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怪談・ホラー

足跡

作者: 猫野沙子
掲載日:2026/07/07

ある日、隣の角部屋に女子大生が越してきた。明るく礼儀正しいギャルの彼女の部屋に、大きな泥靴の跡が――――

 安アパートに住んでいる私は、ある週末に隣に越してきた人に会った。大学生だろう。見た目はギャルだったが、明るくて礼儀正しい人だった。

 ギャルは角部屋で、私はその隣に住んでいる。以前、西日が当たる角部屋に住んでいて暑さに辟易したので、この安アパートではあえて角部屋を避けた。

 生活リズムは当然、社会人と大学生では違う。壁がやや薄いからたまに隣から物音がするものの、外で会う事は滅多になかった。


 ある夕方、珍しく廊下でギャルと会った。目礼して通り過ぎたが、会えばニコっと目礼する彼女が今日は機械的に目礼してすれ違った。顔色も幾分青かったようだ。最近は寒暖差が大きく、今日は雨も降っている。もしかしたら体調を崩したのかもしれない。そんなことを考えながら部屋に入った。


 いつものように簡単な夕飯を作り始めた時、隣から物音が聞こえてきた。


トン、トン、トン


と足音のようだ。隣の玄関の出入りの音は否応なく分かるのだが、ギャルが帰ってきた音はまだしていなかったのに気づいた。なんだか、ザワザワとした私はイヤホンをして音楽を聴きながら夕飯を作った。


 風呂から上がってくつろいでいると、ギャルが帰ってきた音がした。さっきの足音のようなものを思い出して、私は何とも落ち着かない気分になった。すると、隣から悲鳴が聞こえた。少し逡巡したが、私は思い切ってギャルの部屋を訪ねた。


「悲鳴が聞こえたのですが……」


 出てきたギャルは顔は真っ青で泣きそうな顔をしていた。彼女は黙って床を指さした。それを見た私は息をのんだ。


「足跡……?」


泥靴で歩いたような跡。明らかにギャルより大きい足跡だ。


玄関から入り、部屋の中央に敷かれたラグマットの上に一歩踏み込んだところで消えていた。


「と、時々、砂とか土が落ちてたのは気が付いてたんですけど――――」


 彼女は泣き始めてしまった。戸惑ったが、とりあえず私の部屋に来てもらった。ここから彼女の家族なり友人なりに電話をしてもらおうと思った。暖かいココアを出すと、彼女も少し人心地がついたようで、私の部屋を物珍しそうに見まわした。


「ありが――――きゃぁああ!!」


 彼女が私の背後を見て絶叫した。ひどくゆっくり私は振り返った。


「――――何も、いないよ?」


バクバクした心臓はまだ落ち着かず、冷や汗も出ているが、私の背後には何もいなかった。けれど、彼女の恐怖した顔はとても嘘をついたようには見えなかった。


 真っ青で口をわななかせている彼女を追及するわけにもいかず、私は彼女を連れだして近くのファミレスに行った。


 地味な部屋着の私といかにもギャルと言う格好の彼女と言う珍妙な組み合わせは人目を引いたが、私たちは隅の席に座ると、しばらく無言で向かい合っていた。暖かい飲み物を飲んで、少し顔色が戻った彼女が小さな声で、


「あなたの後ろに……み、見えたんです」


と囁くように言った。それから彼女は体をぶるりと震わすと、また瞳に涙をためた。何か言おうとするのだが、言葉にならないらしかった。


「無理にしゃべることないよ。もう少し落ち着いたら、ご家族か友人に連絡して迎えに来てもらいましょう」


 私がそう言うと、彼女は頷いた。その拍子にぽろりと涙が彼女の頬を滑り降りた。


 しばらくして、ようやく落ち着いたのか「友人に電話します」とギャルは一度店の外へ出た。少しして、小走りで戻ってくるとブルブル震えていた。


「どうしたの?ご友人と連絡はとれた?」


 彼女は頷いたが、体の震えは止まらない。私は嫌な予感がしたが、聞かずにはいられなかった。


「何か、見た?」


彼女は一瞬驚いたようにいっぱいに涙をためた瞳でこちらを見て、大きくうなずいた。


 ぞくり、と私の背中に悪寒が走った。私も部屋で足音を聞いてしまっている。部屋の真ん中で消えた足跡も見ている。そして、私かギャルについてきている”何か”。私は深呼吸をして、少し気持ちを落ち着かせた。


