人間らしい裏切り 7
「……貴方の名前を教えていただけますか?」
立ち上がって本来であれば少しは貴族らしくするべきであったが、生憎、足は震えていて使いものにならないらしい。
初めて言葉を喋ったフィーネに、男は少し驚いて、それからにーっと唇で弧を描いて笑顔を見せる。
「や~だ。だって、君、庶子でしょ~?せっかく助けたのについてないなぁ」
「……」
「でも、すごいな。これに襲われてもそんなに冷静でいられるなんて、女の子っぽくない、暗殺業にでも就けば儲けられそ~」
庶子だということを馬鹿にしつつも、会話をする気はあるらしく、それほど凝り固まった差別意識ではないのだろうと、フィーネはあたりをつけた。
少し幼い話し方だが、この男性はすでに成人だろう。しかし、多分貴族は貴族でも、あまり地位を持っているようなタイプの人間には見えなかった。
「あ、どう?うちに来てみない?俺、そろそろ弟子とかほしかったし、魔法なんて使えなくてもどうにかなるでしょ?強い子って好きなんだよなぁ~」
遠慮しておきますと、口にしようとしたのに、男にのぞき込まれると口が動かずにフィーネは喉に手を当てた。
「うんうん。びっくりしても全然顔に出ない、良い感じ!色々仕込んでローザに送り付けてもいいな!」
「……」
楽しそうに笑う彼がおおよそ人の感情を持ち合わせているように思えなくて、フィーネは警戒しつつ少し目線を厳しくいて、彼を見据える。
……きまぐれで誘拐事件を起こそうなんて、頭のねじが、数本抜けている程度ではなく、変な部分にねじが入っているまであるわね。
『それは、また、変なたとえ、だね!!』
背後からカミルの声がして、ふと視界を手でおおわれる。そうされると声がでるような気がして、同時に彼がここに来てくれた事を嬉しく思いつつ、口を開きながら、心の中でカミルにお礼を言った。
「生憎、私は忙しいので、貴方に攫われている場合じゃないのよ」
……カミルありがとう。この人のおかげで助かったけど、庶子だったからか少し機嫌を悪くさせてしまったみたい。
「あれ?黒魔法に体勢があるのかなぁ?変なの」
「名前を伺ってもいいかしら?」
「フォルクハルト」
「そう、私はフィーネ。なにか事情を知っているみたいだけど、私はまだ正式なこの家の令嬢です。理解してください」
「い~よ、そういうのは面倒だ。建前とかって、事実に比べたらゴミみたいなもんだよ。気に入ったから平民一人さらっても問題なしっ」
『うわー厄介。人の話を聞かないタイプだ!てか、とっとと魔物の死体の処理しろっての!』
カミルの言葉に同意しつつ、床に広がっていく血だまりを見ないようにして、フォルクハルトの方を見やった。すると彼はあろうことか剣を抜き、未だに立ち上がれないフィーネに突き付けて、そのアメシストの瞳を細くする。
「俺強いよ?抵抗してみる?」
その剣の切っ先を見て、いよいよこの人からも、逃げるしかないだろうと決意を決める。
がくがくと震える足に力をいれて、どうにか床を強く押して立ち上がる。そんな、フィーネの動きと同時に、剣を向けていたフォルクハルトが瞬きの間に、部屋の向こう側の壁にたたきつけられ、見知らぬ別の男がフィーネの前に突っ立っていた。
居室の壁に激突したフォルクハルトは大きな音を立てた、それから壁に掛けられていた絵画が衝撃で落ちてフォルクハルトの頭の上にガタンッとぶつかって「あいてっ」と小さな声がする。
「ひっどいなぁ、アルノー様。なになに、好みの顔だった??」
『フィーネ!逃げよ!こいつらやばいって、僕の魔法で足止めするから!』
カミルは、精霊騎士は戦闘狂みたいなやつばかりで面倒だという事知っていたので、フィーネの手を引こうとするが、彼女は、フォルクハルトにアルノーと呼びかけられた、自分の目の前に立っている男の事を凝視した。
「……」
「……」
アルノーも震える足で立っているフィーネのことを深い緑の瞳でじっと見た。
「因縁の相手的な?ま、なんでもいいけどアルノー様、手を出すのはいいけどさ、手加減しないでほしいなぁ、つまんないだろぉ?」
『フィーネどうしたの?固まっちゃって!早く逃げよ!!』
カミルに手を引かれて、フィーネはやはりほんの数秒、躊躇した。
なんせ、精霊騎士であり、少し上ぐらいの歳ごろ、それにアルノーという名前の人物は、カミルの言っていたフィーネを助けようとしていた存在以外には思いつかなかったからだ。
名前しか知らない彼は、どうやらフォクルハルトと同じ職種についているし彼と同じような人種なのかもしれない。そんなアルノーはふと、フィーネに手を伸ばしてくる。
前のフィーネを助けようとしたのも、フォルクハルトの言っていたように、フィーネが感情を表に出さない事を面白がってか、フォルクハルトの言ったように、顔が好みだからなのか。
どちらなのかはわからなかったが、どちらにせよ、やっと得た希望だっただけあって、フィーネにとって、アルノーという人物は、色褪せて見えた。
眉間に寄った皺も、鋭い眼光も、鍛え上げられた大きな体躯も、うら若い令嬢が黄色い声を上げて、ころりと惚れてしまってもおかしくない風貌にで、ロジーネが予め女嫌いだとわざわざ言った理由がよく理解できるような、格好の良い騎士様であった。がしかし、フィーネからすると、ハンスとそう大差なかった。
この男もやっぱり男らしく、フィーネを顎で使ったり、卑しいものを見る目をするのだろう。気に入ったなんて言っていたって、所詮は女を所有物としか見ていないのだ、男なんて言うものは。
……ああ、酷い偏見ね。でもきっと事実だわ。カミルはそうならないように育ってほしいものね。
『くだらないこと考えてないでいくよっ!!』
「ええ」
カミルに手を引かれて、フィーネは窓辺に向かって、振り返り足を踏み出した。
魔物の襲撃によって滅茶苦茶になった居室は、家族が過ごす落ち着いた場所であった面影はもうない。ガラスが飛び散りソファーには、魔物の爪痕がついて、なかから綿が飛び出している。
ど真ん中に、魔物の死体が大きく鎮座していて、首を取られたその体は、力なく横たわっている。
この部屋はきっともう二度と家族の安寧の場所として使われることは無いだろう、一度ついた傷跡は直せても消えはしないものだ。
走り出した、フィーネの髪に揺れる小さなクローバーの髪飾りが、もう沈んでしまいそうな日の光を反射して、アルノーの目に眩しく映った。
去っていく小さな少女らしい背中、ドレスが裂けても割れた窓をまたいで中庭に走っていく。