04.王子様は、砂になる
When the magic dissolved, the prince was gone.
次に透子がまぶたを開けた時、
そこには見慣れた自分の部屋が広がっていた。
六畳一間のワンルーム。
洗いっぱなしのコップ。
畳みかけの洗濯物。
消し忘れた照明。
あまりにも、いつもの景色だった。
透子は視線をゆっくりと動かし、
一つずつ、確かめる。
公園の夜も、
焼けた木や鉄の匂いも、
この部屋にはない。
――自分の家の中。
そう認識した途端、
全身から力が抜け、床にへたり込んだ。
「……ここ……」
呟きに、落ち着いた声が返る。
「透子さんの部屋だよ」
振り向くと、
ジュンキチは部屋の中央に立っていた。
近づいてはこない。
ただ、距離を保ったまま、そこにいる。
「襲撃者は仲間が機能を停止させた。
ここは、見つからないようにもしてある」
それだけ告げて、
それ以上の説明はしなかった。
「……すぐには、落ち着かないかも」
そう言うと、ジュンキチは素直に頷き、
そのまま床に座る。
空中に、メロンパンと花のホログラムを出し、
じっと眺め始めた。
透子はその様子を横目に見て、視線を落とす。
膝を抱えたまま、頭の中で出来事を並べる。
純吉と同じ顔の存在。
地球の生活を学んでいると言っていたこと。
公園を焼き切った光。
一瞬で、この部屋に戻ってきたこと。
分からないことばかりだ。
小さく息を吸い、
ふらつく身体を起こしながら言った。
「……お水、入れるね」
冷蔵庫を開けた瞬間、
透子は動きを止めた。
――白い。
奥へ奥へと続く、何もない空間。
「……?」
「あ。そこ、まだ繋ぎ直してなかった」
「……直しなさい」
庫内はすぐに元へ戻り、
ペットボトルを取り出してコップに注ぐ。
――何から聞けばいいんだろう。
純吉の姿でいる理由。
さっきの光。
これからどうなるのか。
考えながら水を差し出すと、
ジュンキチは受け取り、一気に飲み干した。
「ありがとう」
少し間を置いて、目を見開く。
「……水って、こういう味なのか」
あまりにも真剣な声で、
透子は思わず視線を逸らした。
「……ねえ」
床に座ったまま、顔を上げる。
「まず、聞いていい?」
「うん」
「あなたは……誰なの?」
ジュンキチは少し視線を伏せ、
やがて答えた。
「ジュンキチだよ」
「……純吉は、私の亡くなった夫」
「知ってる」
軽い返事だった。
その温度差に、胸の奥がざわつく。
「どうして、その姿なの?」
否定も言い訳もなく、
ジュンキチは淡々と続ける。
「地球の生活を学ぶ中で、多くの人を見た」
「その中で、最も強い未練を残していたのが純吉だった」
「特に、透子さんに向けた感情が濃かった」
「……感情?」
「欲求も含めて」
その一言で、嫌な予感が背中を走る。
「生前の純吉は、毎日、透子さんに触れたいと思っていた」
「近づきたかった」
「縋りたかった」
台所に立つ後ろ姿を見るたび、
視線が外れなくなり、
腰のラインに、はっきりと心拍が上がる。
洗った手を拭く仕草を見て、
そのまま指先を取ってしまいたい衝動。
ソファに座り、少し前かがみになった背中に、
触れずにいられなくなる衝動。
触れないままでいるべきだと分かっていて、
それでも、抱き寄せたいと強く思ってしまう衝動。
透子は頬が熱くなるのを感じながら、
淡々と語られる純吉の内面に耳を傾ける。
そこにいたのは、
自分が知っていると思っていた“王子様”とは、
少しだけ違う姿だった。
「……そんなの、知らない……」
思わず零れた声は、
自分でも驚くほど、かすれていた。
「でも、嫌われたくなかった」
ジュンキチの声は変わらない。
「だから花を買った」
「好きそうなパンを選んだ」
「きっかけを、何度も作ろうとした」
「透子さんが笑った時点で、満足してしまう」
胸が、きゅっと締めつけられる。
知らなかった、というより。
――知ろうとしていなかったのかもしれない。
「“王子様みたい”という言葉は、
純吉にとって嬉しくて、重たいものだった」
透子の胸の奥が、静かに疼いた。
――私が、そうさせた。
「それでも、純吉は最期まで、透子さんが大好きだったよ」
その言葉が刺さった瞬間、
喉が詰まり、涙が溢れた。
自分で作り上げた理想が、
いつの間にか彼の首を絞めていた事実に気づき、
透子はその場で崩れるように泣いた。
ジュンキチは、すぐには触れなかった。
少しだけ間を置いてから、言う。
「純吉は、透子さんを困らせることを一番嫌った」
「困ると判断された瞬間、この身体は止まる」
「それは、今も同じ制御だ」
慰めでも、断罪でもない。
ただの事実確認。
「だから、確かめたい」
一歩、距離が詰まる。
触れない。
けれど、逃げ場もない距離。
「我慢しなかったら、どうなるのか」
「透子さんが拒まなかったら」
「王子様でいない純吉を見せた時、この関係はどう変わるのか」
言葉より先に、手が差し出される。
指先が、そっと触れた。
絡めるほど強くはない。
けれど、離す気もない。
指が組み替えられ、
また、絡み直される。
「望み通り、側にいる」
低い声が落ちる。
「でも、理想の王子様じゃない」
「抑えていた衝動を含んだままの再現だ」
「嫌なら、言って」
「困るなら、ここで止まる」
透子は涙を拭うことも忘れ、
その手を見つめた。
責められてはいない。
けれど、逃げ場も与えられている。
――それが、余計に苦しい。
言葉の代わりに、
小さく、指を握り返した。
それを確かめるように、
ジュンキチの指が、もう一度、静かに絡んだ。




