人間らしい裏切り 3
屋敷の裏口から中に入れてもらい、半ばパニック状態になっている屋敷の中をフィーネは見渡した。それから適切に指示を出していく。
商店街の者たちと同じように扉を閉めて、できればバリケードを張る。それから、窓もできる限り同じように塞いで魔法を使えるものは準備を、そうでないものは身近な武器を持ちそれぞれ固まって待機。
こういう事がいつか起きるだろうと思ってたフィーネは、緊張はしていたが冷静に対処することができた。常に人が働いている厨房や、洗濯場、使用人用の休憩室にも顔を出し、早口に用件を伝えて持ち場の者と合流するように促した。
それから一番最後に家族が集まる場所である、共有の居室に足を運ぶ。
最中にも考え事を巡らせる。
兵士が素早く王都に要請を出したとのことだったので距離を考えれば、こちらからは早馬を使って連絡をして三時間ほど、それが一時間ほど前なのであと二時間、話を聞いた限り、この商店街に魔物が到達するまでの時間は一時間もない。
王都にある騎士の詰め所や魔術師には、遠隔で連絡を取り合えるものがいるはずなので、連絡が到達してからは早いはずだ。近くの領地に派遣されている精霊騎士がいれば、数十分でここへきて魔物を制圧してくれるはずだ。
それまでの辛抱が大切になってくる。
「 姉さま!!どこに行っていたのこんな時に!!」
居室に入ってすぐに、ベティーナが心底怯えた声を出しながら駆け寄ってくる。
ビアンカはソファーに座ったまま祈るように手を組んでうつむいていた。魔物の襲撃は、数年に一度あるかないか。そして基本は、さほど危険な魔物は現れない、それこそ町に在中している兵士などで対処が可能なものがほとんどだ。
しかし、ここ数年の間に、平民だけではなく貴族にまで被害者が出るような危険な魔物の出現が、この国を脅かしている。
なにかの予兆ではないか、そんな些細なうわさから始まって、実害となって現れ、警告になり、いま私たちの目の前に危険として接近している、心の準備をする期間があったとはいえ誰だってこんな状態になったら怖いだろう。
それに、フィーネたちを守ってくれるはずの領主のエドガーもいない。私たちは剣術もまともに習っていない実践的な魔法も使えないのだ。この場にいるのは、非戦闘員の女性三人だけだ。
「ごめんなさい、ベティーナ。そんなことよりすぐにここを離れて、二階にある寝室の方へと移った方がいいわ」
「な、なんでよ!?何かあったらここに集まるように父さまにも言われているじゃない!!」
「落ち着いて、それは火事や、災害の時の対処法でしょう?賊に押し入られそうな時や魔物の出現はまた話がべつで、私たちのような魔力のある人間は魔物に狙われやすい、せめてほかの人たちよりも魔物から遠い所に━━━━
「でも父さまがここに集まれって言ったじゃない!!!」
ベティーナは取り乱して、まったくフィーネの話を聞かなかった。それに、よくよく考えてみれば、彼女たちは平民であり、他の平民よりも、魔力を求めて人を襲う魔物に襲われる確率は高いとは思えなかった。
なのでこの場で一番危険なのは、説得をしているフィーネ自身であり、それにフィーネは調和師の家系なのだ。調和師というのはその性質上、代々他の貴族より特別な存在として、様々な悲運を背負ってきた。例えばこういう時に、一番に魔物を鎮めるために、生贄という名目でささげられたりしてきた。
不思議と、それをした後すぐに魔物が消失したという伝説も少なからず残っているので、昔からある慣習というのはあながち完全に間違いというわけでもないのかもしれないが、その話は今のフィーネには不利にしかならない。
それに、そんなことよりも、家族をより安全な所へと移動させるための手だてを何とか考えなければならないのだが、フィーネだってこんな状況に慣れているわけでもなければ、怖くないわけでもないのだ。
「お願いよ、ベティーナ。私の話を聞いて」
「聞いてるわ!!でも母さまがここに居ろって、父さまが帰ってくるって!!!」
「……何か連絡があったの?」
