真実の記憶 8
食事をしてしばらく仕事をすると、アルノーと約束の時間になった。彼には、屋敷に帰ってきたときに挨拶もしているし、今日この日になるまでの間に彼ときちんと話をするための決意は固めている。
それでもやはり、側仕えの二人は心配してくれて特にエレナなんて、あれやこれやとアルノーの昔のすこし抜けているエピソードなんかを話してくれてフィーネの気持ちを和ませる気遣いまでしてくれた。
そんな優しさに心が温まるのを感じつつ、机ではなくウインドウベンチに座って、アルノーが今日も持ってきてくれた花と、お気に入りの花瓶を眺めた。
しょっちゅう手入れをしているおかげもあってか、今日も美しくその水流の造形は輝いていて二つがぴったりと対になってフィーネのお部屋を彩っていた。
それを見ると安心できるような気がして、一緒に買ったカミルの事も思い出せる。それから彼がいてくれたらな……と思うのだ。
しかし、フィーネのわがままを突き通すことと引き換えに、彼はフィーネの前に姿を現してくれなくなってしまった。
今だって、救えたらいいと思っている気持ちはフィーネの心の中にあるのだ。けれども、それは望まれたことではない。分かっていたはずなのに、彼自身がそれを望んでいないとわかっていたのに、それでもそう思うことはやめられなかった。
コンコンとノックの音がする。フィーネは普段着用の地味な色のドレスをなびかせて立ち上がり、自分の部屋の扉を開けた。
今日はすでに側仕えは下がらせている。アルノーと二人きりだ。
「待たせたか? 悪いな、フィーネ」
「いいえ、そんなことないわ。……入って」
部屋のなかへと招き入れて、フィーネは、ウインドウベンチへと座った。彼ときちんと向き合う、そう考えた結果、物理的に距離を縮めてしまえば前の失敗から、どうしても距離の取った会話しか出来なくなってしまったことも改善するだろうという対策なのだ。
「隣にきてください、アルノー様」
立ったまま、フィーネを珍しいものを見る目で見下ろす彼に、そう言い少し笑って見せた。
「……」
少し彼の瞳の色が白んで、考えを読まれているというのはわかったが問題はない、彼がフィーネを傷つけないという事は知っている。怖くはないのだ。ただ緊張しているだけで。
だからフィーネは何も言わずに、好きなだけどうぞとばかりに彼が考えを読んでいる間、瞳を伏せて、暫く待った。
「……」
しかし、いつまでたってもアルノーはフィーネの前から動かずに、ただでさえ怖い顔を、さらに怖くさせて眉間にしわを寄せて、考えるように口元に手を当てながら、じっとフィーネを見た。
……私の隣に座るのは嫌?
フィーネは確認の意味も込めてアルノーに心の中で語りかけた。
「いや、決してそんなことはっ……あ」
「気持ちは読めた?」
「……すまない、また勝手に君の事を読んで」
「気にしません。……けれどどうしたの?」
そんなに、吟味して突っ立ったまま、何か変なことでもあっただろうかとフィーネは少し心配になった。そんな心境を読んでか、アルノーはすぐに目を見開いて、それからかがんでフィーネと目を合わせた。
「なんでもないんだ。ただ、君が本当に無理していないかと、どうしても気になってな」
「……そう」
アルノーはそれからもしばらくフィーネの事をじっと見据えていた。あの日の夜の事があって以来、完全に距離を置かれたのはアルノー自身も流石に理解していた。
一線は越えなかったし自分でも驚くぐらい真摯な対応ができたと自負していたが、なんせ乙女心というのは難しい、あれでも距離を取られてしまうほどに繊細でそしてフィーネが、今とても不安定だということも十二分に理解している。
特にフォルクハルトに攫われて彼のフィアンセに会いに行ってからは、ことさら、考え事をしている時間が増えていると聞いている。
もちろんあんな強硬手段に出た彼をとりあえずは仕事をしつつ説教をしたが、それはフィーネには伝わっていないだろうし、急に攫われる恐怖におびえて、お気に入りの場所に近づけないでいる、ということもなさそうなので、それ自体を恐れているわけではないようだが、それでもああいった事がないようにはしたい。
いくら常識のない男だとしてもアルノーの大切な人の意思をないがしろにするようなら容赦はしない。もしあれでフィーネの何か害でも与えて居ようものなら、その首をへし折ろうと考えていたのだ。
と嫌なことを思い出して、さらに眼光を鋭くさせるアルノーにフィーネは流石に少しだけ、怖くなって、何か怒っているのかと不安になる。
「っ……はぁ、いけないな。君を怖がらせてばかりでは」
その感情をすぐに感じ取ってアルノーはフィーネの隣に、緩慢な動きで腰掛けた。この場所は大人三人ぐらいは余裕をもって座れるだけの広さがあるので、近すぎず遠すぎずの距離に腰を下ろす。
「俺が話したい事があるからと時間を空けさせたのに、怖がらせてすまない。安心してくれ、君にとって悪い事を話すわけではない」
フィーネの不安を取り払うためにアルノーは、細心の注意を払って、彼女に本題にはいる前にそういった。その些細な気遣いと慎重さにフィーネは少し笑みを深めた。
……確かに、なんの話なのか、なにか良くない事を言われるのではないかって心配していたから、事前に言ってくれるのはありがたいわ。
まだ、気持ちを読んでいるかはわからなかったが、語りかけるようにそう思って、いつもよりも幾分近い距離にいるアルノーの事を見つめた。