けじめ 7
揺れる馬車の中でフィーネは居眠りと思案の間を彷徨いながら、ぼんやりと対面の座席を見ていた。馬車が大きく揺れるたびに意識は覚醒して、けれどもたま、段々と瞼が落ちてくる。
そんな時間をただただ過ごしていると、ふいに肩を叩かれて一気に覚醒する。
……ついたのね。
起こしてくれたアルノーにお礼を言いつつ、フィーネはシャキッとするために自らの頬を両手で挟み込むようにしてパシッと叩く。
「気合いが入ってるな」
「当然よ。……覚悟はできてるわ」
「あまり無理はしなくていいからな」
優しく言いながら先に降りて手を引いてくれるアルノーの言葉に、フィーネは、うっと苦しくなるのを感じる。こんな風に言われることになれていないせいで、優しくされると心臓に悪いのだ。
……今までの私だったらその優しさの裏側について考えて、それに報いる方法を考えて、忘れずに実行できるようにそれを実行する日取りまで考えていたでしょうに、なんなのこの体たらくは。
そう自分を叱咤していると、ふとアルノーがこちらを見ているのに気がつく、どうやら思考を読まれていたらしい。けれども彼は何も言うことは無く声を出さずにくつくつ笑って、それから表情を引き締めた。
目の前にあるのは、見慣れたエントランスホールだ。しかしながら、記憶している情景よりも荒れた印象を受ける。
調度品に積もったほこり、手入れのされていない花瓶。
案内に出てきた使用人も心なしか、生気がなく、草臥れた様子だった。
「こちらでございます」
そんな使用人が見知ったフィーネの生家であるタールベルク伯爵邸を案内する。案内などなくとも客間の場所など見知っていて、慣れ親しんだ場所だというのに、離れていたった半年の間に、フィーネの心は別の場所を自分の家だと定めたせいか、不思議と帰宅したという気持ちはわかなかった。
今日、ここに来たのは他でもないベティーナとハンスに会うためだ。
フィーネの計画はおおむね順調であり、すでに、今までの国とは別の道を歩み始めている。
しかし、この面会が終わらない事には、フィーネの”やり直し”のすべてを終わらせることは出来ない。
今日はそれをやっと終わらせる日だ。
フィーネは、国王を変えることによって、国の安定と自らの望む地位、それから友人の救済を手に入れることができた。けれどもそれと引き換えに、フィーネが貶めた者もいる。
しかし元より、最初にフィーネのものを奪ったのは彼らであり、フィーネが貶めたことになるのかは、フィーネの立場からすれば貶めたのではなく取り返したが正しいが、主観が変われば、見方も変わる。
ハンスとベティーナは、手に入れるはずだった輝かしい暮らしと王座をフィーネに奪われた。
けれども、すべてを奪い取ったわけではない、フィーネは自分の身分の担保として、手間ではあったがが一度バルシュミューデを再建している、そしてフィーネはタールベルクの血筋から抜けて、新たにそちらで身分を証明した。
そして、タールベルク伯爵となる地位は、ベティーナに譲ってやったのだ。
いろいろと厄介な手続きを踏んで書類を改ざんする必要があったが、ベティーナがあらかじめそのように振るまっていたので貴族たちからの反発もなく事実を整えることができた。
扱いに困ったのは、ハンスの事である。彼は罪を犯した王族として、捕らえておくべきだという意見も多数あったが、降嫁ならぬ、降婿としてタールベルク伯爵家へと婿入りさせることで決着とした。
もちろん、ハンスに伯爵の地位を持たせるのではなく、ベティーナを一代限りのタールベルク伯爵に据え、ハンスは配偶者という立場だ。
フィーネがことを起こしてからというもの、父親でありタールベルク伯爵であったヨハンは長年の道楽がたたり病に伏せ、ビアンカも社交界には姿を見せなくなった、以上の事から、この領地を守りこの場所の主として采配を振るえるのは彼らしかいない。
ちなみに商店街にだけは特別な配慮として様々な支援をしているがそれ以外の事では、フィーネは二人の暮らしについてはノータッチだ。
本来であれば様子を見に来る必要もなければ、こうして、わざわざ足を運ぶ行為だって、危険であるし、そうするべきではないとわかっている。けれどもフィーネの中でけじめをつけるためには、どうしても必要な行為なのだ。
部屋へと案内されると既に、二人そろって、扉から見える位置に座っていた。
ハンスはフィーネを瞳だけで呪い殺さんばかりにじっと見つめていて、その瞳はまるで親の仇でも見ているようだった。
一方ベティーナは、少ししょげているような印象はあれどもフィーネに媚びるような視線を向けている。
そんな、豪奢で相変わらず華やかな金髪を持っている二人にフィーネは思うところはあっても冷静に彼らの前に用意されている、ソファーへと腰かけた。表情を動かさないのは得意なので、久しぶりに会った二人にひるんでいることはバレようも無かった。
アルノーがフィーネの後から続いて、隣に座るのではなく、フィーネの後ろに突っ立った。
これは相手が警戒するべき人間であるときにアルノーがすぐにフィーネを守れるようにとる行動だ。それを知っているので驚くことは無く、フィーネは小さくふっと息を吐いて、二人を見つめた。
言うことは決めている、今回ばかりは自己満足でもなんでも、それが意味をなさなくても良い。そう思ってここまで来た。決意をして口を開こうとすると、なにを考えたのか先に喋り始めたのはハンスだった。
「この愚図女め、大きく出たな、お前。私の人生を滅茶苦茶にした罪どう償てくれるつもりだッッ!!」
突然の怒号に、体が否応なしに驚いて体がビクついた。
「今更許しを乞いに来たのか間抜けめ、こんな田舎に押し込められて私がどれだけの苦痛を味わったのか、お前のすかすかな脳みそで理解できるか?この欠落人間!!」
「……」
「お前の下らん癇癪で被害を被り一生の汚点が付いた私をどうしてくれる!!責任を取るというのが筋というものだろう、まずは一発殴らせろ、この愚か者。話はそれからだ」
……!
目を剝いたまま固まるフィーネに、ハンスがぐいと体を乗り出して、手を伸ばしてくる。その手はあっけなく後ろから移動したアルノーに掴まれて、予想していなかった出来事に一瞬ハンスは驚いたが、すぐにその手を振り払い「軽々しく触れるな!!無礼者っ!」とさらに声を荒げた。
しかし、威勢はいいもののアルノーの無言の圧力には耐えられなかったらしくその手を引っ込めて、また怒りの籠った目線でフィーネをにらむ。