十四
十四
「お前も知っておいでだろう。その騎兵の家も立派な豪家だったが、そうやって罪に罪を重ねたので、親はなし、留守を守る者もなし、親類縁者も悪い者ばかりで財産目当てに寄ってきたから、十年がたったころには、田畑も家も人手に渡ってしまった。
ようやく去年になって、ある方がご覧のときに射的の腕前を見せて罪を許されたが、故郷に帰っても住む家もないものだから、ああやって人の二階に下宿して椀車を曳いて暮らしていた。すると、お前の屋敷の逗留客に大勢のお供がいるなかに、軍曹が一人いるだろう、このあいだその男と道すがら出会った。
その軍曹が騎兵の顔を見ると、忘れもしないで、やっ、この卑怯者、まだ生きていたのかと言って、足を一発、蹴飛ばしたんだそうだよ」
麗人のことをじっと見ながら、固唾を呑むばかりで口もきけずにかしこまっていた巳代は、やっとの思いで、
「ええ、それは私も存じております。園遊会とやらの御馳走がありましたその当日、お庭の池のふちの大きな藤棚の下に椅子を置いて、旦那さまとお客様と、そのお供の軍曹とがテーブルを取り巻いて、ビールを召し上がっていらっしゃいました。旦那さまの申しつけでございますから、奥さまも椅子にかけてお客の傍に引きよせられて、仕方なしにといったふうにしていらっしゃいます。私も軍曹の傍に立たせられておりましたとき、いかにも武勇伝を披露するといった様子で、隊にいた、名は言わんでも卑怯者だといえばわかる、車夫をしている奴に出くわしたから、向こう臑を蹴り折ってやったと話しました。
それを聞いたお客と旦那さまが、それは愉快じゃと申しますとね、町長さんだの、区役所のお役人だの、学校の教員さんだの、みんな折箱を提げてうろうろと背後のほうから取り巻いておりましたが、一斉にドッとなって、軍曹万歳と喝采しました。あんな調子っぱずれな声は、お池の金魚だって呆れます。岸のほうにいた鴛鴦がさっさと逃げたのでございますもの。
可哀相に、と、ほとんど口をお利きにならなかった奥さまが、あんまりだとおぼし召したのか、そうおっしゃいますとね、さっそくお客様がそれを懲らしめた。いきなり奥さまのお手をつかんで、君の細君として似つかわしくもないことを言う。こりゃいかん、三年ばかりわしに貸さないか。精神を叩き直してやろうと申しました。内輪の話で奥さまをお貸ししようなどと言って、ご機嫌取りでもされていたのでしょう。ご自分の奥さまの手を握られたのに、旦那さまは嫌な顔もなさいませんで、よかろう、などとおっしゃったではございませんか。
奥さまはすぐにその場を離れましたが、じきにまた、雪、雪と呼び戻されるものですから、私はもう……」
「ああ、そうだろう。ただでさえお雪さんが動揺していた、そんなときにその騎兵が通りかかってね……。
そのときは足に包帯を巻いていたそうだよ。
怪我をしていては車夫の仕事もできずにいた騎兵は、以前に家が栄えていた頃の檀那寺のお上人が、医者にかかることもできないだろうと助けてくれたお金で療治をしていた。それでも、なにもしないわけにはいかないと、古浴衣に帯なんかの汗になって汚れたのを小桶に入れて、男だから人目を避けて、お前の家の花火が終わって橋の上や袂から人がみんないなくなったころを見計らって、婦人たちのするように、後朝川の柳の下で洗濯をしようと、痛い脚を引きずって、橋の手前にある、あの魚屋の前を通ると、売れ残った鮎があることにふと気づいたんだってさ。
値段を聞くと魚屋が、これは鮎というものじゃ、車夫などに手が出せるものではない。代わりにこれを安くしてやろう。なんという魚だか名は知らぬが、美しくって活きていると、つかみ出してその人の目の前に突きだしたのが、姉さん、この魚なの」
と、籠のなかを指し示した。緑に朱の模様が入った魚は、麗人の早業によって、すでに三尾も横たわっていたのである。
「そんな扱いをされて腹を立てることもなく、おとなしく魚を小桶のなかに受け取って、しょんぼりと橋のところまで来て、そこから流れのところまでまで下りようとすると、あのね、葉柳の枝が茂って、ひたひたと浅瀬の水に触れているのが、まるで人がいて、昼間と同じように洗い物をしているように聞こえたの。
この音は向こう岸にまで響いて、お雪さんも耳を澄ましていた。
そのあたりに桶を抱えてね、遠慮深い人だから、柳の下はだれかの邪魔になるかもしれないからと、流れへ下りる石段は、お前の屋敷の裏にもあるから、あそこから下りようと思って、橋を渡って行ったんだよ。
『もし』
と声をかけられた男がびっくりして見ると、美しい奥さまだった。闇夜だというのに見えたのは、後朝川の川水がたたえた光が、縁のある相手を男の目に映してくれたからかもしれない。男はただただ恐れ入って、無遠慮の詫びをした」




