八
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「ああ、姉さん、ちょいと」
一寸お待ちと涼しい声がかかった。
石清水の点滴をたたえた道ばたの石のくぼみに、我を忘れて跪くと、巳代はその自然の妙薬を一刻も早く飲もうとして、両手を土に支いたところだった。
「はい」
と答えたが不安げに左右を見回して、いま聞こえたのは若い女の声だと気がつくと、頭から水を浴びたようにゾッとした。
いま、ここは、そのようなことばを聞くといった状況にはないのである。
身を固くして、小さくなって竦んでいると、また声をかけてきた。
「それを飲んじゃあいけないよ」
と言う声とともに、衣ずれの音がすらすらと聞こえる。回りこんで左側に佇む気配がしたから、巳代は恐る恐る顔を上げて、ひと目見てハッとした。しかしその女は、探し求める令室よりもいくぶん小作りで、歳も二つ、三つ若そうである。しかも顔つきがやや丸いのが若さを感じさせて、目はぱっちりと大きく、眉はくっきりと、鼻筋は通り、頬はすっきりとして、撫で肩の背後に黒髪をサッと流している。紫の襟を深く合わせ、まるで黄昏に見る藤の花のような単衣に、同じ色のやや薄い無地の扱帯を無造作に纏っていたが、その身のこなしに品のよさを感じさせる。
懐に差し入れた右手の、雪のような腕の二の腕あたりを惜しげもなく晒しつつ、しなやかにかざした左手には、片方の眉がなかば隠れるまで片頬にかけられた、洗い髪の艶が映る、空薫の薫りを込めた真っ白な手ぬぐいが支えられて、岩の襞に砕けて射返す、まばゆい夕陽の光を遮っている。
うつむいて伏し目に見ながら、悠然として立ったその風采に、見上げながら令室の面影を伺う身である巳代は、ひたすら神々しさを感じるばかりであった。
ことばには言い表せぬ威厳を感じて、巳代は思わず手を支いたが、求めれば与えられ、取りすがれば抱き寄せられ、悲しければ慰められ、詫びれば許される神々しい存在にも思えたので、
「どうぞごめん遊ばしてくださいまし。取りのぼせておりましたものでございますから、それに悲しくてやりきれない気持ちになっておりましたので、つい、断りもなしに水を頂こうとしました。ご挨拶を忘れましてすみません」
麗人はこれを聞くと、片足を後ろに引き、胸をやや反らして、にっこりとすると、
「なにを言うんだい。こんなところにある清水を神様のものだって思ったのかい。鳥や獣でさえ、飲みたければやってきて、勝手に飲みますよ。まるで子どもみたいな、可愛らしい人だねえ」
そう言っている人自身が、かえって尊いばかりにあどけない。
巳代はいっそう感じ入って、
「恐れ入ります」
「そうじゃないの。いまこの水でね、私が髪を洗ったから、それだから飲むのはおよしと言ったの。叱ったわけではないのだよ」
「えっ、お髪をお洗い遊ばしたのですか。それなら気にはいたしません。一口いただかせてくださいまし」
「およしなさい。申し訳ないから。それにね、どんどん流れるのならいいんだけれど、こぼれて水が入れ替わっているわけでもないから」
「いいえ」
「あれ、それを飲むと、お前、お腹が大きくなりますよ」
と、世にも気高く微笑みながら、力なげで、哀れげで、恥ずかしそうな巳代の顔を、あちらこちらからしげしげと見つめて、
「ひどく苦しそうになさってるよ。それにお前、よくこんなところまで来られたことね」
「はい」
「一人で来たのかい」
「いいえ、一人になりましたのでございます。剣村と申しますところまでは三人がつきまとって参りましたが、それからは一人だけ……ついこの四、五町先の、恐ろしい大きな岩が門のようになっておりますところまで、離れないでついてきました。私はどうせ最初から、死にましてもいいつもりで参りましたけれども、それでさえあそこから入りますのが恐ろしかったのでございます」
と、巳代は語りかけて呼吸をついた。




