけるものがもうひとつ。『魔装』――魔なる装身具。不思議な力を秘めた道具という認識で間違いはないだろう。しかしその形状一つをとっても実に多種多様であり、また、持つ力の多岐にわたることが知られていた。それらを持つこの騎士団はこの世界において絶対的な力を有しているのだ。
少女はその魔装騎士団に信頼を置く様子は皆無であり、むしろ負の感情に満たされている感じさえした。
「え? 俺が悪いのか? というか、俺は魔導師なんかじゃない。職業欄はただの『学生』。魔法なんか使えないし、特殊な――魔装だっけか、そんなのにも縁はない。そんな俺が何をした?」
「あの魔物はきっとあなたに引き寄せられていたのだから、当然でしょう?」
仁は頭が痛くなるのに耐えた。何もしないのに自分に魔物が寄ってくるとは、一体どんなサバイバルゲームであろうか。
「再三言うが……俺は何もしてないぞ?」
「すべてはその魔眼の力でしょう。魔力は魔物を寄せるのよ。あなたがさっき見せた魔力の流れを視る力だってそれに由来するものなのだから」
当然のように語る少女に対し、仁は納得も理解もできかねていた。
「そういえばアンタ最初から俺の眼がどうだとか言ってたよな? 俺の眼は常人のそれと何ら変わりないぞ? むしろ他人よりも悪いくらいだ」
「あなたがなんと言おうと私には判る。その紅蓮のように燃え盛る瞳。明らかに常軌を逸しているもの……」
確信に裏打ちされた強気な表情を浮かべる少女に対し、仁は曇り顔で対する。気になる単語が含まれていた。
「紅蓮……?」
生来仁の瞳は漆のように鮮やかな黒色だ。どんな光の反射であれ、赤に見えることはないだろう。しかし、少女の無駄に自慢気な態度には偽りはないようだ。
「なぁ、鏡ないか?」
「ん、ええと……」
ゴソゴソとマントの奥で身体を漁ると、小さな鏡……のようなガラス片のようなものが出てきた。明らかに現世のものとは劣るものだった。光の反射率も低く、どこかぼやけて見える。仁にとってその程度の問題は問題のうちに入らなかったので無視し、そのガラス片を受け取り、自らの瞳の色を確認してみる。
するとたしかに赤かった。赤というより紅。絵の具の引き込むような赤ではなく、光のように周囲へと放散するかのような紅。それは自分の見知ったものではなかった。
「本当に紅だな……。あ――」
仁は何かに気付くと、自分の右目に手をやった。
「ぇ? ひッ!」
少女にとってまさに右目をつまみ出すように見えたのだろう。彼女は顔面蒼白で腰を抜かしていた。彼女は仁の素性など何も聞いていないのだが、すでに異なる人種として捉えていた。しかもそれは奇異なるものから一瞬で畏怖の方向へと近づけるものであった。
水を失った魚のようにパクパクと口を動かす少女。呼吸もままならずむせ返ることもしばしばだ。
「な、何を……!?」
少女にとって恐ろしかった。自分の眼球をこうもぞんざいに扱う者がいるとは。魔導師とはそうやって素性を隠すものなのかと――。
「ん、ああ。コンタクト」
しかしどけた手には眼球など握られていなかった。右目もそこにある。しかしその眼は少女が先程まで目にしていた燃え盛る色を消し、漆黒の闇がたたえられていた。彼女の脳はすでにパンクしていた。
「コ、コン……タクト?」
裏返り震えた声が明らかに怯えている様子である。少女の脳内辞書にコンタクトなどという単語は存在しなかった。仁はそれを悟ったのか――。
「コンタクトレンズ」
親指と人差し指の間に挟まれた小さく薄い物体。紅色に発光していたそれは、次第に光を失い、気がつくと仁の知る元の無色透明になっていた。
「違和感がないから外すの忘れてた。レンズの色が変わるのに視界には変化はないし、それに全く汚れてもいない。どうなってるんだ?」
