序章『第一歩』
虚空を睨む眼光はどこまでも鋭く、引き締まった口元には冷たさと賢さの現れ。そして風靡く草原に悠然と立つその姿は威風堂々としていた。
猛獣をも射殺さんばかりの視線は揺るがすことなく、青年は凛然と口を開いた。
「ここはどこだ?」
冷や汗が頬を伝う。彼のポーカーフェイスは未だ崩れることもないが、その発汗が彼の心理状態の異常を訴えている。
千歳仁。彼は英雄でもなんでもない、ただの一般人である。大学入試を控えた高校三年生。昨日まで――否、つい先刻まで灰色一色の街、それも予備校内にいたはずであった。それがどことも知れない壮観にして異観なる地に転移していたのだ。
仁はこの風景を疑う前に己の脳内を疑った。
「死に際に花畑が見えたという話は有名だ。これもその類なのか? 俺の俺による俺のための生涯最大級の現実逃避がこの草原を創り出した?」
かねてより妄想癖など持ちあわせていない仁にとって、この結論はいささか納得しかねるものであったが、生まれた光景が鮮やかな花畑ではなく、見方によっては殺風景とも受け取れる草原であるという点が疑心を喚起させる。
軽く自身を確認してみると、予備校にいた時点と同様であった。灰色のジーンズに白のワイシャツ、上にはベージュ色をしたセーター。何も変化した様子はない。
「まあ、特にすることもないわけだし、待つか」
仁の取った方策はなんていうことのない、この妄想なのか幻想なのか果たして夢なのか不明な現象が解かれるのをただ待つことであった。仮に脳内が悲鳴をあげた結果として起きた現象であってもここで為せる事はない。休息のみが解決をもたらすものだと判断したのである。
「戻らん……」
寝そべること数時間。蒼空には赤みがかかり、燃える太陽がは沈もうとしている。草原を吹き抜ける風にも冷気が混じりだしてきた。
仮に夢や妄想の類だったにしても、疑問点の残るところであった。何よりの疑問点は『何も起きない』ということである。夢には記憶の整理であったり、現実におけるシュミレーションであったりといった効果が指摘されている通り、記憶にある情景や対象を意味無意味を問わず様々な連なりで映す。しかし、場面はこの草原から微塵も変わっていない。
某らの欲望や恐怖を心的に具現させる妄想であっても、ここまで何も起きないものを妄想であると呼ぶことに仁は違和感を感じ得なかった。
「この状況にラベリングをしたところでここにいる俺にとって意味はないか。それにこの俺が実体であるという可能性も否定できないしな。なぜならここに俺の実感がある。この俺の存在はこの瞬間においては確かに現実……か」
仁はそう決定づけると同時に歩き出す。面持ちこそ至極冷静を装っているが足取りだけは焦燥に駆られるように小走りであった。
こうして千歳仁の異界放浪第一歩は踏み出されたのである。踏みしめられた大地は今までのどんな記憶よりも鮮明に現実を知らしめた。
「とりあえず、野宿はしたくないぞ」






