新しい居場所 8
カミルは一度体に戻ってみた、しかしながら、想像通り苦痛だっただけで、とくに周りの環境に変化もなく、成長が進んでいるだけだったので、ほどなくして体から出てきた。
カミルの体はカミルが中にいるときだけは、その生命活動をするが、強大な力によって歪められた成長や、生理現象は苦痛となってカミルに襲い掛かってくる。それでも、完全に精神体だけにならないのには、一応理由はあった。
しかしそれも、やり直し前のことであり、今は惰性で体を生かしているに過ぎない。
……それにこの部屋っていうだけで陰鬱な気分になるし最悪。
早く実態なんていう面倒なものはさっさと殺して完全に精神体だけで生きていく方が数倍楽だったが、それをあの二人が望んでいない事もわかっていた。だから、そういったことはできるだけ口には出さないし、考えないようにもしている。
だから今回も適当に戻ってきて適当に出ていった。王宮をふらふら回りつつ外に出て、馬車に乗ってやってきたのは、タールベルク伯爵邸だった。フィーネがいなくなってから丁度一週間が経とうとしていた。
外観的にはまったく変化もないし、そんなに急に変わるわけもないと分かっていつつも彼女がいなくなったことで、この屋敷の住人が何かしら困っていればいいな、と思うのは仕方がない事だろう。
ずっとないがしろにされていた彼女は、使用人を采配するのがうまかった。なにか問題があれば、気性の荒いベティーナではなく、大人のビアンカでもかなく、皆、フィーネに相談していたし、屋敷の細やかな修繕や、卸業屋への挨拶など彼女がしていた仕事は、すぐに表には出ないものばかりだったがどれもこれも快適な生活を送るには重要なもののはずだ。
……数ヵ月経ったらきっとわかるよ。あの人の恩恵がさ。
そう思いながら中に入りベティーナを探す。彼女自身の部屋に行ってみてもいなくて、ついでにフィーネの部屋にも入ってみたら、なんだか荒れた様子だった。
これは夜逃げを決行したからなのか、彼女がいなくなった事で行き先を探すために家探しされたのかは、いまいちわからなかったが、ずっと彼女がいた場所がこうして荒れていると無性に安否が心配になってあの優しい笑顔に会いたくなった。
屋敷の中を散策していると、ガッシャァァンと豪快になにかが割れる音がしてカミルは、そうだ、まだ家族の集まる居室に行っていなかったと意気揚々と向かうのだった。
「なーんーで!!まだ帰ってこないないのよ!!!!」
「ひぃっ」
ベティーナの大声に、フィーネ専属の側仕えであったロミーが小さく蹲って引きつった声を漏らす。先程の大きな音は、居室においてある大きな花瓶だったようで、陶器の破片と水、花がばらばらと散らかって、そばで蹲っていたロミーの膝からは血が流れ出ていた。
水と流れ出た血が混ざって絵具を溶かしたみたいに赤い水が広がる。
ベティーナはそんなことどうでもいいとばかりに、パシャンと赤い水溜まりを可愛いピンクのパンプスで踏み抜いてロミーに手を上げた。
「なんでなのーー!!!」
「うるさいわよ、黙りなさいよ!!」
「なっ、なんで私が怒られなきゃなんないの??!!ねえっ、なんで!!!」
「うるさい、うるさい、うるさい、ほんと顔ばっかりで頭の悪い子!!産むんじゃなかった!!」
「はあ??」
「どうするのよ、あの子逃げたんだわ、お前本当に使えないわね、なにか情報は無いの!」
ビアンカはヒステリックにわめきたてる。色々突っ込みどころがあるなぁとカミルは思ったが口は出さないし、ロミーを助ける気もなかった。
「申し訳ございません、申し訳ございません!息抜きをしたいから数日間旅行をするとしか聞いていなくて!!」
「言い訳なんかしないでよ!!役立たずっ」
「っ、あっ」
ベティーナは、蹲るロミーの頭を狂ったように平手打ちし続ける。
……痛そー……ま、いい気味だけど。
「姉さまの信頼を得てるようなことを言っておいて置いていかれてるじゃない!!このっ」
「数日で戻ってくると、言ってっいて」
「じゃあなんで一週間しても、何の音沙汰もないのよ!!」
「わ、わかりませっ」
「ほんっとうにありえない!!何のために貴方にいい思いさせてあげてたと思ってるの??」
「で、でも、ほんとに、受け入れるつもりだってっ」
「貴方が信用されていないから、隠されてたのよ!!この馬鹿ッ!」
自分の血で汚れた水に突き倒されて、いつもフィーネを心の中で見下して、騙し、フィーネのプライベートなことまで告げ口してたロミーが痛みと恐怖におびえる姿は、なかなかに爽快だった。
……味方みたいなフリして、フィーネを励ましてたロミーの事、僕は心底大っ嫌いだったから、こんなところだけでも見れて良かったなぁ。
もちろん告げ口するとベティーナから報酬のように高価なものをもらっていて、ロミーはいつだってフィーネの事を金の卵を産む鳥だとしか思っていなかった。
未来にも裏切るし、本当にどうしようもない最低な人間だと思う。しかしフィーネは、それについては自分に非があるから、そうならないように努めることで、きっと信頼することができるのだと言っていた。
それに、置いて行かれたなんて言っているが、きっとフィーネは聞いたと思う、共に来るかと。それがたとえ、行き先を告げられていなかったり、すぐに戻るのだと言われても、フィーネの状況を見れば、残る可能性のある相手にそんな人生をかけた逃亡のヒントを言えるはずがない。
そんなこともフィーネにずっと仕えてきたのに知らずに、ここに残るといったロミーが悪いのだ。その時に共に行くといえばフィーネは最大限の支援と信頼を置いただろう。
……あの人は優しいんだ。それなのにどうしようもない人間性をしてたのは君たちだよ。