僕の感情じゃない
2人でケーキの箱の中を覗き込む。
「わあ」
「お!やっぱり」
「これ、タルトですか?」
「アップルタルト、アップルケーキ……なのかな?僕も正式名はわからないですけど、アップルパイって言ってます。この前サエちゃんとアップルパイの話出たんです」
「美味しそうですね」
「ね。切りますね」
小皿に取り分けされたパイを、ぱくっと口に入れるハル。
「どうですか?美味しいでしょう」
そういってタカも一口食べる。
「うん、これこれ。この味、久しぶりだな~うまっ」
「……」
「ん?ハルさん?」
ハルは咀嚼をしながら眉間に皺をよせ、神妙な面持ちになっていた。
「あの……」
「あれ、思ってた味と違いました?」
「違います、あ、そういう違うじゃなくて。美味しいです。すごく美味しいんですけど、なんか嬉しくて」
「そっか、よかったです」
「違っ……その嬉しいじゃなくて。これ、なんか変です」
「え?」
ハルが自分の胸あたりを何度も指差す。
「僕の……感情じゃない気がして」
「……ん?え?どういう意味ですか?」
そう言ってハルは、口の中のパイをごくっとすべて飲みこんだ。
「すごく嬉しいんですけど。あれ、なんでこんなに嬉しいんだろう。あはは」
「……」
「タカさん、すみません。もう一度食べてみてくれませんか?」
「え?あ、はい」
パイを食べるタカをじっと見つめながら、ハルが言う。
「なんだろう、タカさん見てると嬉しい。うまく説明できないんですけど。僕も美味しく感じてるし、嬉しいですけど」
「ハルさんの感情じゃないってことは……、え、もう少し詳しく説明してもらえますか?」
「これ……食べた瞬間に、よくわからないけど急に込み上げる気持ちが出てきて。この感覚、前にタカさんとCD聞いたときと似ている気がします」
「え……?」
「自分とは違う、誰かの感情に気づく、というか」
「あの時、確かご両親の会話が聞こえたと言ってましたよね?」
「はい。でも、あの時タカさんに言ってませんでしたけど、僕ではない誰かの、たぶん両親のひどい感情みたいのも入り込んでて」
「あ、そう……だったんですね」
「はい。僕の勘違いかもしれないから言わないでいたんですが。いま感じでるの、その時のと似てます」
「……」
「すごく、もぞもぞする。あの時は怒りとか辛いとかでしたけど、今は嬉しい感情……あ」
ハルの呼吸が少し荒くなる。
「どうしました?」
「タカさんが前に僕に見せてくれた時のこと」
「あ……あのとき……そうか。そうでしたね。視えただけじゃなくて、僕の感覚伝わったんですよね」
「はい。とてつもなく幸せな……感覚に包まれて……。そのときのと今のこの感覚、似てます」
「……そうですか」
「はい。これってその……」
「思考が入ってくるようになった」
「……はい」
ハルの目に、少しずつ涙が溜まり始める。
「ってことはサエちゃんか」
「たぶん。え?サエさんってもしかして……」
「いや、違います。サエちゃんは僕たちのような、そういう人間じゃないです」
「え、じゃあ……僕が何か感じ取っ……あれ?このパイ、ですか?」
「ハルさん、ちょっとフォーク置いて」
「あ、はい」
「耳とか、手の痺れはないですか?」
「ないです。それは大丈夫です」
タカがふうっと息を吐き、笑みを浮かべて言う。
「よかった。サエちゃんがね、これ渡してくれる時に言ってたんです。ケーキ作るの楽しかったって」
ハルが、タカの目を見た。
「ケーキを作ることが楽しかったんじゃないんです。サエちゃんにとって、僕とハルさんにケーキを作ることが楽しかった、という意味です」
「……」
「ハルさんは気づいてないかもしれないけど、ハルさんはサエちゃんの背中を優しく押してあげたんですよ」
「え……?」
「サエちゃんは今節目にきているから。ずっとケーキを作るのが大好きだったのに、ケーキを作るとヒロを思い出す。それでもたまに作ってたとは言ってたけどね。でも今回は僕と……というかハルさんの存在が大きい。ハルさんにケーキを作ることができて、嬉しく感じた。サエちゃん、ケーキを作る楽しさを思い出せたんじゃないかな。この意味、分かりますか?」
その瞬間、ハルの目から涙が溢れ出した。
「えっ、あ、ちょっと。なんだこれ」
「ハルさん」
「あっ、すみませんタカさん、自分でもよくわからなくて。また涙が勝手に」
「ハルさん、大丈夫ですよ。無理に止めなくていいですから」
「あはは、どうしてこんな……かっこ悪いです」
「大丈夫」
「自分の感情と、サエさんの感情と……この涙、嬉しくて出ているのかな……分かりません」
ハルが鼻をすすりながら続けて言う。
「タカさん」
「うん、大丈夫。分かってるよ」
泣きながら、笑いながら、ほんの少し苦しそうな表情でタカの目を見るハル。
そして目を閉じて、右手の甲を口と鼻に押さえつけ、左手で自分の心臓あたりを何度も指差した。
「うん、大丈夫。大丈夫だよ」
タカはそう言って、ハルの涙が溢れ出すのを、じっと見つめていた。