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兄が届けてくれたのは  作者: くすのき伶
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兄ちゃん、なんか見せてよ

ハルが自宅へ帰ってきた。上着を無造作にソファに投げ、ストンっと深く座る。


部屋の隅を見つめ、またタカのことを思い出していた。





ハルは今、仕事をしていない。

直近で働いていた会社で長時間労働や精神的な疲弊により退職をしていた。


仕事はITの技術職だった。


度重なる理不尽な対応、過酷な業務量、こなしてもこなしても次々と舞い込む新たな業務に追われ、休日も出勤していた。まさにブラック企業だ。


仕事から帰り自宅のドアを開ける時刻はいつも0時をまわっていた。タクシーで帰ることも少なくなかった。


辛い部屋に明かりをつけ、ソファに深く座って


「疲れた」


そう呟くのが唯一の息抜きとなっていた。


もともと自分は我慢強いと思っていたハルも、次第に体調を崩すようになった。


そんな日々も長くは続かず、入社から3年、ハルはついに退職を決意した。


やっと解放される。辞めてから気持ちが晴れるかと思いきや、そうでもなかった。


疲弊した心は、なかなか回復しなかった。


「何のために仕事して、何のためにここで暮らして、生きて、何のために……」そんなことを考える日々が続いた。


不安な感情は絶えることなく、常にハルの心を支配していた。


辞めたら辞めたで次また転職先を探さないといけない、そう思うとまた絶望の闇がハルを襲う。


1年は働かなくても暮らしていけるだけの貯蓄はある。だが、いつかはそれも底をつく。


転職をすることにも恐怖を抱いていた。毎回「ここもか、ここも最悪な職場か」と思うからだ。


新卒で入社してからというもの、転職する度に失敗するので、いい加減自分に対しての信頼や自信も失っていった。


評価されたい、認められたい、人の役にたっていると実感したい、その気持ちだけがハルと仕事を繋げていた。


いつも選択を見誤るのは、仕事に限ったことではない。


プライベートでも言えることだった。


付き合うパートナーは、みなハルの優しさを利用し、利己的な欲求や支配欲でコントールする人たちばかりだった。


失敗した、またやらかした。


そう思えば思うほど自分が嫌になる。どんどん嫌になる。


会社が悪い、相手が悪い、そう思えたら楽なのに、ハルの場合は自分を責めた。


なぜならそんな状況を選んだのは、全て自分だからだ。


なんであんなことをしてしまったのだろうと自己否定が止まらなくなる。


自分なのに、自分を守れない。


どうして自分をここまで苦しめるんだ、と思えてしまう。




どうして……




その考え方が何年も続くと、やがてこの苦しみから解放されたい、ハルはそう思うようになっていった。


そんな中で、いつも心にあったのは兄の存在だった。

ここ数ヶ月はとくに、辛くなる度に兄を思い出すようになっていた。


まさに、タカが言っていた通りだった。


兄に会いたい、そう思っていると、ふと海に行きたくなった。

そして海が綺麗な場所を見つけ、あの宿を予約した。





そこでまさか兄の友人と出会うなんて。しかも自分と同じようなタイプの人間だなんて。

ハルはタカと出会った海のことを思い、ふっと笑いが込み上げてきた。




タカと出会い、兄がもうこの世にいないことが確定した。


ショックではあったが、そこまでひどく落ち込まなかった自分には驚いた。


自分の失った機能や記憶を取り戻したとて、いまの状況が変わるか全く分からない。


魔法のようにガラッと変わるはずがない。


そう思ってはいるが、ハルはここまで自分の人生を見返したことがなかったことに気づいた。






自分は……





「いやでも、わかんねーよ……」


静まり返る部屋で、ハルはボソッと呟く。





「兄ちゃん、いまどこにいるんだよ。俺だって、視たいものがあるんだけど」




そして、感覚とやらに意識を集中してみた。


だが何も聞こえず、何も感じなかった。


「タカさんに会ってみたよ。海でのこと兄ちゃんも知ってるんでしょ。兄ちゃんタカさんに見せたんでしょ。俺さ、元の自分に戻ってみたいんだけど、どうすればいいんかな。……俺にもなんか見せてよ」








何も反応はなかった。







ふふっと、悲しい表情で笑うハル。


「だよねー……、ははっ」


そしてシャワーを浴びに洗面所のドアをあけた。


浴室からのシャワーの音が、かすかに部屋に鳴り響いていた。







ソファに置いていたハルの上着が、パサッと床に落ちた。






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