「あ、あわわっ。アンタ魔導師じゃないの? だって魔眼? 魔装? そんな目に貼り付けて――わからない、もう何もわかんない!」
彼女は雑多な単語を吐き出すだけ吐き出すと一人パニックに陥り、そしてしばしの間精神活動を停止した。
その後、コンタクトレンズの説明だけに小一時間を要した。
「じゃあ何? アンタ魔導師じゃなかったわけ……?」
「だからずっとそう言ってるんだが」
少女は落胆するようにがっくりと肩を落とす。鳥のさえずりが木立を縫って届いてくる。
「その魔導師っていうのは魔法使いと同義だよな? 魔物もいるし、魔装とかいう不思議アイテムもあるくらいだからそのうち見つかるだろ」
少女の落胆を緩和させるための言葉だったが、少女は頭を振った。
「アンタ……本当に何も知らないのね。魔導師がいたのはもうずっと前のこと……今ではもう幻の存在なんだから」
「そんな奴が宿屋で身包み剥がされてるはずないだろ」
「うッ……そうだけど……あたしだって焦ってて」
「服装からするとアンタ旅人なのか?」
フード付きマントを指さしながら仁は問う。
「まぁ……そんなとこだけど? ちょっと前までは護衛とかしながら町を巡ってたわ」
「その割には明らかに戦い慣れてなかったよな」
「そっそれは――前までは剣が」
そう言って少女は懐から一本の日本刀を取り出す。鞘は黒塗りで光沢を帯びており、特に装飾らしいものは施されていない、シンプルな分鋭さを増した美しさがあった。
「その刀も気にはなる。日本刀だよな? どこで作られてるんだ? ここに日本があるのか?」
「し、知らない! もう意味のわからないことばかり口走って、一体どこの人間なの?!」
どうやら日本は通じないようである。この程度で仁はもう驚いたりはしない。異世界だという認識はとうに得ている。
「アンタの知らない世界だろうよ。魔物も魔装も無い異常なほどに平凡な世界」
「……?」
少女はその言葉をうまく飲み込めなかったのだろう。頭上にクエスチョンマークを浮かべるだけで、きょとんと目を丸くしている。
「そんなことより、アンタは魔導師とやらを探してるんだろ? しばらく俺も同行させてくれよ。特に行き場も目的も無いもんでね」
少女は少しの間思案顔を浮かべていたが、了承の意を示した。
「人を囮にしたり、その無意味に偉そうな態度が気に食わないけど……その眼に貼り付けるような魔装は戦力になるから仕方なく連れて行ってあげる」
「アンタ戦力にならなそうだもんな」
「なッ!? だからこれは――」
「はいはい。いいから、そういうのいいから」
「~~ッ」
仁が適当にあしらうと少女は『ムキー』と歯ぎしりをして地団駄を踏んでいた。
「それで? これからどこに行くんだ?」
「へ?」
「いや魔導師とやらを探しに行くんだろ? どこに行くんだよ?」
気付けばもう昼下がり。木陰も次第に長くなってきている。風が梢を揺らし、木々はざわめく。銀髪の少女は天を指すと言い放った。
「とりあえず……南の方?」
「適当だな」
後にようやく自己紹介がまだであることに気づき、ようやくお互いは名を知ることになるのであった。
少女の名はノア。
「なあ、ノアって最初とキャラ違うよな。なんで背伸びしてんの?」
「そ、そんなことない! 気のせい! 失礼な奴!」
「一人旅がよほど寂しかったとみえる」
「うるさいっ!」
どかっと蹴るノアの様子はやはり活き活きとしていて、本来の彼女らしさはきっとこっちなのだろうと仁は肌で実感したのだった。
こうして彼らは南下する。
「チトセはその魔眼モドキをなんとかコントロール出来るようにしないとね」
「コントロールってどうやればいいんだ?」
「さあ? あたしが知るわけないじゃない」
「………………」