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初恋 7




 華がない……確かに、派手か地味かと言われれば、フィーネは地味にも思えた。しかしそれでも、邪魔になどなりはしないとアルノーは訂正しようと思ったがフィーネは続ける。


「でも、皆がベティーナに言う”花”っていったい何の花なのかしら」

「?……なんの、とは」

「そうね。ガーベラとかバラとかチューリップとか、アルノー様は何のお花だと思う?」


 アルノーはフィーネが自分の事を知っていたことにも、知っていたうえで忌避した態度をまったく取らなかったのかということに驚いた。


 それと同時に、彼女は、もしかして、こんなに至極真面目そうな顔をして、彼女は華があるというのを、華やかという意味合いで覚えているのではなく、本当に花のような人という意味で覚えているのだと気が付いて、子供らしい素直な間違いに、思わず笑ってしまいそうになった。


「どうかしたの?アルノー様」

「い、いいや?花、花だったよな?ええとあの子だろう、あまり詳しくはないが、ラナンキュラスとかじゃないか?ひらひらしているし」


 アルノーはエリーゼがよくガーデニングで使っている美しい花弁を持つ花を口にした。フィーネは「ラナンキュラス……」と復唱し、ふふっと声を出して笑う。


「そうね。確かにひらひらしているわ」

「だろう?ところで、君は自分に華がないというが、それでも俺はそれが悪いことだとは思わないぞ」

「そうかしら、では他に何かがあるように見えるという事?」


 アルノーは、君には君だけの魅力があるだろう、と。王妃になるなんてすばらしい事だとつなげようとしたがフィーネは予想外の方向に話を持っていく。


「花は無いのだから、きっと葉っぱね。同じ植物だもの、木や植物なら、実が取れるものがいいわ」

「……た、たとえばどんな?」


 思わず聞くとフィーネは少し恥ずかしそうに「リンゴの木がいいわ。美味しいから」といったのを聞いて、アルノーは声を出さずに、ふっと吹き出して、くつくつと笑った。


「私がリンゴの木なんて、欲張りすぎかしら?」


 その反応をみた、フィーネが不安そうにアルノーに聞いてくる。アルノーはそんな彼女のことをとってもかわいいと思いながら、病気のせいで滅多にならない優しい気持ちになりながら、小さなフィーネの頭を撫でた。


「!」

「欲張ってなんかいない。むしろ、謙虚がすぎる。君の言う華がどんな風にあるのか俺には想像もつかないが、想像の中ぐらい自分の好きなものを思い浮かべてもいいんじゃないか」

「……それなら、クローバー、四葉のクローバー」

「いいな、幸せを運んでくれそうだ」

「ふふっ、そうでしょう?それに、お母さまから聞いたのだけど、花言葉というのが花にはそれぞれあって、四葉のクローバーには『私のものになって』なんて求婚みたいな意味があるの」


 穏やかに言うフィーネの言葉に、アルノーは耳を傾けて、その表情がほんの少しだけ、歪むのを見逃さなかった。


「私それがとても素敵に思えて、殿下にお話ししたの……でも、その、つまらなかったみたい、怒られてしまったわ」


 途中で言い淀んだ彼女は、王太子の反応を詳しく言うことは無かったが知りたいとアルノーが望むと、その瞳の奥底にある、彼女の声が聞こえてきて、本当は「私がお前の所有物ようになることがうれしいのか」と怒鳴られて殴られたことを知ってしまう。


 ……今は、王族も神経質な時期だからな。


 たしか、第二王子になるはずだった、赤子が転変の兆候を持って生まれたらしい、そのしわ寄せとして今回の婚約があるはずだ。状況的によほどフィーネの側に有利な条件での婚約だとエリーゼが言っていたのを思い出したがアルノーはそれを知ってフィーネが不憫でならなかった。


 なにが気に障ったにしろ、そんな乱暴を働くような男の嫁になるだなんて、ととても不憫に思った。しかし自分はそれ以下の貴族として大人になることもできない人間なのにも関わらず、そう思ってしまった。


 それと同時に魔法を使えてしまった事への危機感が今更出てきて、途端にひゅっと息をのむ。魔法を使えたということは精霊がすぐそばにいる、これは発作の予兆だ。


「っ、はっ、駄目だ今は」

「アルノー様?」


 血の気が引いて、ささやかな心安らぐ時間すら許さないとばかりに、やってきた発作の前兆に、カチカチと歯の根が合わなくなって、小さく音を鳴らす。


 あの、頭のおかしくなるような感覚に襲われるのが恐ろしくて、ふらつきすぐに立っていられなくなり膝をついた。


「! っ、どうかされたのですか」

「は、っ、離れてくれ」


 錯乱した自分が小さな女の子に危害を加えないとも限らない。震える手でどうにか精感があるとされる首の後ろを両手で押さえて、ぐぐっ圧迫する。


 魔力は手で覆ったところで遮れるものでもないし、意味などなかったが、アルノーは恐れから、わかっていてもひたすらに押さえて、蹲った。


 じわじわと歪む視界に、こうなるから外には出たくなかったのだと、後悔する気持ちと、自分には誰かと楽しく過ごすだけの余暇すら許されないのだと知って、もういっそ死んでしまいたくなった。


