謝罪 9
朝の早い時間にフィーネの乗っている馬車はディースブルクのお屋敷に到着した。それはまさしくお城と呼ぶのがふさわしいような大きな屋敷で、いくつもある別邸のうちの一つに通され、日が昇ってすぐという時間帯にも関わらずに、エントランスホールには多くの使用人が集められて、フィーネを迎え入れた。
そもそもフィーネは、アルノーの元では来年のデビュタントで貴族としての立場と彼と結婚するまでの期間、どんな生活を送ることになっても構わないという覚悟でこの屋敷に来ていた。
たとえお付きの使用人がいなくとも、たとえ、平民の村娘のような生活を送るようなことになっても構わないと。
だって、そうでもしない限りは、今のハンスと公に婚約をしてはいるが、貴族社会では平民だと見下されている訳ありの令嬢を抱え込むなんて領主である父親や、屋敷の事を総括している母親に言い訳できないはずであるし予算だって割くことができるはずもない。
そう考えているのだった。だから、とくに用意もせずにいつもの地味なドレスとトランク二個だけでやってきた。
……だ、誰かと間違えられていたり……するのかもしれない。
自分のお屋敷ですら、こんな風に出迎えられたことは無い。人違いの対象としては例えばアルノーのお母さまだとか、そういう人に間違えられていて、ここはその人の別邸で……と考えうる一番高い可能性を上げて次に考えられそうな可能性を考えながら、恭しくフィーネのトランクを運んでいく女性使用人たちの事をまじまじと見つめた。
「……」
「フィーネお嬢様、お初にお目にかかります。侍女頭のアデーレと申します」
深々と頭を下げる侍女頭の頭を見ながらフィーネはクラっと眩暈がするのを感じた。
恐ろしい事にこの人たちは本当にフィーネの事を出迎えているらしい。
フィーネはそれを理解すると同時に、ものすごい速度であたりを観察した。エントランスホールには、美しい調度品が立ち並び、彫刻をあしらわれた柱が所狭しと並んでいる。
カーテンや家具を見てすぐさま女主人の為に整えられた屋敷であることを察知してそれほど、間を開けずに張り付けた笑顔で口にする。
「よろしくお願いします。ところでこちらの別邸は、ディースブルグ辺境伯夫人のお住まいなのかしら、挨拶はいつごろ予定をいれられるかしら?」
他の誰にも動揺していると察知されないような、普通の笑みでの普通の返しをしたつもりだったが、それでも侍女頭のアデーレは少し驚いた顔をした。
そんな反応をされるとは思っていなくて、常識的に何かおかしかっただろうかとこれまたフィーネはぐるぐると考えた。しかし、答えは出ない。
しいて言うなら、嫁にと考えている女性と、姑となる女性を同じ生活区間に住まわせるのは、あまり良い結果を生まないらしいということが世間一般には言われているので心配だった程度だ。
「……いいえ、こちらは、フィーネお嬢様のためにとアルノー様が整えた邸宅にごさいます。奥様のお住まいは本館を挟んで対極にごさいますが……」
「……」
「こちらは、先代の第二夫人が使用されていた屋敷でごさいまして、つくりは古いですがアルノー様がお若いフィーネお嬢様のためにと多くの家具や内装を取り換えられています、アルノー様より暫くこちらで過ごす事になると仰せつかっております」
……????……あのひと、正気???
気は確か???
確かに、急にならないようにと事前に連絡も入れておいたが、こんなことになってるなんて誰が予想できただろうか。
それにしたって、内装まで変える時間があったかは、はなはだ疑問ではある。だって事前連絡を連絡をしてから一ヵ月経っているかいないかだ。
もしかすると、フィーネのところに魔物を討伐にきて、それからすぐに準備していたというのなら間に合う可能性もあるかもしれないが、まさかそんなことは無いはずであるため、その可能性を排除して、混乱する頭を制御して「そう、ですか」と言う言葉を絞り出した。
「移動の疲労もありますでしょうから、どうぞまずは部屋でごゆるりとお過ごしくださいませ、ささ、案内を」
そう言いアデーレは下がっていき、物腰の柔らかそうな侍女が進み出て「こちらでごさいます」とフィーネの事を先導する。階段を上がり、侍女についていく。廊下は毛足の長い歩き心地の良いカーペットが敷き詰められていて、花が美しく飾られている花瓶が立ち並んでいた。
歩きながら、小さな屋敷ではあるが、内装の格としては王宮にも勝るとも劣らないレベルだと分析しつつ、アルノーがどういうつもりなのかを焦って考える。
……こんなに正式な別邸まで用意するなんて、もはや嫁入りしたも同然の扱いだわ。つまりはええと、なにどういう事?
逃がさないという意思表示??それともリターンを要求されている???
良く知らないアルノーの事なので、彼の感情から思惑を考えるより、行動や今の現実から推察する方がきっと、正確さが高いはずだ。
なので逃がさないという意思表示の線を消し去り、なにかしらを期待されていると考えた方がいいと結論付けた。
その期待されているフィーネの利点について、アルノーはディースブルク辺境伯に説明し、この先代の第二夫人の使っていた別邸を整えたのだとすればわかりやすい。というかそうでもしなければ、ここまでのことは出来ないだろう。
何を望まれているかは思い浮かぶのは二つ、調和師の仕事か、もしくは領地経営の仕事か、だと考えられる。どちらも困っているのであればできるだけ早く、助けを欲するものだろう。
この前にはアルノーの身内にフィーネの力が必要な人物でもいるのではないかと考えていたこともあったのだ。
その可能性も大いにある。それに領地経営の方でも役に立つことは出来るだろう。フィーネは特に、その土地の産業や商業の健全化や問題の解決なんかを得意としている。逆に苦手なことはお偉い方の接待ぐらいだった。
しかしどちらにせよ、ここまでしているというのなら即戦力になることは必須だろう。最低限の荷物だけでここに来たのが悔やまれる。タールベルク伯爵邸にはフィーネの愛読書がたくさんあったのだ。それらの知識が生かせる場所に来たらしいのに勿体ない事をした。
……待って、フィーネ。これってもしかして、どちらもという可能性もあるのではないの??
だって彼は、フィーネの力も欲しいしフィーネ自身の血筋も欲しているという具合だったのだ。であれば、長期的に領地運営を手伝う家に入る有能な女性が必要だったから、フィーネを手に入れたかったのではないだろうか。
……そう思えばアルノー様が様々な条件を飲んで、私を第一夫人になんていったのもわかる気がしてきたわ。それに彼は昔、病気があったというし、早くにご両親を安心させてあげたいのかも!
ならばバリバリ働くのがフィーネに求められた使命のはずだ。しかし、この家の人間に疎まれてはいけない。 まずは、そうだ。きちんと関係性の構築から入るべきだろう。
フィーネは、納得のいくまで考え続けてこれまた飛躍した結論を出した。
……そうして、期待に応えられるのであれば、愛してやるといったことをきっと彼はちらつかせているのよ!!
アルノーがフィーネの領地経営の手腕を知っているはずがないのも、愛しているといった言葉の意味さえも捻じ曲げた結論に確信めいたものに感じていた。
なので、フィーネは案内された屋敷の一番大きな主人の部屋に通されて、勝手に考えた結論に納得して、早速、案内をしていた侍女にディースブルク家系図と、この領地の財務諸表を持ってくるようにとできるだけ角が立たないように言いつけるのだった。