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彼が救われた日 7




 そしてその日の夜。いつもフィーネの部屋には来客はなくて、彼女が本を読んでいるはずの時間に、彼女に会いに行った時の出来事である。


 薄ら笑みを浮かべたハンスがフィーネの部屋から出て来るところに遭遇した。


 なんだか、すれ違う時に変な匂いがしたのだ。しかしカミルは、気にせずフィーネの部屋の中に入って姿を現した。


『フィーネ遊びに来たよ。あの人こんな時間になにしに……』


 途中まで言って異変に気が付いた。いつも同じ時間に同じことをする時計のような生活をしている彼女なのに、今日はベットにいた。


 髪は結われていなくて、自分で解いたというより乱されたような風貌で上半身を起き上がらせたまま、ぼんやりしていたのだ。


 愛用のネグリジェを着ているものの、妙に息が上がっているというか呼吸が乱れているようで、たとえるならば、風邪をひいているときのような風貌だった。


 しかし、男女のそれに疎いカミルは、すぐにフィーネの側へと寄った。そうすると先程ハンスからも香ってきた変な匂いがして、わけもわからないままフィーネの表情を覗き込んだ。


『あの人に乱暴でもされたの?』


 カミルはそういった自分の声に驚いた。だって酷く不安げで、まるで母親に縋る子供のようだった。フィーネとは血の繋がりもないし、何なら出会ってまだそれほど時間は経っていないそれでも、フィーネが不安定に見えるとカミルもとても不安になる心地がしたのだ。


「……、……」


 カミルの事を見て、フィーネはきゅっと口角を上げた。それだけではなく目も細める。


「だいじょうぶよ」


 割と、上手い笑顔だった。いつもとそれほど大差のない笑顔、しかし、カミルは今の状況は絶対に普通ではないのに、そんな普通の笑顔を浮かべている彼女に、言い表しようのない感覚が襲ってくる。


「ハンス殿下とすれ違った?」


 なぜかそう聞くフィーネに、カミルはフルフルと首を振って、嘘をついた。あんな彼の薄ら笑みを見たという事を知られたら、フィーネは嫌な思いをするかもしれないと咄嗟に思ったからだ。


「そう。……ところで、カミル。今日はね、前々からお願いしていたお菓子をもらえたのよ。でも貰ってみてから思ったのだけど、貴方って食事をできるのかしら?」


 言葉を紡ぎながら、フィーネは早速と言わんばかりに動き出す、起き上がってベットから降りて立ち上がろうとしたときに、彼女のベットのシーツに赤い色が一瞬見えて、けれどもフィーネは掛け布団をすぐに整えていつもと変わらない事を演出する。


「それに結構甘いものだから、甘いものを食べたことがない貴方が食べたらびっくりしてしまうかもしれないわね」


 フィーネはテーブルの方へと行き、置かれている箱を開く。そこにはたくさんのクッキーが詰め込まれていて、フィーネについていって覗き込んだカミルは甘い匂いにむせてしまいそうだった。


「これはね。フロランタンっていうのよ。きっと気に入るわ」


 優しく微笑む彼女は、いつもの張り付けた笑みではなく、カミルに本当に喜んでほしいと願っている愛情を孕んだ表情をしていた。


 それでも、だからと言って、そんな笑顔があるからと言って、感情を飲み込んで喜ぶことはカミルにはまだできなかった。


 ……なんだ、それ。なんで、あ、ああ。


 だって、お菓子はいつもフィーネがどんなにお願いしたって、ベティーナもハンスもくれることは無かったのだ。彼女がここに連れてこられて与えられた嗜好品は、部屋に置いてあったチェスと仕事用の本以外にはない。