 どうせいつかは死ぬのであれば、今を必死に生きていたって仕方がない。


 周りからざわざわと声がする、アルノーの異変に気が付いたメイドが大人たちの方へとかけていくのを視界の端で捉えて、アルノーの正面には、蹲るアルノーを見下ろすフィーネが見えた。


「痛いの?……大丈夫?」

 

 病気を持っていると知っているはずなのに、彼女は一歩アルノーの方へと近づいて、のぞき込んだ。そしてその小さな手をアルノーの押さえている項に伸ばしながら。


「グッ、うっっ……」


 本格的に発作が来ると身構えながら、フィーネの瞳を見つめ返す。


 フィーネの小さな柔い手のひらが、アルノーのうなじをかすめる。そのとたんに、フィーネの瞳の中に奥行きがあるように見えて、さらにのぞき込む。


 その瞳はアルノーのことを映してはいない。ただこの世のものではないようにキラキラと光を放っているようにも見えた。


 瞳は手を伸ばして取り出してみたくなるほどに綺麗で、ごくっと息をのんで見入った。


「大丈夫?……だいじょうぶね」


 フィーネの宝石のような夕日の水面の瞳がゆっくりと細められて、それから、アルノーは、ハッと我にかえり、ぱったりと発作の予兆が消えているのに気が付いた。


 彼女に触れられて、彼女に見つめられただけである。それだけで、ぱったりと治ってしまった。


「きっともう、だいじょうぶね」


 その小さな手が、アルノーの力が抜けた手を掴んで、両手できゅっと握った。


 瞬間心臓が馬鹿みたいに跳ねるのを感じた。こんな小さな年端もいかない女の子にである。やわっこい手がするりと離れていく、本当は捕まえて連れて帰りたかったが、そんなわけにもいかない。きっとこの力を買われて、王妃の地位に就くことになったはずだ。かってにアルノーの物にするなんて許されないだろうし、フィーネだって望んでいないだろう。


 彼女はこんな病気持ちの男には到底手の届かない高根の花なのだ。思わず伸ばしそうになる手を、自分自身で押さえて、苦々しい気持ちを押し殺して、なんでもなかったかのように立ち上がった。


「……ああ、大丈夫だ」

「そうみたい。良かったわ」


 アルノーが正常に戻ったことによって、周りの緊張状態も解ける。こちらの子供側にやってきた大人たちも興味をなくしたかのように、去っていき、彼女の婚約を祝うパーティーを続ける。


 アルノーはその事実が無性に腹立たしくて、情けなくて、人生最大の問題が解決した事を直感で理解しつつも、今度は、人生最大の失恋をした気分になった。この子の人生はすでに決まっている。アルノーの入り込む余地などどこにもない。


「な、なあ、フィーネ。君はこの婚約、嬉しいか」


 あからさまに自分が不機嫌だとわかる声で、それも、答えづらい質問をしてしまった。しかしフィーネはまったく屈託もなく、先程からずっと何事もなく楽しくおしゃべりを楽しんでいるだけみたいな顔で言う。


「ええ、お母さまの念願だもの、王妃になるために頑張るわ」

「……王妃になるというのは、王太子の嫁になるという事だが」

「分かってるわ。とても”恵まれたこと”よね”運がいい”のよ」


 言い切る彼女にもはや、疑いの余地もなくフィーネのハンスへの想いはすでに硬いのだと、理解して、助けてくれたことに心の底からお礼をしたかったのとそれと同時に求婚してしまいたかったのを抑え込んで、一歩引いた。


「後ほど、祝いの品を送らせてくれ。俺の気持ちを伝えておきたいんだ」

「? ええ、ありがとう。楽しみにしておく」


 それが、フィーネとの最後の会話になり、アルノーはすぐに母親の元に向かい事の顛末を説明した。母親から、エルザが体調の悪化により既に中座してすでに宴の席にはいなかったこと、何故か、平民であるはずのビアンカという女性が、アルノーの証言を真っ向から否定したことにより、早めにアルノーとエリーゼは切り上げて、自らの屋敷への帰路に就いたのだった。


 のちに、アルノーはフィーネに特注で仕立てた髪飾りを送った。意味については理解ができるだろうと思ったので、みなまで書かなかったが、返事が返ってこない事を考えるとその意味もまた察せてしまうのだった。





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