七
七
やがて層状をなした大きな丘の上に、まず巳代の姿がよろめいて現れた。疲れて萎えたような単衣の襞は、蛇紋岩というのであろう、その岩の色を映して蒼く染まり、雪のようなつま先には、血さえ滲んでいる。続いて現れたのは、巡査である。
さて、ここまでの道中ではものに遮られて見えなかったが、この場所からは早朝から正午にかけて通り過ぎた川沿いの村々が見渡せる。村のある場所は、その森ばかりがちらほらと、数えれば七つにおよぶ。遠い方にある村のあたりは一面に荒海の波を描くようで、凹凸状の起伏が一里あまりに及んでいる。その様子はまるで湯の山が、裾に海松の房を思わせる陰影を描きながら、覆いかぶさった幕を引きずっているかのようで、そこに散らばった村々の外れと、それらを繋ぐ畷道を歩いているうちは、剣村まで縦にまっすぐに連なっているように感じたが、ここからそれらを目で追ってみると、実際は七つの角をもったギザギザの進路であった。
後朝川の流れの末に朝六ツ橋が架かったあたりが、市の南の端に最も近いところにある燧村の先に見えているのだから、これまでたどってきた道は燧村のあたりから、前方にある湯の山の裏手方向に輪を描いて迂回していくかたちに登っていたということになり、そのため最も遠いはずの燧村が眼下に近く見えて、近いはずの剣村が最も遠いところに見下ろされる。
岩角にすがりつきながらこの間道をよじ登っていくと、細くてとっかかりのない柊の枝を渡るかのような一筋の険路は、谷川とともに足もとの下へと遠ざかっていく。じりじりと鳴く蝉の声は、暑さで焦げついているかのようだ。見える限りの市も村も、コンパスの軸をくるりと回すように回転するのを目にすると、岩を登っている自分が静止して、山を乗せた一連の地盤が次第に目前に迫り来るような錯覚に襲われ、あたかも湯の山の入り口だという千枚岩のほうからこちらに近づいてくるかのようである。
俗に青鬼と呼ばれて恐れられている、この蛇紋岩の頂きに佇んで、変幻する風景のすさまじさを目のあたりにした巳代は、めまいを起こしてふらつきながら、ああ、令室もこんな悪路を辿ったのかという思いが頭をよぎったりもしたが、ほとんど我を忘れて登っているうちに、自分の意思で足を運んでいるとも思えなくなっていた。
遠景に点在する村々の七つの森は、一歩前に進むたびに、じきに灰色の岩の屏風に隠れた。流れの水面はあっという間に下へと遠ざかっていく。岩はますます大きく、山はいよいよ高く見えたから、島田髷の鬢をほつらせて、つま先を血で染めたままの巳代の姿は、しだいに小さくなっていくかのようだ。日よけの白布を横向きに帽子の下にかぶって、縄尻を握ったままの背の高い巡査の身体も、岩の割れ目に吸われていくかのようで、細く、かすかなもののように見えてくる。
時刻は午後三時になった。白い太陽は対岸の険しい頂きに落ちて、山はまるごと赤い火に包まれたかのよう。岩々は、緑と黄が混ざりあい、朱と青が溶けあいながら色鮮やかに映えて、その姿が灰色と墨色になって、逆さまに水面に宿っている。
まさに色彩をほどこした山門ではないかと思えるような岩を辿り抜けると、道はやや角度を減じてなだらかになり、水も練り絹のようにすらすらと流れていた。一町ほどは、あたりも静かで、両岸は左右に広く開いて、山間の窪地が楕円形の谷を一つ、縦に抱きこんでいるのが見えた。ここでは、とりわけ頂が両側から接するように天高く聳えていたのだが、日の光も遮らず、冷たい風もサッと吹いている。その突きあたりにある山の狭間は、一見したところ人一人の身を横にして通れるくらいの幅しかなく、わずかに明るく開いている。それこそが、自然が築き上げた巌の城門、湯の山の入り口となる千枚岩なのである。
この近辺で物静かに安らいだ場所といえば、いまくぐり抜けたばかりのまばゆい色彩の岩の木戸と、行く手を塞いだ千枚岩との間に位置する、わずかにこの谷間ばかりである。
千枚岩の向こう側からは、幾門もの大砲を絶え間なく撃ち続けるかのような、耳をつんざく叫びかと思える水の音が聞こえて、ドロドロと怪しく虚空に響き、そもそもその先にどんな岩が、滝が、深く激しい流れがあるのか、見当もつかない。
水気を含んだ冷ややかな一陣の風が吹き、巳代の裾や袂を打ちなびかせたときだった。巳代を背後から追い立てながらこの谷の半ばを過ぎ、巨大な湯の山の門に近づくにつれて針よりも細く小さく見えていた巡査は、あまりにも厳めしい山の姿を仰ぎ見たとたんに後ずさりをして、茫然となって歩みを止めた。巳代は生きた心地もせずに、うなだれるばかりだった。




