謝罪 7
真っ暗闇のなか、人目と光を避けて大きなトランクを手にしながら、息を切らして歩く。道は石畳が引かれているので、歩きづらくもなかったが、屋敷から領地の端まで来るのにそれなりの距離があった。
ランプ一つも持たないで、月明かりだけを頼りに歩くのにも苦労した、しかし、ここまで来る間にそれなりに慣れてきた。
……ロミーは大丈夫かしら?
気になって振り返ってみるとロミーはフィーネより少し離れた後ろを歩いていて、フードのついている大きなローブをかぶっているのと暗闇のせいで表情を読み取ることができない。
「ロミー、疲れてきた?」
「い、いいえ!フィーネ様っ、大丈夫です」
「そうですか……急ぎましょう、もうじき領地外のはず、もう少しの辛抱です」
「はい……」
フィーネの声にロミーはいつもより弱気に答えた。心ここにあらずといった具合に歩みはふらふらとしていて、それも仕方ないだろうと考え直しフィーネは、ロミーを気遣いながら深くかぶっているフードの裾を引いて顔を隠して歩みを進める。
……ロミーはあまり隠し事が得意なタイプではないもの、こうなるのはわかっていたとはいえあまりに直前過ぎたかもしれない。
自分の判断が間違っていたのか、それでもそうするしかなかったのだと様々なことに思考を巡らせながら、痛む足で歩みを進める。石畳隙間から生えた野草がフィーネの足元を撫でて、こんな整えられていない道を歩くのは、ベティーナに馬車から降ろされて何時間もかけて屋敷に帰ったあの日以来だと思った。
しかし、あの日とは違ってフィーネはあの屋敷にもう二度と戻ることは無い。
一歩、また一歩と屋敷から離れていく、生まれ育った大切な場所から。
「フィーネ、さま。……大丈夫ですか?気分が悪くなっていませんか?」
「いいえ、少し考え事をしていただけです、ありがとう」
「……」
感傷的になっていると、いつの間にかロミーが追い付いてきてフィーネに問いかけた。深いフードのおかげで不安な顔になっているのを隠すことができる。けれども本当は邪魔過ぎるので今すぐ脱いでしまいたいぐらいだったのに手のひらを裏返してそんな風に思った。
「フィーネ様。私に声をかけてくださってありがとうございます」
「どうしたの? 突然」
「いえ、こうして夜間にひっそりと出発するのにも、フィーネ様が私にそうしてくれなければフィーネ様はこの暗い夜道を一人歩いていたのかもしれないと考えたら急に言いたくなったのです」
「……そんなの、私こそ、ついてきてくれてありがとう」
それを言うなら、本当はアルノーの家であるディースブルク辺境伯邸に身を寄せるのにも、ついてきてくれればよかったとにとフィーネはおこがましいとわかっていても、ロミーにそう望まずにはいられなかった。
日差しの強い季節が終わって、最近、過ごしやすくなってきた夜に風が吹く、そのどこからともなくやってきて寂しさを助長させるような物悲しい風に、フィーネはらしくもなく、こんな門出になることを予想はしていたのに後悔をしそうになった。
……でもわかっているでしょう?ベティーナ達から、逃げるためにこんな夜逃げのようなことをする、情けない主の手伝いを買って出てくれただけでもありがたいと思うべきよ。
それに、ついてくるかと、は聞いたが、ロミーは断ったらタールベルクの屋敷に残ることになる、そんな人物に行き先を伝えてしまうわけにはいかない。傷心旅行のような説明をして、ベティーナの思惑をふとしたことで知ってしまい、けれども彼女の野望を認めるようなことを言いつつ、共に来るかと問いかけたのだ。
それが精いっぱいのフィーネの信頼の証だった。しかし、こうしてお手伝いするだけにしておくとロミーは言った。それだけのことだ。
自分で自分をいさめて、フィーネは屋敷を出る決意を固めた日の出来事を思い出した。
提案書を正式な形で出した日から暫く経った後の事、王都から戻ってきたベティーナは、テザーリア教団の簡易的な祭壇の道具を一式そろえて帰ってきた。それから、国王が相次ぐ魔物の襲撃に対する対策を打ち出した。
それは、精霊信仰を弾圧することだった。
確かに提案書には、今回の騒動の裏側に精霊の意思が介在しているのではないかという考察とともに、過去に起こった魔物の事件と比べて精霊との関係性によって被害がもたらされているのではないかということがわかりやすく書いてあった。
それに精霊には、信仰という形でささげられる魔力が必要不可欠であり、精霊の力は魔法という形で人間に利益をもたらしているつまり、精霊信仰があることによってサイクルが生まれているのだとも説明を書いた。
しかし、そのサイクルを崩した王族を糾弾せずに、フィーネの最大限の譲歩が含まれた提案書に返ってきた答えがそれである。
一般の市民にも必ずテザーリア教団の祭壇を各家庭に作らせ魔力を奉納し、それがない場合には厳罰を処すなどという可笑しな政策が打ち出されている。
いや、筋道は通っているのだ、流石ヨーゼフ国王だと思う。なんせフィーネの提案書のロジックのうち、その精霊の意思が魔物を生み出しているという切り取られた事実だけを使って精霊信仰弾圧のロジックにしたのだからあっぱれである。
精霊と魔物の繋がり、相互関係の部分から精霊が人間から自由な信仰を奪おうとしていると、理論を展開させて、最終的には精霊信仰をなくし、彼らに必要な魔力を完全に絶てばこの襲撃は止まると言い切った。フィーネはそのニュースを読んだときに、呆れて笑ってしまったくらいだった。
それと同時にこの国は、この国の政治は駄目かもしれないと漠然と思った。それにベティーナを今から変えても意味はないと理解もできた。諦めがついてしまえば行動ができた。
アルノーに手紙を送り、トランクに私物を詰めて、ひっそりと生まれてからすべての思い出が詰まっている屋敷から出ていく準備をした。
ベティーナやビアンカ、フィーネの実父であるエドガーといった今でも生きている家族との思い出はさほどないし、それらは大体思い出したいと思う事は無いようなものばかりなので、忘れてしまっても問題ない。
しかし、ただでさえ、曖昧で薄っすらとしか覚えていないフィーネの母親の事を思い出せる場所から離れるのだけには抵抗があった。
それも、一人で。
カミルもいない、ロミーはこの土地にフィアンセがいるので連れてはいけない。本当に一人ぼっちで出ていくことになる。
それはやはり、どれほどないがしろにされていた場所でも、地に根を下ろして生活していた場所をもう二度と戻らないという覚悟で離れるのはとても不安で、泣き出しそうで、何が悲しいのか明確には言えないもどかしさがあった。