三
巡査は声の調子を上げながら言葉を継いだ。
「実際にあの晩、市中から移動したのは、まず奥さま、そしてその騎兵と鉄砲一挺だけです。そのほかには警察へ、煙草入れの遺失届一つ届いていないんです。僕たちのほうでそれほど捜査をし尽くしていりゃあ、見落としもなし、そのほかに見当のつけようもないんですからな。ともかく巳代の言うことを信じるより仕方ありません。何度も言ったことですが」
といいながら、腕の底に残った二匹ばかりの鮎といっしょに飯の上に汁をぶっかけたが、脇見をしながらしゃべっていたので、汁がこぼれかかった指を舐めて、
「飯にしてはどうです。日は長いが、まだ先も長いことですし」
「飯にするかな。いや、どのみちここまで繰りだしたんだから、突きとめるまで行ってみるつもりなんだがね、このとおりだ」
と、執事は身を伸びあがらせて窓の外を見た。ぶち砕かれたような大岩が目の前に鎮座して、川の流れに押っ被さるように連なっていたが、土が附着して土塀のようになっているわけではなく、草も生やさずに、日の光を浴びてキラキラと輝き、ぱっと見は大きな炎の塊のようである。
「どうです。ここから上流へどこまでも川を伝っていくんだというじゃありませんか。それでも水の流れがあるから、どうにかこうにか命に別状はないようなものの、これが野原ででもあってごらんなさい。どんな英雄だってたちまち卒倒しちまうよ。とはいえ媛神社の前から表通りの本道を行ったとしたら、ずっと迂回してこの先、手酷い田舎道を三里も歩くことになる」
「だからちょっとばかり苦しくったって、川沿いの間道を行くのです。軍曹、軍曹もやっぱりこの出撃にご賛成なのでしょう?」
「さればじゃ……」
と、なにを見ているわけでもなく、軍曹は顔を真っ正面に据えて、肩を揺すった。
思いがけず巳代が、キッと顔を上げた。活き活きとした物言いで、
「どうぞ近道になさってくださいましな」
「もちろんだよ」
と巡査はすぐに答えたが、執事はただ黙然として、窓のあるほうに傾けた髯の先がもうちょっと長くて岩に触れたらじりじり焦げるとでも言いたげに頬を手でかばいながら、すっかり気力を失った様子である。
軍曹も生あくびをして、両脚をぐいっと投げだすと、
「わしは出撃するより、この場で潔く討ち死にしたいぞ」
「まだ飲み足りないんでしょう」
と執事は、手のひらを頬から下に回して、仰向けた顎をそろそろと撫でている。
そんな二人の様子を、巳代は手をついたまま、澄んだ目を見開いて見つめていた。
「ははあ。戦いはすべて酒と糧食の調達にかかっているようだ」
「どうだ」
と、聞かれて巡査は、
「どうだと言われたって、しかたがありませんな。二人とももう歩くのが嫌になったんでしょう。いいかげんくたびれ果てたところに、この暑さで、おまけに悪い酒をがぶ飲みしたとなると、たまったもんじゃありませんです」
「いや、どうにもならぬとは、さて困った。頭痛は酷いし、戸外にちょっと顔を向けただけでも、焼灰をかぶるようだ。恐ろしいこった」
「万事休す。わしはもう討ち死にじゃよ」
と言うと軍曹は、梁から落ちた蛇のようにどたりと仰向けに寝転がる。するとまた蛇のように、尻と肩をどたどたとくねらせながら巳代のほうにすり寄って頭を押しつけると、
「酔ったぞ、膝枕でもさせぬか。蠅除けに蚊帳を吊って、ここでごろ寝をするのはどうじゃ」
「軍曹殿は敗軍となりましたな。私もこりゃ野武士に鎧を剥がされて、負けを認めたくなってきた」
巡査は茶を注ぎながら、また苦笑をしている。
「手もつけられん。だから酒を飲むのはおよしなさいと言ったのに。そもそも軍曹なんぞは、自分から志願して捜索に加わったんじゃないですか」
「あの、皆さん、まことに済みません。なんでございましたら私一人で参りましてもいいのでございますよ」
と、巳代が声をかけた。
「馬鹿なことを。貴様に逃げられてたまるもんか。一人で遣っていいくらいなら、はじめからだれもついちゃあ来んわ。つまらぬことを……冗談も休み休みに言え」
と、すこしも取りあわない。
「じゃあ、こうしましょう。そのへんのことはまた後でどうにかしていただくとして、よろしいですか。いつもお世話になっている僕だ、お二人はここで休んでおいでなさるがいい。僕はどうせ悪路を行く準備をして来たくらいですから、構いません、一人で巳代を連れて行きます。どうです、昼寝でもして、よろしいですか、ゆっくり待っていてもらいましょう」




