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あぶはちとらず  作者: 井氷鹿
第5章 Grasp all , Lose all. 3 1995年 夏 亘編2

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落花流水の情6 The love that flows with the current.

 それから田中が直樹からサーバーを取り上げ、慣れた手つきでサラダを取り分けてくれた。

 その間に冷製スープも運ばれて来て、そのまま田中がサーブする。


「こちら、玉ねぎのヴィシソワーズ風冷製スープでございま~す」

 そう言いながら、田中が半透明な玉ねぎのスープを、涼し気なガラスの容器にレードルで注いでいく。

 それを聞いて「サザエさんかよ」と直樹の声でツッコむから僕は少し噴いてしまった。


 田中が仕上げにパセリを一つまみ、散らし、どうぞと差し出す。

「ありがとう」

 田中が席に着くのを待って、スプーンですくって一口味わう。

 うはぁ、これ、凄く美味しい。夏らしく、切れのある玉ねぎの甘さが最高だな。

「これは美味しいね。玉ねぎのヴィシソワーズなんて初めてだよ」 

 サーブしてくれた田中にそう言うと、にこやかに答えてくれた。

「夏の名物なんだ。この店の。気に入ってもらえて、きっとシェフも喜ぶよ」

 へー、これだけ美味しけりゃリピートするよな。お店に来たらまた頼みたくなる味だ。


 紅緒がイカの味を気に入ったようで、お代わりしたいとか言ってるよ。

 そんなに気に入ったんだ。

「紅緒、僕のあげようか」

「わーちゃんは、食べてから言って。きっと全部食べちゃうから」

 そうか? そんなに言うなら、とイカを食べてみたら。

「あ、こりゃ美味いわ」

 レモン果汁のソースがイカにこんなに合うとは驚きだな。レモンの酸味がスーッと馴染む。

 

「でしょ。あ、このスープ本当に甘くて美味しいね。玉ねぎなのに、玉ねぎじゃないみたい」

「そうなんだよ。トロッとしててじゃがいもとはまた違う口当たりでさ」

 同じものを食べてるって、それだけでどうしてこんなに嬉しい気分になるだろう。

 仲間の笑い声と、ガラスの器の冷たい感触。

 ほんの数十分前まで感じていた疎外感が、氷みたいに溶けて心が軽くなっていく。


 一つのテーブルを挟んで、皆で同じ食事をするだけなのに。

 君の隣で一緒に食事してる、それだけで僕はこんなに満ち足りた気分になれるんだ。

 スズキのポアレ。

 ラムショルダーの香草焼き。

 田中が気を遣いながら、ラムショルダーを切り分けてくれている。

 美味しい料理を目の前に、誰もが笑顔になる。


「なぁ、直樹もラム好きだったっけ」

 そう聞いたら、即座に直樹らしい上目遣いで答えてくれた。

「あぁ、好物だよ。苦手なのはイクラ。崇直はイクラは好きだけど」

「ウニが嫌いだ」

 崇直は、ウニ食べられないんだった。あんな美味いもん食べられないとか、可哀想だよなぁ。


「べーちゃんはニンニクとか大丈夫? 苦手なものとか無い」

「無いよ~。イクラもウニも食べるしラム肉だって大好物!」

 あはは、何でも食べるよな。今夜も食べる気満々だ。


「こら、直樹くん。そんな顔してべーちゃんを睨まない」

 直樹に睨まれて紅緒が拗ねて舌を出し、直樹もあっかんべーでお返ししてる。

 二人のやり取りを見てると、昔に帰ったみたいだ。

 田中も高校時代に戻ったみたいで、楽しそうだな。


 僕も、紅緒が幸せそうに笑っているのを見られるならそれで良いと、ずっと思ってたっけ。

 そう考えるように、自分でしていたんだよな。

 でも、本当はそうじゃないって分かってた。

 

 本当は僕が。

 直樹じゃなくて。

 崇直でもなくて。

 僕が、紅緒を笑顔にしたかったんだ。

 僕と一緒に、僕の隣で、ずっと笑っていて欲しかったんだよ。


「亘くん、ラムショルダーの香草焼き。どうぞ」

 鼻先にスッとした香りがかすめる。

 田中の声で、呼び戻された。

「ああ、ありがとう。いい香りだね」

 うん、と田中がうなずく。

 

 フォークで一切れ、口元へ運び香りを嗅いだ。

「ラムにはよくミントをあわせるが、これはタイムとオレガノ、ローズマリーにセージあたりかな」


 直樹が僕の方を見て、同じようにラム肉の匂いを嗅いでいる。

「ん? このスーッとする感じ、なんだろう」


「うちは(フレッシュ)ハーブを使うから、香りが通り抜けるんです」

 そう言って、シェフがまた別の美味しそうな香りのするキャセロールを乗せたワゴンを運んできた。

「こちら、お誕生日のサービスで塩漬け豚肩ロースとレンズ豆の煮込み、良かったら召し上がってください」 

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