フィーネは焦る気持ちを押し殺して、なんとかベティーナと話をする。ここにいるように言ったビアンカの方を見てみるが微動だにせずにただ佇んでいるだけだった。
「しらないわ!!分からない!!ねえ!!私嫌よ!獣に食い荒らされるなんて!!絶対にいや!!」
「大丈夫よ、大丈夫。ベティ」
「お友達のクラーラが言ってたの!!彼女のいとこのいとこの屋敷にも魔物が入ったのよ!!食べられちゃったのよ!!」
「それは不憫だわ、でも私たちとは状況が違うはずよ、ベティ。それに魔物は魔力を食らうだけで、別に人間を食べたりしないわ」
フィーネは言いながら、落ち着かせようと笑顔を作る。
何故、魔物が魔力を欲するのかというと、調和師の調節することができる精感は本来魔力を排出するだけのその器官なのだ、しかしそれが逆流を起こして魔力を吸い取ることができるようになってしまう場合がまれにあるそのことを転変と呼びそうなった生き物は、際限なく魔力を求める。
それゆえ魔物呼ばれ、魔物は、魔力を奪えば魔法を無尽蔵に使えるおぞましい生物に変貌する。
魔力は、生命エネルギーそのものだ。すべて奪われれば、絶命してしまう。
そしてその転変は獣にも人間にも起こりうる。人は、転変した時点で、処刑されるが獣はそうはいかない。本能に従順に力を求めた獣は、周りの獣の魔力を奪い人里に降りてくる。
けれど、それが人に対処しづらい、大型の獣に起きる確率は非常にまれであり、ここ最近はそれが起きすぎている。なんらかの原因があることは確かなのだが、未だに原因の究明に至っていない。
それを説明しようとした、フィーネにベティーナは思いっきり平手打ちを食らわせバチンっと弾ける音が鳴った。それにジンと頬が熱くて、衝撃に呆然として、ベティーナを見た。
「……」
「なんでもいいわよ!!!死にたくないの!!!」
「……」
ベティーナの甲高い叫び声は、かろうじて、こんな時にも逃げずにお茶を用意したり部屋を整えていた、フィーネの専属の側仕えであるロミーを簡単に震え上がらせ、彼女は足早に部屋から出ていく。
当然だ、大型の魔物の襲撃時に一番危険なのは、貴族だ。そばにいて、とばっちりを食らってはかなわないだろう。それでも、フィーネについてきてくれていたロミーは、とても忠実であったが、悲痛に死にたくないと叫ぶベティーナを見てしまえば決意が揺らぐのも当然のことのように思えた。
『黙らせようか?』
ベティーナの後ろに突如としてカミルが現れ、フィーネに問いかける。それにフィーネはやっと冷静さを取り戻して、小さく頭を振った。それから、恐怖に支配されている妹に歩みを寄せる。自ら攻撃をしたせいで仕返しをされるのではないかと恐れ、一歩引くベティーナの事を抱き寄せた。
ぐっとかかとに重心を置いて決して逃げられないように。
そして、今日ばかりはあの日のかかとの怪我があって良かったと思う。それでぺったんこの靴を履いていて、きちんと地面をとらえて身じろぎする、ベティーナの背中をさすった。
「分かった。ここでお父さまを待ちましょう。きっと助けに来てくれるわ。ベティ、ビアンカお母さまに温かいお茶を入れるのを手伝って?」
そんな可能性は、フィーネにとっては雪のひとひら分だってないとはわかっていたが、信じられるものがあるのとないのでは、心持ちが全く違うのをフィーネは知っている。
さっさと、ロミーが淹れようとしていた茶器を準備するフィーネにベティーナはこの人が言うのなら、そうなのだろうと、やっと安心できた。
だって、意味の分からない事ばかり言うけれど、頭だけは良いのだ、このフィーネという姉は。だから、死ぬかもしれないというときに、こんな風に冷静にしてられるはずもない、それこそ強引にでも安全な場所に移ろうとするだろう。それでも、そう言ったということは、きっと本当に父がやってくる。
そう信じて疑わなかった。それから、なーんだ、やっぱり演技だったのね、と思う。あんなに焦って上の部屋に移ろうといったのは、きっと、フィーネは自分に恩を売っておきたかったのだと、くだらなく思った。