視える場所
外の街灯が寝室を少し照らしていたので、部屋の明かりをつけなくても、ハルの目にはタカの表情が少し読み取れた。
「タカさん。せっかく母から聞いたのに、覚えてないって笑えますよね」
ふふっとまた笑い、少し俯き加減にハルが言った。
そんなハルを見て、タカが言う。
「人間って、うまくできてますよね」
「え?」
「自分を守る力、すごいなって」
そう言ってタカもハルと同じように、目線を下にずらした。
「ああ……そうですね」
「まるでもう1人の別の自分が、心の中にいるみたい。ははは」
ハルは、タカの言っていることがわかるような分からないような、そんな感情でタカを見た。
「……」
タカが顔をあげ、心配そうな表情でハルに聞く。
「ハルさん、僕が聞きましょうか?ハルさんのお母さんに」
「えっ!いやいや、そこまでしなくて大丈夫です。というかそれをしてもらうくらいなら僕また母に聞きますし。それに……それに、また聞いても忘れそうな気がします。だから、これ、僕の中をどうにかしないとって思うんです」
「……そうですか」
「はい」
「まあ確かに、今はハルさんの体の反応をちゃんと読み取って行動したほうが良さそうですね」
「はい。そういえばタカさん、時間大丈夫ですか?あっでもまだ20時……か」
ハルがスマホをちらっと確認して言った。
「ああ、大丈夫ですよ。ぐっすり寝たし夜中まで付き合いますよ。なんなら朝まで起きていられますし」
「いやいやいや!そんな時間はかからないと思います!そんなそんな……って、どれほど時間かかるか分からないけど」
「あはは。とりあえずあのCD、また聴きましょう」
「はい!あっ、お水も持ってきますね」
「ありがとうございます」
ハルが水とCDプレーヤーを持って寝室に戻ってくる。
寝室の明かりをつけ、カーテンを閉めた。
「向こうの部屋に行きますか?」
「いや、ここでしましょう。また体調崩れたりしないか少し心配ですし。ベッドが近い方が」
「ああ、そっか。分かりました」
「そうだ、ハルさん。この音源、データで僕に送ってもらうことってできますか?」
「ああ、いいですよ。あとで読み込んでメールで送ります」
「ありがとうございます」
「いえ」
「ハルさんはそういうの、詳しそう。パソコンとか、機械系というか」
「あ……まあ、多少は。そういう仕事してたから」
「へえ、すごいですね。僕は全くなんです」
はははっとタカが笑って言った。
「あの。タカさんこの曲、気に入った……とかですか?」
「あ、いや。お兄さん、これを毎日聞いてたみたいなんですよね」
「えっ」
「あ、そっか。言ってなかったですね。サエちゃんが、お兄さんは昔の音楽をよく聞いてたって。僕それ知らなかったから、サエちゃんがわざわざピアノ弾いてくれて教えてくれたんですよ」
「このピアノの音だったんですか?」
「はい。サエちゃんが教えてくれた音とこのCD、音色がそっくりだから」
「へえ……」
「はい」
ハルはタカの表情を一瞬確認した。
「前にタカさんとこのCD聞いたとき、両親の思考のようなものも、感じたんです。2人の怒号と、言葉もいくつか。断片的に。肝心の父から言われた言葉は聞けませんでしたけど」
「ハルさん確か、思い出して会話が耳に残って……って言ってましたよね」
「はい。あのとき、聞こえたんです」
「え?」
「両親の怒鳴り声を思い出したって言ったらそうなんですけど、あのCDを聞いた時に、直接両親の当時の声が聞こえた……っていう感じです。すみません、説明が下手で」
「ああ……」
「分かりにくいですよね」
「あ、いや、大丈夫。そっか。それはちょっと僕の目の感覚と似てますね」
「えっ、そうなんですか?」
「はい。僕も何か視えるとき、それが過去を思い出しただけなのか、それともいま視えてる映像なのかって、自分で違いは分かるけど、人には説明しにくいから」
ハルが目を丸くして、きょとんとした表情でタカを見つめる。
「あはは!僕の理解があっていれば、ですけど、僕の視え方とハルさんの耳の感じ、似てると思います。あ、そうだ。お兄さんが僕に見せたのは、ハルさんの姿だけじゃなくて、過去の僕とお兄さんの姿もだった話、覚えてますか?」
「はい。覚えてます」
「それ、僕が昔の記憶を思い出した映像では?とも考えられますよね。でも違うんです。思い出すときの映像と、目の奥で視る映像は違うから。感覚的なことだから説明しにくいですよね。思い出して頭に残ってるわけじゃなくて、その時点で視えたから頭に残る。この違い」
「ああ!それ!そんな感じです。嬉しい……そんな感じなんです」
「はは、よかった。こういうの理解しあえるの、良いですよね」
「はい。めちゃくちゃ嬉しいです。あの、それと……」
「それと?」
「昔の兄の姿も、視えたんですよ」
「えっ、目の奥で?」
「はい」
「へえ」
「……」
「そっか、そうですよね。ハルさんはこれまでにも僕が見せた映像を視えたわけだし、そもそも目も耳も、思考も感じる子供だったから、そうですよね」
「……はい。そうみたいです」
「あっいや、良かったですよ。良かった。やっぱりどんどん機能が回復してきてる。元の自分に近づいてますよ」
タカがにこっと笑って、ハルから視線をそらす。
そんなタカを今度はじっと見たまま、ハルが言う。
「タカさん」
「はい」
「……タカさん、今度は僕と、逆のことしてみませんか?」