 どんなにフィーネが仕事を早く沢山したって、どんなにベティーナの愚痴を聞いてあげたって、フィーネの要望が通ったことは一度もなかったのに。


 それなのに、今ここにある。あの人が持ってきたであろうお菓子は、どんな物の代わりに得たのか。


 カミルは、思い至ってしまった。その代償にはクッキー缶一つでは、あまりにも釣り合いが取れない。それに彼女の気持ちや体の問題があるはずなのだ。いや、もしかすると、これだけ平然としているのだから、もともとそのつもりだったのかもしれない。


 けれども、どうしても、いつもきっちりしていて、割と頑なな彼女がそれを織り込んで、飲み込んで、生きられるほど器用には思えないのだ。


 でも、それを飲みこむ理由に自分がなってしまっていたらどうだろう、底抜けに優しいフィーネなら、カミルのためにだったら、どうしても嫌なことでも飲み込んで、笑顔を浮かべられるだろうことは想像できてしまった。


「……カミル?一緒に食べましょう」

 

 そう声を掛けられて、カミルは咄嗟に、そのおいしそうで綺麗なお菓子をフィーネの手から力任せに薙ぎ払って払い落とした。


『っ!いらないっ、そんなもの……そんな物のためにッ』


 怒りに震えた声でそう言うカミルに、フィーネはうまく隠すことができなかったのだと悟り、それから、「ごめんね。でも貴方のせいでは決してないのよ」と穏やかに言うのだった。


 それから丁寧にクッキーを拾い集めていく。その動作は緩慢としていて、いつまでたっても終わらなさそうだった。


 それを見ながらカミルは、なぜか出てくる涙を堪えるのに必死だった。


 カミルのせいではないだろう、そうかもしれない。けれども、カミルの為であったことは事実だと思うのだ。


 そのまま姿を消して、カミルは、フィーネの元を去った。いつの間にかいなくなってしまった彼に、フィーネは泣くこともせずに、フロランタンを懐かしく思いながら、箱に収めて、きっとあの時にはもう、こうなることが決まっていたのだろうと思うのだった。


 部屋から飛び出して、カミルはわけも言わずにマリアンネに泣きついた。物心ついて初めて頭が痛くなるまで泣いたカミルは、それから心にきちんと整理をつけて、フィーネに謝った。


 それでもフィーネの部屋に行くと、時折お菓子の箱が置いてあることがあって、カミルはフィーネにこの体は食事ができないと嘘をついて、できるだけ気にしないようにするのだった。


 そんな生活が暫く続き、それなりに落ち着いたころ、カミルは最近、練習して使えるようになった白魔法を使って、マリアンネとフィーネの事を観察していた。


 なんせ二人とも、とても表情が読みづらいし、なにを考えているのかわからないところがあった。


 だから彼女たちをもっと知るために必要な魔法を習得したのだ。しかしながら、白魔法も万能ではない。マリアンネの感情を読み取ろうとすると、何故だか頭が痛くなるし、フィーネは難しい事ばかり考えていて意味が分からない事が多かったのだ。


 あくる日、フィーネが自分の腹をさすりながら、『赤ちゃん』と考えているのを不意に読んでしまったのだ。その時には危うく心臓が止まるところだった。


 驚きすぎて、そんな簡単に子供ができるものなのか、とか、子供を産んでフィーネが死んでしまうなんてことはないだろうかと、いう心配が先に来た、そのあとに、けれどもきっと彼女の子供なら可愛いに違いないとすごく気の早い事を思った。


 でも、そのことはフィーネはカミルには話してはくれないのだった。だからカミルもその思考を読んでしまったことを誰にも言わないようにして……というか話をする相手はマリアンネ以外居ないのだが、何でも話していたのにそのことだけは話をせずに、カミルは、フィーネにできるだけ気を使った。


 できることは多くなかったが、あまり動かなくてもいいように、物を取ってあげたり、体調が悪そうな日には治癒魔法をかけてあげたりするのだった。


 しかしながらそんな日々は、すぐに終わりを迎えた。


『赤ちゃんはどこからきて、どこに行ったのかしらね』


 と、ただそう考えながら下腹部をフィーネは摩っているのだった。






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