彼が救われた日 5
そんな、カミルにマリアンネは、彼も自分と同じように力のない存在なのだと分かった。けれどもそれで幻滅するようなことは無く、必死に考えてくれているというその事実が、なんだか嬉しくて、体中が傷だらけで痛むのに、思わず笑みがこぼれた。
「……ん、んへへっ」
『な、なんで笑ってんの?』
「いや、変な人だって……だって私のこと、たすけても、いいことないでしょ」
『! そそんなことっ、ない』
「そ、そぉーかなぁ」
『そうっ、だから━━━━
だから、生きてと、勢いのまま言おうとしたところに、マリアンネの部屋の扉が開いた。途端にマリアンネはびくっと跳ねあがって、立ち上がろうとするが、足につけられた枷のせいで上手く逃げ出すことができずにベットの上から転げ落ちた。
迫ってくる男の影に歯をカチカチ言わせながら、カミルを見た。カミルはてっきり助けてと言われるのだと思って、その男に向かって魔法を放とうと両手を向けたが、マリアンネはふっと微笑んで、それから「また後でね」と冷静にそう言った。
そんな風に言われてしまうと、カミルはもう勝手に、魔法を使って彼女を助けることは出来なかった。
そうしてしまえば今は良くても、もっと別の屈強な男がマリアンネを嬲りに来るだけということは簡単に想像できて、せめて、終わったらすぐに治してやろうと側にいることしか、してやれないのだった。
マリアンネと出会いを果たしたカミルは、様々なことを二人で話した。彼女がどうしてここにいるのか。カミルの小さな望み。出会ったばかりのころは希望的な言葉も多かった。
しかしここから二人とも逃れるすべを持たず、マリアンネに振るわれる暴力は変わることなく、そのうちに、マリアンネもカミルも、助かるとか、助けるという言葉を言わなくなり、ただずっと何気ない会話をしながら二人は時を過ごしていた。
ひどい状況なのも、希望がない事をわかっていつつも、カミルが来てからマリアンネは死を望まなくなった。しかし、生きたいわけではないというのはお互いの共通認識として存在していた。
そんな日々の中に、また一人、城に連れてこられた哀れな少女がいた。少女というよりすでに成人を迎えているので、女性と形容するべきだろう。
彼女はマリアンネとよく似ていて、しかし、マリアンネよりも感情の起伏が少なく、なにを考えているのかわからない女の人だった。
カミルは、一日のうちに、マリアンネの部屋と、そのフィーネと呼ばれている女性の部屋を行き来して、フィーネの事をマリアンネが来た時と同様にじっと眺めていた。
彼女の特徴は、いつも地味な色のドレスを着ていて、お気に入りのクローバーの髪飾りをつけていることだった。あと、薄っぺらな笑みをいつも浮かべている。
マリアンネのように恨み言を言ったりしない、ただ、鏡で自分を見ているとき彼女は、よく鏡の中の自分を睨みつける様な表情をしているのだった。
そんな、フィーネの部屋には、王太子妃となった妹のベティーナと、本来フィーネの伴侶となるはずであったカミルの兄のハンスが会いに来る。フィーネはそんな彼らに、真摯に接していた。
ハレの日にあんな貶め方をされてもフィーネは二人に向き合って、きちんと話をしようとしていたし、ちょっとやそっとの暴力では折れることもなく罵られても、正論を言うような人間だった。
……なんていうか、不器用な人だなぁ。マリーだってもっと上手くやるよ。
と少し呆れた気持ちになって、ベティーナの仕事を引き受けてやっているフィーネの事を、カミルは少し馬鹿にしつつ見ていた。
しかしながら彼女は仕事ができる。王妃の公務としての仕事を引き受けては効率化を計ったり、国王がすでに倒れている状態での意思決定の方法など新たなる案を出し、様々な解決策を提案したのだ。
けれどもそれらはフィーネの手柄になることもなく、また、ハンスやベティーナの怠慢によって、フィーネの完璧な計画を歪められ、国はその度に少しずつ傾いた。
それをフィーネの責任にして責め立てる二人は、まるでカミルからみて人間だと思えなかった。転変はしていなくても、彼らは父親と同じで人間性を失った怪物のように思えたのだ。
だってこんなにも優しい人をこんな風に使い潰すなんて可哀想だと思う。彼女はもっと、彼女自身を大切にしてくれるような、共に過ごすのにふさわしい人がいるはずだと、いつしか考えるようになった。
そして、そのあまり感情を表さない表情は、カミルがいきなり姿を現したらどんな風になるだろうか、と気になって気になって仕方なくなった。
そうなってしまうともう、どうしようもなくなってカミルはフィーネの前に姿を現した。
『こんにちは』
彼女の部屋は、ハンス達の住んでいる付近の近くにある。この部屋はマリアンネやカミルの部屋と違って、窓もあるし一応は、貴族らしい豪華な家具や装飾がある。
だから昼には日が差し込み、夜にはカーテンが閉まって灯りがともされるのだ。
昼下がりの部屋で読書なのか勉強なのかわからない事をしているフィーネに声を掛けた。
彼女はふと顔を上げて、それから暫く固まる、けれども、大げさに驚いたり取り乱したりはしない。
「……、……子供?どこから入ったの?」
『全然、驚かないじゃんっ』
「え、ええと、驚いた方がよかったかしら」
『そーいうわけじゃないけどさっ!僕はカミル。よろしくね』
状況はよく理解できていないらしかったが、フィーネは「そう……」と答えて、それから、また笑みを張り付けてカミルを見た。
「私は、フィーネよ。貴方、ご両親はどちらにいるのかしら?この部屋には来ない方がいいわ、見つかったら、あの二人がなにをするかわからないから」
『……見つからないよ?だって僕は君にしか見えないし!』
「見えないって、どういう……」
少し混乱したように言うフィーネに、カミルは彼女の視界から消えたり出てきたりして見せた。そうするとフィーネは本をパタンと閉じて、カツカツとカミルの方へと寄ってきた。そして、眉間にしわを作ってカミルの事をペタペタ触った。
「……今、カミルが消えたように見えたのだけど」
『だから、そういうものなんだって、すごいでしょ!』
両肩に触れて、背中を摩って、フィーネは、自慢げにそう言うカミルの体を医師が触診するときのように確かめながらに触れていく。
「おかしいわね。貴方なにか、存在がフワフワしていない?よく見ると影がないわ。それに感触はあるのに匂いがしない。消えたり出たりできるというのは魔法なの?私の視界を操るのであれば黒魔法ね。あまりやらない方がいいわ。ああ、でも貴方自身の存在がなにか妙だから、もしかすると自身の体に魔法をかけているの?」
『え、ええ?よくわかんないんだけど』
「では魔法の術者がほかにいるのかしら?私は魔法は使えないけれど、その種類や危険性は理解しているわ。どんな方法を使っていたとしても貴方の体に負担がかかっている可能性があるわ。危険なことは、やってはいけないのよ。まだ子供なのに、こんなことをしては将来、なにか障害が残る可能性だってある」
少しかがんで、フィーネはカミルの事を覗き込んだ。その顔は、笑顔はなく心配一色に染まっていて、それは彼女の愛してやまない二人の愚者に向けられるのと同じ色の感情だったように思う。