表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
泉鏡花『きぬぎぬ川』 現代語訳  作者: らいどん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/16

十四

十四


「お前も知っておいでだろう。その騎兵の(うち)も立派な豪家(ごうか)だったが、そうやって罪に罪を重ねたので、親はなし、留守を守る者もなし、親類縁者も悪い者ばかりで財産目当てに寄ってきたから、十年がたったころには、田畑も家も人手に渡ってしまった。

 ようやく去年になって、ある方がご覧のときに射的の腕前を見せて罪を許されたが、故郷に帰っても住む家もないものだから、ああやって人の二階に下宿して椀車(くるま)()いて暮らしていた。すると、お前の屋敷の逗留客(とうりゅうきゃく)に大勢のお供がいるなかに、軍曹(ぐんそう)が一人いるだろう、このあいだその男と道すがら出会った。

 その軍曹が騎兵の顔を見ると、忘れもしないで、やっ、この卑怯者(ひきょうもの)、まだ生きていたのかと言って、足を一発、蹴飛ばしたんだそうだよ」

 麗人(たおやめ)のことをじっと見ながら、固唾(かたず)を呑むばかりで口もきけずにかしこまっていた巳代(みよ)は、やっとの思いで、

「ええ、それは私も存じております。園遊会とやらの御馳走(ごちそう)がありましたその当日、お庭の池のふちの大きな藤棚の下に椅子を置いて、旦那さまとお客様と、そのお供の軍曹とがテーブルを取り巻いて、ビールを召し上がっていらっしゃいました。旦那さまの申しつけでございますから、奥さまも椅子にかけてお客の(そば)に引きよせられて、仕方なしにといったふうにしていらっしゃいます。私も軍曹の傍に立たせられておりましたとき、いかにも武勇伝を披露するといった様子で、隊にいた、名は言わんでも卑怯者だといえばわかる、車夫をしている奴に出くわしたから、向こう(ずね)()()ってやったと話しました。

 それを聞いたお客と旦那さまが、それは愉快じゃと申しますとね、町長さんだの、区役所のお役人だの、学校の教員さんだの、みんな折箱(おりばこ)を提げてうろうろと背後(うしろ)のほうから取り巻いておりましたが、一斉にドッとなって、軍曹万歳と喝采(かっさい)しました。あんな調子っぱずれな声は、お池の金魚だって(あき)れます。岸のほうにいた鴛鴦(おしどり)がさっさと逃げたのでございますもの。

 可哀相(かわいそう)に、と、ほとんど口をお利きにならなかった奥さまが、あんまりだとおぼし召したのか、そうおっしゃいますとね、さっそくお客様がそれを()らしめた。いきなり奥さまのお手をつかんで、君の細君として似つかわしくもないことを言う。こりゃいかん、三年ばかりわしに貸さないか。精神を叩き直してやろうと申しました。内輪の話で奥さまをお貸ししようなどと言って、ご機嫌取りでもされていたのでしょう。ご自分の奥さまの手を握られたのに、旦那さまは嫌な顔もなさいませんで、よかろう、などとおっしゃったではございませんか。

 奥さまはすぐにその場を離れましたが、じきにまた、雪、雪と呼び戻されるものですから、私はもう……」

「ああ、そうだろう。ただでさえお雪さんが動揺していた、そんなときにその騎兵が通りかかってね……。

 そのときは足に包帯を巻いていたそうだよ。

 怪我をしていては車夫の仕事もできずにいた騎兵は、以前に家が栄えていた頃の檀那寺(だんなでら)のお上人が、医者にかかることもできないだろうと助けてくれたお金で療治(りょうじ)をしていた。それでも、なにもしないわけにはいかないと、古浴衣(ふるゆかた)に帯なんかの汗になって汚れたのを小桶(こおけ)に入れて、男だから人目を避けて、お前の(うち)の花火が終わって橋の上や(たもと)から人がみんないなくなったころを見計らって、婦人(おんな)たちのするように、後朝川(きぬぎぬがわ)の柳の下で洗濯をしようと、痛い脚を引きずって、橋の手前にある、あの魚屋の前を通ると、売れ残った(あゆ)があることにふと気づいたんだってさ。

 値段を聞くと魚屋が、これは鮎というものじゃ、車夫(くるまや)などに手が出せるものではない。代わりにこれを安くしてやろう。なんという魚だか名は知らぬが、美しくって活きていると、つかみ出してその人の目の前に突きだしたのが、姉さん、この魚なの」

 と、(かご)のなかを指し示した。緑に朱の模様が入った魚は、麗人(たおやめ)早業(はやわざ)によって、すでに三()も横たわっていたのである。

「そんな扱いをされて腹を立てることもなく、おとなしく魚を小桶のなかに受け取って、しょんぼりと橋のところまで来て、そこから流れのところまでまで下りようとすると、あのね、葉柳(はやなぎ)の枝が(しげ)って、ひたひたと浅瀬の水に触れているのが、まるで人がいて、昼間と同じように洗い物をしているように聞こえたの。

 この音は向こう岸にまで響いて、お雪さんも耳を澄ましていた。

 そのあたりに(おけ)を抱えてね、遠慮深い人だから、柳の下はだれかの邪魔(じゃま)になるかもしれないからと、流れへ下りる石段は、お前の屋敷の裏にもあるから、あそこから下りようと思って、橋を渡って行ったんだよ。

『もし』

 と声をかけられた男がびっくりして見ると、美しい奥さまだった。闇夜だというのに見えたのは、後朝川の川水がたたえた光が、(えん)のある相手を男の目に映してくれたからかもしれない。男はただただ恐れ入って、無遠慮(ぶえんりょ)()びをした」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