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真実の記憶 1




 フィーネは夢の中で、前のフィーネの記憶にも存在する王宮の奥深くにある幽閉部屋にいた。


 そこには窓もなく、明かりも少ない。簡易的なベットとそれから、年季の入った木材の家具だけが置かれている。入口は一つしかなくて、おまけに、入浴や排せつをその部屋のなかだけで済ませられるようなこじんまりとした部屋作りをしている。


 しかし、つくりだけは王宮の中とあってそれなりにきちんと壁紙がはってあったり、扉には飾りの彫刻がしてあったりするのが妙なアンバランスさを生んでいるのだった。


 ぼんやりする思考の中で、その部屋に王族の近衛兵であろう男がノックもなしに入ってくるのだ。


 ……どうしてここに……。


 なんとか思考を回そうとしてもフィーネは頭がぼんやりとしてしまって、上手く考えることができない。今までなにをしていたのかもうまく思い出すことができずにその部屋に佇んでいた。


 ほどなくして、ベットのふくらみから男が少女を引っ張り出した。


 彼女はひどく怯えているようで、そしてあの日に見た柔らかなミルクティーの髪は、短く乱雑に切り取られていて酷く乱れた髪だった。


 その色の髪を持つ人間をフィーネは一人しか知らない。自分と唯一血のつながった少女マリアンネだ。


 彼女は、聖女という立場で、周りに血縁もいない状態で聖職者の道を歩まざる終えなかった子。この間フィーネに会いに来て、家族としてのつながりを求めてきた、フィーネの第二の妹だった。


 ……マリー……マリー?


 声を出して駆け寄ろうとするのに、足はその場から動かず、声も出ない。しかし、状況はフィーネの混乱など無視して進んでいく。


 力なくマリアンネはベットから引きずり出されてカーペットの上に転がった。


 そんな彼女はまるで、囚人のようなぼろきれを着せられていて、あの日に見た、美しい白いドレスは見る影もない。


「えーっと、お嬢ちゃん、ヨーゼフ陛下に力を使う気になったかな」


 近衛兵は、決まり文句のようにそう聞いて、ゆっくりと顔を上げたマリアンネの返答を待つ。


 ……!!


 その顔は、頬がひどく腫れあがっていて、痛ましい色に変色していた。


 手足が震えて、フィーネはマリアンネの元へと駆け寄ろうと自らの足を必死で叩くが微動だにしない。


 よく見てみれば、彼女が人に殴られたような跡があるのは、顔だけでは無かった、手や足に無数の痣がありその顔つきには生気がないように思える。


 ……マリーっ!!


 大声を出して存在を示そうとするのに、フィーネの喉は音を鳴らすことをすっかり忘れてしまったように沈黙したままだった。


「……なら、な、い」

「そうか」


 短く二人はそんな風な会話をして、マリアンネに拳が振り上げられる。フィーネはそれを目を見開いて、決して逸らすことなく見つめてしまう。ゴッ、とふいに音が響く。


「がっ、は、」

「悪いな」


 フィーネよりも小さい体が衝撃に揺らいで、背後のベットへと背中を預ける。唇に真っ赤な鮮血が浮かんでいる。あの小さな少女を大の大人が、それも男性が、力いっぱい殴った。


 その情景が、恐ろしくて体が震えだした。息が詰まって正常な呼吸ができない、ただ頭が真っ白になってしまいそうな激情に駆られて、フィーネはその感情の答えを持たないまま、無意識に涙をこぼした。


「はがぁ、あ、……あがっ」


 細い腹に、胸に、腕に拳が食いこんで、体の軋む音がする。マリアンネは泣くこともせずにただ、その暴力を受けて体を震わせている。空気を吐くような声を漏らし、痣の上から殴られることを小さな抵抗も、逃亡もせずに、うつろな瞳で受け入れるのだった。


「あぐっ、ぐぅ……ううっ」


 ……やめて、マリーを殴らないで、マリーが、マリーが、壊れてしまう。


 声にならない声で、フィーネはその男にひたすら懇願した。何も言えない彼女の代わりにひたすらに声を掛けた。体はぶるぶると震えて、瞬きもしていないのに涙がいっぱい零れ落ちた。


 ……私を殴ってもいいから、やめて、やめてよ。


「ぎっ、え、う、……はっ、かん、かんべ、んしてくださっ」


 震える声でマリアンネがそう、呟く。しかし、問答はもう終わったとばかりに、男性の大きな握りこぶしが彼女の腹に埋まって、マリアンネの体がわななく。


 それから、ぐったりしてマリアンネはそれ以上声を上げることは無く、ただただ、男が少女を殴り続けるのをフィーネに見せつけていた。


 息ができないほどその光景も、その男も怖くて、なにより見ているだけの自分のなんと無力なことか、苦しい、目をつむって耳をふさいで、もう見たくない、もうこんなのは嫌だと叫びたかった。


 しかし、どうあっても一番苦しんでいるのはマリアンネでありフィーネではない、それがフィーネにはわかっていて、そのことに見て見ぬふりをすることができなかった。


 ……やめてください、やめてあげて、マリー逃げましょう。マリー、私とどこか遠くにっ……マリー!


 手を伸ばす。空を掴むばかりでもフィーネは必死で手を伸ばした。しかし、届くことは無い。これはただの記録であり、過去の出来事であり、フィーネはそれをローザリンデに見せられているだけなのだ。


 そのことを薄っすら思い出してきても、どうしても声を掛け続ける事をフィーネはやめられない。


 やがて反応が薄くなったマリアンネを置いて男は出ていく。そのあとには重たいカギの閉まる音がして、部屋にはフィーネの声にならない泣き声だけが響いた。


 それからしばらく、動かなかったマリアンネだったが、彼女はほどなくして、腰を縛っている簡素な腰ひもに手を伸ばす。


「……は、……はぁ」


 荒い呼吸をしながら、マリアンネは、小さく困ったような笑みをこぼした。


 それから、緩慢な動きでその紐から巧妙に隠されたナイフを取り出した。たまに体の痛みからぎこちなく動きを止めつつ、マリアンネはそのナイフを手に取って、自分の首筋にゆっくりとあてるのだった。


 ……っ、あ、だめよ。


 こんなことがどれほど続いているのか、どうしてこんなことになっているのかフィーネはまったく考えることができないまま、縋るような気持でマリアンネに声を掛ける。


「え、えへへ。ん、……んへへ」


 変な笑い声をあげつつ、ゆっくりと瞬きして一筋涙をこぼす。それからマリアンネは、そのナイフをまたゆっくりと腰ひもに戻していく。


「……んん、今日も、生きてる、なぁ。ああ~……あーあ」


 ベットに上半身を預けるようにして座っていた彼女は、ばたりと倒れて、ゆっくりと呼吸を繰り返す。死ぬつもりではなかったのだとフィーネは安心した。


 しかし、それと同時に死ねることをきちんと確認しているようなマリアンネのしぐさに、こんな悲しいことがどうしてあり得るだろうかと、どうしようもない気持ちになった。


 あの日に会った彼女の事をもっと聞いておけばよかった。どうしてこんなことに、そう思わずにはいられなかった。


「いたい……けど、がまん、がまん。お腹もすいて、きた、けど、がまん……がまん……」


 ……まりー……っ、まりぃ。


 あんまりだ。こんなのは。


 そう思いながら、フィーネは嗚咽交じりのやはり音にならない声で、マリアンネを呼び続ける。いつの間にか、意識を失ってしまった彼女のそばに寄ることも、手当をしてあげることもできずに、ただただ頭が痛くなるほど泣いてマリアンネの事を呼ぶのだった。







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