再生ボタンが押せない
2日後の土曜日、ハルは実家である母の家へ向かった。
久しぶりに行く地元の雰囲気に触れ、少しだけ気持ちが緩んだ。
「ただいまー」
「あ、おかえり」
「電話で話したもの、どこ?」
「うん、あんたの部屋にまとめておいたよ」
「ありがとう」
「あ、ねえ、今日はどうすんの?泊まってく?」
「うん。明日帰る」
「わかった、じゃ夕飯作るね」
そう言って母は台所で夕飯の仕度を始めた。
ハルの部屋に置かれた段ボールの中に、子供の頃に使っていた玩具や雑貨類がきれいに収納されていた。
「うわ、こんなのもあったんだ。懐かし……」
ガサゴソと音を立てながら、玩具を取り出し懐かしむ。
一つひとつの物に触れるたび、兄との思い出が蘇っていく。
奥の方に、小さなCDプレーヤーがあった。
「あれ?これ……」
CDプレーヤーを手にすると、ゾワっと鳥肌がたった。
「え、なに今の」
無意識に反応した体に動揺するハル。
このCDプレーヤーは、兄がいつもハルに聞かせてくれていたものだ。
中をあけると、何も印字されていない真っ白なCDが残っていた。
「これ……」
いつも兄が聴かせてくれていた音楽。ハルはその音色を思い出せずにいた。
適当にボタンを押すも、なにも反応しない。
「あのさ、これに合う電池、ある?」
「え?ああ、そこの引き出しん中にいろんな電池入ってるよ。懐かしいよねそれ」
ハルが新しい電池をセットすると、液晶画面が光った。
「うわ……動くわこれ」
そしてすぐに再生ボタンを押そうと指先を再生ボタンに乗せる。
するとまた鳥肌が立つ。今度は右手全体に鳥肌が広がった。
「え……」
指先は、麻痺したように全く動かず力も入らない。
「は……?」
「ハルそれよくキヨヒロと聴いてたよねー!懐かしいんじゃない?」
台所から声を出す母の問いかけは、ハルの耳に入らない。
再生ボタンを押そうとすると、もう1人の自分に、やめろと言われる感覚になった。
やがて心臓の鼓動が早くなる。
「なにこの感覚……」
そして心臓あたりがチクチクと痛くなり、CDプレーヤーを床に落としてしまった。
ガチャンっとした音が響き渡り、鳥肌がおさまった。
「は……はぁ?なに今の……」
他の玩具を触っても何も感じなかったのに、CDプレーヤーだけは頑なに拒む体。
再生ボタンが、押せなかった。
「母さん、これいくつか持って帰るわ」
「ん?どうぞどうぞ、好きなの持って行きな」
「うん」
「あ、そうだ!見てこれ。懐かしいでしょ」
母がそう言ってお皿を差し出す。
「あれ、これ……」
「裏側も見てみて。マジック、まだ消えてないよ」
そのお皿は、ハルの兄が幼少期に使っていた皿だ。
皿の裏は少し凹みがあり、そこにはハルの兄の名が書かれていた。
「こんなのまでとっておいたんだ」
「ふふふ。ハルのもあるよ~ほら」
母はそう言って今度は別の皿を差し出す。
「本当だ、こっちはハルセって書いてある」
「うん。キヨヒロ、漢字書きたかったんだと思う。2つともあの子が書いたから」
皿の裏には、漢字で2人の名前が書かれていた。
「可愛い文字だね。このお皿まだあるの知らなかった」
「うん。ハルから連絡もらって段ボールにあの子の物集めてるときにね、そういえばお皿も持ってきてたの思い出してね。そこの食器棚。奥の方探してみたらあったの。お母さん世代はね~物ってのはなかなか捨てられないのよ、思い出の物は尚更ね」
「そうなんだ」
ハルはほんの少し、頭にズキっとした痛みを感じていた。
「なんかちょっと顔色悪くなってない?大丈夫なの?」
ハルの表情を見て、母が心配そうに言う。
「え、あー、ちょっと寝る」
「あ、そう。まあゆっくりして」
自分の部屋の部屋に戻り、ベッドに寝転ぶ。
天井を眺めようとした瞬間、眠気に襲われそのまま寝落ちしてしまった。
カチャン、カチャンと食器が何かにぶつかる音で、ハルが目を覚ます。窓の外はすっかり暗くなっていた。
「え!何時……」
スマホの時間は21時をまわっており、寝落ちしてから6時間ほどが経っていた。
トイレに行き、台所へ向かうと母がカレーを皿によそっていた。
「あ、起きたね。そろそろ起きそうと思ってた、ふふふ。ほら、カレー食べるでしょ?」
「あ、ありがとう」
「よく寝てたね。疲れてんじゃない?」
「いや、そうでもない……と思うんだけど」
「ビールもあるよ、冷蔵庫」
「うん、もらう」
缶ビールをプシュっとあけ、そのままゴクゴクと飲み込む。
寝起きのビールは、少しまずかった。
「カレーの味、変わってないでしょ」
「うん」
「で、探してたものはあった?」
「うん、あった。あのさ、さっきのCDプレーヤーあるじゃん?」
「うん、キヨヒロのね」
「あれ兄ちゃんのだったんだ」
「そ、あの人……お父さんが昔買ってあげたやつ」
「へえ」
「ハルに聴かせてたよね」
「そう。そうなんだけど、なんか知ってる?そのプレーヤーのこと」
「なんかって?」
「いや、この……プレーヤーの何か」
「何かってなに」
「なんつーか、逸話?」
「逸話?何それ」
あははっと母が笑う。
ハルは、自分が再生ボタンが押せなかったことを知るために、関係ありそうな話を知りたかった。
「んー……なんかあったかなぁ……。うーーーーん」
「別になければないで全然いいんだけど」
「んー……あ……」
「なに」
「それ聴いてたの、お母さんたちが喧嘩してる時だったよね」
「うん。これ……さ、どんな曲か知ってる?」
「ごめんね、お母さんその音楽聴いたことあるのかどうか……覚えてないの」
「白いCD入ってた。父さんがリストにして入れてたのかな。兄ちゃんじゃ無理でしょ、パソコンもいじれない歳だったと思うし」
「と思うけど……うん、お父さんじゃない?どんな音楽入ってたの?」
「わかんない」
「え?聴いたんじゃないの?」
「古いからさ、これ。接触悪くて……持って帰って直してみようと思って」
ハルは、再生ボタンが押せなかったことは言わないでいた。
「そう」
「そういえば兄ちゃんって音楽好きだったっけ」
「んーあの子がよく聴いてた記憶はないな。ハルに聴かせてた。ボタンはキヨヒロが押して、イヤホンはハルがしてたのは見たから」
「うん。兄ちゃんが音楽聴かせてくれてたのは覚えてる。でも音色が思い出せない」
「そっか。私があの人と喧嘩し終わって子供部屋に来るとね、2人はいつも同じ姿でじっとしててね。キヨヒロが正座して、目の前でハルが体育座り。あとは、2人とも横に並んでピタッとくっついてるときもあった。怖かったのかもしれないね」
「……」
これ以上はあま理聞かない方がいいと思い、そこで質問をやめた。
ハルと母、2人のスプーンが皿にぶつかる音だけが鳴り響いた。