六
六
巡査はにやにやと気どった笑いを浮かべて、
「どうだね、だれもこんなところに来やしない。大丈夫だよ、おい」
と、巳代の背中をぐいぐいと突く。
巳代は身をよじらせて、
「知りませんよ」
「ちぇっ。そんなふうに意地を張ってばかりだから、貴様はせっかくの話を台無しにする。そんなに僕を敵役のように思わんでもいいだろう。好き好んで奥さんの捜索をやってるわけじゃないって、そう言ってるんじゃないか。わからないかな。ええい、巳代さん、もともとお屋敷の御門内に詰めている僕だから、どんな気立ての男だかも知ってるだろうし、普段の振る舞いを見てれば、僕がどんな気持ちなのかもわかってるだろう。しかもお前さんは利口な女だしさ。まあ、二人で気の利いた二階屋でも借りようじゃないか。よっ、おい、黙ってちゃあわからんよ。こら」
と、いきり立って、威張り散らす。
巳代はただもう、口惜しいから、
「いやですよ!」
「うむ、勝手にしろ」
と、いきなり突き飛ばすと、巳代は脚をふらつかせ、うつむけに転びそうになって、とっさに杖にしていた蝙蝠傘の柄を胸に押しつけたが、傘は弓なりに曲がって、白い柄が付け根からポキッと折れた。堪えきれずにそのまま岩へ倒れようとする身を、巡査は捕り縄の端をぐいっと引いて取り留めた。
巳代はキッとふり向いて、
「あなた、非道い、あんまりだわ」
と、激しい息の下ではっきりと言う。
「歩け。こうなりゃ追い立てるだけだからな」
と、巡査はなかば脅しつけて、また薄笑いする。
巳代は、顔の筋が緩んだような相手の顔をじっと見ていたが、やがて気抜けした表情になると、嘆かわしいといった微笑みを浮かべて、
「関さん」
「ええっ」
と、巡査は意外だという顔をして、しばらく黙っていたが、
「名前で呼んでくれるとは嬉しいじゃないか。近頃珍しい。旦那なんて呼ばれると、あなたにそんな呼ばれ方をされたくないと怨んでたんだがね」
「そりゃそうですよ、人を罪人扱いなさるからですよ」
「君がそんな態度だから、まったくやむを得ずやってたことだ。それでなにか、関さんなる者に御用があるのかね」
「あの、私は本当のことを申し上げますがね。今のような非道いことをなさるような方は、殺されても嫌でございますけれど」
ほっと切ない呼吸をして、
「あの、なんですよ、私もお願いがございます」
「へい」
「いや、なんですがね、それを聞いてくださいますか」
「もちろん」
と、やや激して答えた。
「ほかでもありません。お願いですから。私はこの先に参りましたら、きっと令室にお目にかかるでしょうと思っているんですよ」
「まあ、そんなところだろうね。それで?」
「私はもうもう、お慕わしくって、ひと目お顔を見ませんうちは、死んでも死にきれませんような気がしますの。それですから、こうやってひどい道を行きますのも、ちっとも苦にはなりませんけれど、もしあちらに着いて奥さまがおいで遊ばしたとしても、もしかしてお屋敷に帰りたくないとおっしゃったら、それが貴方のお役目でしょうけど、どうぞ大目に見てあげてくださいな。そうすりゃ私はなんなりと、あなたのなににでもなりますわ」
と、偽りなき心の裡が瞳を通して透けて見えるかのような、その澄んだ眼をぱっちりと見開いて言った。
さてその約束を守るかどうかは別として、目の前にいるか弱い美女を、生かすも殺すも俺様次第だという状況にあることを、巡査は即座に解したようで、
「そうなったらそのときさ。とりあえず承知したから、奥さまのことは心配しないでいい。しかしお巳代さん、お前の心がけ次第だからね」
「はい」
「湯涌谷までもうちょっとだ。ああ、辛いもんだね」
「殿方のくせにそんな弱音を吐いて。私でさえそんなふうじゃないですもの」
巳代は行く手の崖を仰ぎ見ながら、勇ましげな様子で身を立て直したが、なんとなく都合が悪そうに辺りを見回している。
「おや、気の毒なことをした。なに、それならいくらでも僕が杖の代わりになるよ」
「そんなことよりどうぞ、もしかして蛇が出ましたら助けてくださいまし。私はただそれだけが気になって仕方がないのでございます」
「蛇か、うん。ここいらは蛇がうじゃうじゃいるところだ。しかも媛神社の女神様のお使いだといって、色の真っ白なのがずらりと繋がっているそうだ。お前さんの立っているその岩にだって、向こう岸からひと目見たらば、根もとのあたりに列をなしてるんだ」
「ええっ!」
と、巳代は思わず巡査に身を寄せた。
「おっと、そうこなくっちゃ」
と巡査はさっそく巳代の手を握り、なおかつ縄の端を離そうとしない。




