初恋 4
今のカミルは、精神体とでも形容するべき存在であった。しかし、とにかく、こうして目の前に姿を現したカミルに対して、狼狽し滅茶苦茶に攻撃を仕掛けるような人間ではなく、話のできそうな男であったことに安心して、カミルはアルノーの向かいの椅子を引いて腰かけた。
『用といえば用だね。何かして欲しいとかじゃなくて単純に話をしに来ただけだけど』
「……まあいい、まず一つ聞いていいか。君は誰なんだ、上に報告はしないから教えてくれ」
『……カミル』
「分かった。俺はアルノー。アルノー・ディースブルク」
『知ってる』
お互いに自己紹介をし、害のある者ではない事だけわかれば問題がないのか、アルノーはまたグラスを傾けて、カミルの話に耳を傾ける体勢をとった。
……意外だね。頭が硬そうに見えるのに、上にも報告しないんだ。
本来であれば、魔物の処理を行っている魔術師や精霊騎士の許可のない転変した、いわば魔物化した人間は存在してはいけない。そういった違法な存在である可能性もあるはずだが、そこについてはあまり深く触れずにアルノーは、視線をカミルに向ける。
……もしかすると僕の外見から察してるのかもしれないけど、ま、いいか。
『じゃ、率直に聞かせてもらうけど、なんで、アルノーはフィーネを助けてくれるわけ?』
「……それは君とどんな関係がある?君はフィーネと何か特別な関係でもあるのか」
当たり前のようにそう返されて、カミルもフィーネに言ったように昔の記憶を思い出しながら口にする。
『昔彼女に助けられたから、いま、彼女を助けたいだけだけど』
「そうか……君みたいな存在に人道を解くつもりはないが、フィーネを傷つけてくれるなよ。君みたいに転変した人間はどこか箍が外れていることが多いからな」
『そんなことしないよ。それに、知ってるでしょ。このままじゃフィーネは傷つくどころか、あの人たちに利用されて使い潰されるよ』
アルノーの言葉に、カミルはなんだかフィーネを大切に思う気持ちを軽んじられた気がして、フィーネの状況を引き合いに出した。そのことについてはアルノーも思う所があるようで神妙そうな表情をして、眉間にしわを寄せた。
「妹がフィーネにとって代わろうとしているという話だろう?……確かにそれは、深刻ではあるが、それはやはり、彼女があの地位をあきらめれば済む話だろう」
しかし、出てきた否定的な言葉に、カミルはフィーネのように未来を知らない人間にはそう見えるのだということを痛感した。そしてそれなら、アルノーが彼女のことを好きらしいのに協力を渋る意味も分かる。
いや、それにしたって、フィーネは王妃になるという名目で様々な不遇を強いられてきた、それを簡単にあきらめてしまえばいいというのは、違うとも思うが、確かに事情を深く知らない人間からすると、それが難を逃れる方法なのだった。
……でも。
『フィーネが諦めたって、妹の方は庶子なんだ。子供が必要になる。逃がしてくれなんてしないよ』
「…………」
実際に辿った未来のことを言えば、アルノーはまったくそんなことを考えもしていなかったかのように、瞳をパチパチとして、それから苦々しい顔をした。
「……それはなにか?フィーネが子供をなすための道具にされるとでも言いたいのか」
『その通りだけど?』
「……何故そんなむごいことを考える」
『事実でしょ。確かにむごかったよ、可哀想だった』
その時のことを思い出して、さらには、彼女が衰弱していく過程はとてもじゃないが、そんな言葉で表せるようなものではなかった。
そこまで聞いてようやく、彼女が助けを求めている状況の深刻さを理解できたらしくアルノーは、ガタンと強くグラスをテーブルに置いて、拳を握った。それから暫く無言になって、ふと、いま初めて疑問に思ったかのように口を開いた。
「ではなぜ、あの子は俺の元に今すぐ来るぐらいの事をしないんだ、なぜ、元の地位に拘る」
『別にこだわってはいないみたいだけど……』
「拘っているだろう。俺はいつでも彼女を思ってずっと……望んでいるというのに」
絞り出すようにそういう彼に、やっぱり初対面ではどう考えてもないだろうとカミルは考えて、話を促すように、グラスにお酒を注いで、お酌をしてやりながら、彼の話を聞こうと考えた。
『だから、それだけフィーネを思う理由を教えてよ。彼女だってアルノーの気持ちに気が付いていないだけかもしれないし』
「そんなはずはない……あの髪飾り今日だってつけていた。俺の気持ちは、分かっていて、それでも……フィーネは……」
『いーから、話しなよ。ほらほらまずは、彼女との出会いから』
「……貴様、俺相手に魔法を使うなうっとおしい」
言いながら黒魔法をちょちょいっと使って、軽くしゃべらせてしまおうと考えていたのだが、すぐにバレてカミルは、相当に鋭い人間だな、と思いつつ、気にしていないふりをして『はーやーくー』と子供らしく言った。
そんな言動が、アルノーは弟に重なって、まったくしょうがないなと思う。フォルクハルトがやったら一発殴っている黒魔法を使うという行為を簡単に許して、フィーネとの思い出ばなしを語り始めた。それは昔、まだアルノーが無邪気な子供の時の出来事であった。