「ゆ、友人は……30分くらいで来てくれるそうです」

「来るまで、一緒に待ちましょう。ご友人には店内に入ってもらった方がよさそうですね」

 親切心で言っているようで、私自身もすっかり怖くなってしまって、部屋に一人で戻る勇気がなかっただけだ。

「はい」

少し安心したようにギャルがほほ笑んだ。まだおびえているが30分後に友人が来るとなれば心強いだろう。


 それから、私とギャルはぽつりぽつりと会話を交わした。無言が怖かったのだ。私がギャルのネイルがかわいいと言えば、ギャルはどこでネイルをしたと教えてくれたり、逆に普段私が何をしているのかなど聞いてきたり。普通だったら接点がない二人が無理やり会話をつなげるために、ずいぶんと踏み込んだ会話を続けた。


バチンッ!


 急に大きな音がして、店内が暗くなった。ギャルも私も、店内にいた人たちも悲鳴を上げた。


 あちこちで、ぼんやりしたスマホの明かりが灯る。ギャルも私もスマホを握りしめて、震えた。ぼんやりと見えるギャルの顔は怖く見えた。向こうも同じだろう。古風な、下からライトを照らして怖がらせるアレが、今、スマホの頼りない明かりで再現されているのだ。周囲に目をやれば、同じような人たちばかりだ。


「ど、ど、どうしましょう?」


 ギャルはおびえて、今にも駆け出していきそうな雰囲気だった。


「ご友人も来るし、ここで待ちましょう。ほら、まだ雨も――――」


私が顔を向けた窓の外に、”何か”が立っていた。輪郭は恰幅のいい、背の高い人に見える。



――――”何か”はギャルを見ていた。



「きゃあああああああああああ!!!!!!!!!」



つんざくようなギャルの悲鳴に、店内がざわつき、つられたような悲鳴がいくつか上がった。


「お、おちついて」


 私は席を回り込んでギャルを抱きしめて、私の体で彼女の視界を遮った。けれど、私の激しい震えがギャルに伝わっているのだろう。ギャルは小さい子のように「いや、いや」と声をあげて泣いている。


「おい!あれ!」


「な、なんだ?!」


 異様な人影に気づいた店内の人たちからも悲鳴が上がり始めて、店内は一気にパニックになった。

 私は、ギャルを引きずるように窓から距離を取った。”何か”から少しでも離れたかった。


ダン!ダン!ダン!ダン!ダン!


大きな音に一瞬、店内に静寂が落ちた。”何か”がファミレスの窓をたたいている。雨に濡れた窓に、”何か”のこぶしの跡がついた。


ミシッ!


と、窓がしなった。何人かは絶望の悲鳴を上げ、私はただただ、ギャルをぎゅっと抱きしめて震えていた。いつ、あの”何か”が窓を割って入ってくるのか気が気ではない。ギャルはずっと泣いたまま、私にしがみついている。


 唐突に、店内に軽快な音が鳴り響いた。


 ギャルのスマホが鳴ったのだ。ギャルは私の腕から抜け出すと、


「もしもし……?」


と電話に出た。緊迫した空気の中で普通に電話に出たギャルに、店内はどこか気が緩んだように思えた。


「お店、入れる?」


緊張したようにギャルが言うのを、電話の向こうの相手は了承したらしい。


 いつの間にか静寂に包まれていた店内に、窓を叩く音がやむことなく続いている。そんな中、客は一斉に出入り口の方を見た。すると、ごく普通に若い男がファミレスに入ってきた。


 その瞬間、店内には明かりが戻り、窓にはもう”何か”はいなかった。


「な、なんで……?」


ギャルが震えてそう言って、私に、顔をうずめるようにしがみついてきた。若い男は背が高くて恰幅がいい――――


「あれ~?あんたも来てたの?」


 明るい声がして、ギャルの友人らしきギャルが男のすぐ後から店に入ってきた。恰幅の良い男の脇をするりと通って、


「おねーさん、あたしの友達助けてくれて、ありがと!」


とニコッと笑ってそう言うと、友人ギャルは震えるギャルを連れて店を出て行った。若い男の脇を通り過ぎるとき、友人ギャルは明らかに敵意のある目で男を一瞥して行った。

 取り残された背が高くて恰幅の良い若い男は一言も発することなく、ギャルを追うように店を出て行った。私は、若い男の視線と”何か”にそっくりな背格好にぞっとした。


 私はそれからすぐに安アパートから出来るだけ遠くへ引っ越した。






 


 


読んでくださり、ありがとうございます。

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