愛情の形 7
そんな風にされたことのないフィーネはびっくりして、くすぐったさに身じろぎする。
それから、カミルは爪でかりっとフィーネのかかとをひっかいて、今度は痛みにビクつく彼女を少し責めるような目線で見つめた。
『……フィーネ。君は、もう少し自分を大切にしてよ。約束してくれたら教える』
「……」
急に真剣なまなざしでそう言われてフィーネも真面目に答えなければならないだろうと、視線を落として考えた。
これでもフィーネは自分をないがしろにしているつもりはない。自分という存在は自分にとって何よりもかけがえがないものであり、守れるのも、やすらぎを与えられるのも自分だけ。
真の意味で自分の為に行動できるのは自分だけ。だから、きちんと自分が無理をしないように努力はしているし、メンタルケアだって、眠る前には瞑想をしているし。
しかし、カミルが言っているのはそういった、ないがしろにしないという事でななく大切にしろという事なのだ。
その差異について考えるとなるとやはり、身体的な外傷を負っているのに無理をしたりしない事のような項目があげられるのではないかと思う。
「外傷については気を付けるようにする。ベティーナのわがままもうまくかわせるように私がコントロールしなければね」
約束できるという意味で、改善案を口に出すと、カミルは治し終わったフィーネの片方の足をほっぽり出して、もう片方を持ったまま膝立ちになり、ぐっと彼女に顔を寄せた。
『……分かってない。僕はそういう事を言ってんんじゃないの!』
「? じゃあ、どういう話」
心底わからなくて、カミルに問いかけると、彼は、こつんとフィーネの額と自分の額をくっつけて、むすくれたまま言う。
『君が君の思ったことを黙殺すんなって言ってんの!』
「……よくわからないわ」
『痛かったら、嫌でしょ!酷い事されたら怖いでしょ!僕は君の感情が乏しいのは、君が理性的すぎるからだと思ってんの!もっと、人間なんだから感情出しても悪くないの!』
間近で言われて、彼のブルーの瞳がフィーネを射抜く。
そんなつもりは全くなかったし、そんなことを言っているのだと思わなかった。フィーネは、感情の処理などやり方を知っていれば表に出す必要はないと思うし、いちいち感情をだしていたら世の中回っていかないと思う。
それに別に許されないから、押し殺しているというわけでもない。ただ本当に、その時にこう思っていると自分が理解できているのなら、それの対処の仕方を知っているのだから、それに振り回されないようにした方が、効率がいい。
なぜ、それほど強い口調で怒って言われなければいけないのかわからないと、フィーネは思ったが、それもまたカミルの望んでいることを考える中では不要な考えであり、理解するためにはそれによるメリットを考えるべきかと改めた。
「努力するわ。もう少し、その考え方について教えてほしいけれど」
『……』
じっとフィーネを見るカミルの瞳は白い魔法に少し染まっていて、目を逸らしたらきっと、嘘を言っていると思われてしまうだろうと思いフィーネは眉を困らせながら見つめ返した。
『それ、それだよそれ、もっと君は、自由でいてよ!』
「どれ?」
『その効率とか、処理とかそんなの考えてないで、今の君がそう思ってるんだから、怒ったり拗ねたりしなよ』
「メリットがないわ」
『メリットがなくても!』
頑として譲らないカミルにフィーネは、そんなこと言われても困るという気持ちもあったが、受け入れると決めたのだから、やってみるべきかと、そのメリットがない行為を実践してみることにした。
「…………」
しかし、いざ、なにかやってみようとすると、主張したいことは特に見つからず、顔に出したり声に出して訴えたいことは、思いつかなかった。
そして考える。その行為を当たり前にできているからそう言うはずであるカミルが実践している事によって、どんなメリットがあるだろうかと。
……それが得意そうなのはベティーナも同じね。とすると二人はどんな風に、利を得ているだろう。
さしあたっては今こうして、カミルがこういってくれた事、それを感情を伴って強く伝えてくれたことによって、フィーネは、そうした方がいいという、自分自身の意見を否定することであっても、フィーネの事を思いやっているからこそ出てくる発言であると、理解することができる。
つまりは、そうやって主張をすることは、他人に感情を伝えることができるという利点がある。
『御託はいいから!!もうっ!!君の思考うるさい!!!』
「うるさいかしら?」
『考え事はパズルじゃないんだよっ!!ほんと頭硬いんだから!!』
「パズルみたいなものよ」
『パズルじゃないっての!もっとこう柔らかいんだよ!!』
フィーネの思考を読んでいたカミルは、頭を押さえながら元の位置に戻っていって、フィーネのことを治す作業に戻る。それから、暫く沈黙して、口を開く。
『柔らかくて曖昧で、分からない事がいっぱいある。だから、それを外に出すんだ。分かんないままでも、誰かに言ったり感情的になったり、そうじゃなきゃ君は黙って不合理だからって消しちゃう』
「……それにどんな問題があるの?」
欠落人間と言われてしまうかもしれなかったけれど、フィーネはカミルに聞いてみた。カミルはその質問に、少しだけ表情をやさしくして、同情的にフィーネを見た。
『感情を大切にしてちゃんと出すと、君のそばにいて君を大切にしたい人にちゃんと伝わる、それって、問題はなくても、君の言うメリットにはなると思う』
……それは、その相手がいる場合に限って、適応される考え方で……。
『そうだよ。僕みたいなね』
いいながら、カミルは傷を治し終えてベットの上を移動して、フィーネのそばに寄った。
『だから、そうしてみてよ。君が無感情な人間じゃないのは僕は知ってる。だから、教えてほしい』
「……器用なことするのね」
『今はそんなのどうでもいいでしょ』
心の声と会話をするだなんて器用だ。確かにどうでもいいことではあったが。
隣に並んで座って、フィーネの肩にカミルは頭を預けた。その美しいブルーの瞳を重たいまつげを伏せて隠す。それをフィーネは横目で見下ろして、確かに反論できないことを認めつつ、暗い部屋の中、彼の感触を感じて無言で眺めた。
『それに僕だって味方がいない中で育ったからフィーネと同じように思ってた、でもそうじゃないって教えてくれた人がいたから』
だから、大丈夫と言うようにすりっとカミルはフィーネの肩に頭を擦る。
……すてきな考えを持って教えてくれる人だったのね。
そうまで言われては、反論できずに認めて、素直にそう思えばカミルはくすっと笑ってその思考に答えを返す。
『前の君だよ。僕のことを大切に思っているからって教えてくれた』
「……」
フィーネはそれを聞いて自分自身に論破されたという謎の敗北感に包まれた。それに、今のカミルは、それをフィーネに言ってくれるぐらいにはフィーネの事を大切に思ってくれていることの嬉しさが入り混じってなんとも言えない。
しかし、こんな数奇な体験をした人間はほかにいないだろう、とこれも貴重な経験だと自分を納得させて、嬉しさの方だけに目を向け、フィーネもカミルに体を寄せる。
すこし体重を預けて、お互いの存在と重みになぜか、安心できた。そのまま、すっかり安心してその日は眠ってしまった。
仲の良い兄弟が遊び疲れて眠って知ったような光景は、他の誰にも知られることは無く、美しい思いやりもその寝室に閉じ込められたまま静かな夜は過ぎていった。