精霊王 8
フォルクハルトは、気を失ってしまったフィーネを見て、少しだけ可哀想だなと思っていた。この場所に連れてきたことに後悔はなかったが、機嫌が悪いのか、よっぽど彼女の事が嫌いなのか、ローザリンデはフィーネに辛く当たった。
いつのも彼女なら、もう少し言い方を変えたと思うし、少しは雑談でもして、ローザリンデが不思議な力で一方的に相手の事を知っている場合には、相手の警戒を解いてやってから話をするというのに、今回ばかりはそうではなかった。
「うっ、ぐ、……はぁ」
呻きながら眠っている彼女をアメルハウザー公爵邸の客室ベットに寝かせてやりつつ、酷い記憶でも見せられているのだろうと思う。
血の気が引いていて、ゆすり起こしてやった方がよさそうには見えるけれども、フォルクハルトは、ローザリンデのやったことに逆らう気は毛頭ない。
そのまま彼女を放置して、ローザリンデのいる花園へと戻る。
ローザリンデは変わらず花園のガゼボにいた。彼女はこうして夜の大半をここで過ごすのだ。なぜだかフォルクハルトにはきちんと理解できてないが、この国にいる精霊たちと情報交換をして、その記憶を処理する時間がローザリンデには長く必要らしいのだ。
それが彼女の務めであり責務であると、大昔に彼女がそう言っていたのを覚えていた。
邪魔をするつもりはなかったので、静かに近づいて彼女の隣に腰かける。自分より一回り小さいローザリンデは、いつ見ても美しくて、感嘆のため息が出た。
背景になっている素晴らしいい花園は、それだけでも完成した完璧な存在であるが、ローザリンデがいてこそ背景としてその存在意義をまっとうしている。
たまらなく美しいと思いながらローザリンデをフォルクハルトが見つめていると、彼女はうつろになりながら、精霊と頭の中で話をするのをやめてフォルクハルトの方へと視線を向けた。
「……うっとおしい」
「え、俺なにもしてないっ」
「視線がうっとおしいのよ。お前」
「そんなぁ~」
「わたくしにもっと会ってほしいと思うのなら、物静かな人になってちょうだい、存在がうるさくて調節が効かないのよ」
「……そういわれても、困るなぁ~」
ローザリンデは、ふーっと細く息を吐きながら額を押さえた。そのしぐさは、フォルクハルトと会っているときによくやる仕草である。
というか、彼女は人と会っているときはだいたい頭痛を感じているから気を抜くとこういう仕草をする。
なんせ人間というのは沢山の事を考えている。それをすべて読み取ってしまうローザリンデの精霊由来の能力は彼女自身の体に多大な負荷をかけている、それゆえローザリンデは生身で人間に会うのが好きではない。
だから、人が滅多に入ってこない、誰もいないガゼボで一人でいるのが彼女の常だった。
「君が一人でいたい理由もわかっているけどさ、それはそれとして、どうしようもないんだし、愛してるっていう想いの方が読んでて楽しくな~い?」
「……それもそうね、とでもいうと思ったのかしら?お前はただ、わたくしの夫になればそれでいいのよ。ただこの胎を満たして後継者を産ませるだけでいい」
体なんてものは器でしかない、そう思っているからこそのローザリンデのいつもの言葉だった。
しかし、フォルクハルトもいつもの調子で返す。
「そんな寂しい事言わないで欲しいなあ。俺は、ローザの事本当に愛しているんだから」
「そんな不要な感情、川にでも流してきてくださいな」
「俺にとっては大事な感情だからなぁ~、無理な相談だ」
ローザリンデのいいつけはなんでも守り、彼女のために動き、彼女を世界の中心としているフォルクハルトだったが、そんなローザリンデの言う事でも守れない事がこのことだった。
「……お前の愛情は、害にしかならない醜いものだわ」
「綺麗な形をしてれば、ローザは幸せになれるみたいな言い方するなぁ」
フォルクハルトはわかっていた。どんな形の愛情だって、ローザリンデにとっては煩わしく彼女の頭を痛くさせるだけなのだと、幼いころから彼女だけを見てきたフォルクハルトは知っていた。
だから、彼女に寄り添った形にしようとするのを諦めた。愛さない事、興味を示さない事それが彼女にとって一番楽であるのは知っている。しかし、ローザリンデは人の体を持っていて、人として生きている。
そんな彼女に、なんも感情を抱かずに、一生を添い遂げる夫になるフォルクハルトがそばに居たら、きっと傷つける。ふとした時にでも、どうでもいい相手だったらその細腕を折ってしまうと思うのだ。
だからフォルクハルトは天秤にかけたのだ。彼女の望む愛情をもって生きるか自分勝手な愛情をもって生きるか。
「君はどうせ人としての幸せなんて手に入れられない生き物だし。俺がどんな風に愛したって、いいでしょ~」
「…………そうね。だから……わたくしは、いつだって対をなした、あの子たちの厳しいのよ」
「あれ?話変わった??」
「普通に生きられる、あの子たちは、辛そうで苦しそうだけど、普通であるからこそ悩めるのだわ。それはわたくしが、望んだって手に入らない苦悩なのに」
珍しく自らの心情を話し始めたローザリンデに、フォルクハルトは唐突だなと思いつつも、珍しく思いながら話を聞いた。
「精々苦しむといいわ。生きているってそういう事なのよ。フォルク」
「……随分感傷的だなぁ」
感想を返すとローザリンデはフォルクハルトに手を伸ばした。陶器のような肌が、フォルクハルトの頬に触れて、その小さな手にフォルクハルトは頬ずりをした。
「お前は苦しみもなにもないわね」
「ローザが俺を救ってくれたから」
「救ってなんかいないわ。あれは、つけこんだっていうのよ」
「それは、ローザが決めることじゃなくない?」
「……そうね」
少しだけ、不機嫌になってそう言うフォルクハルトに、ローザリンデはすこしも戸惑うことなく、同意してやった。
随分と昔、フォルクハルトが十歳にもみたずに、部屋のベットから起き上がることもできずに、とうとう死を迎えようかという時、ローザリンデは彼の元に現れた。
昔から体が弱く、近いうちに死ぬだろうと言われて続けて生きていただけのフォルクハルトの人生に、一筋だけ光が差した。
枕元で、ローザリンデが放った言葉は「望みをおっしゃい」とただそれだけで、力を欲するか、だとか、生きたいかという問いではなかった。
しかし、フォルクハルトは願った。生きる力が欲しいと。
その願いを聞いてローザは、フォルクハルトを転変させた。生き物が転変するのは精感が逆流して作り替わり、世界にあふれる魔力をとりこみ、そしてその魔力を精霊同様に直接、魔法を使うことができる。
その汎用性は絶大で、望みを何だって叶えることができてしまうほどである、しかしそれと同時にもう普通の人間に戻ることは出来ない。
それこそ、調和師に戻してもらう以外に方法のない片道切符の進化なのだ。
それをフォルクハルトはなんとも思っていない。戻りたいとは思わないし、そもそも与えられた力を気に入っていた。たまに制御が効かずに、バッサリと人を切り捨ててしまったり、お気に入りの陶器を壊してしまったりするがそれは些細な事だった。
生きることができている。今ここに存在している、それを与えてくれた存在にほれ込むのは、自然な摂理だった。
そこまで考えて、フォルクハルトははたと疑問に思った。
「ローザ。そう言えば、なんであの子にあんなこと言ったの~?」
それまでのフォルクハルトの思考が頭に流れてきていたローザリンデは、当たり前のように答える。
「あら、嘘は言っていないわ。わたくしたちの力は、”使用時”に相手が抵抗しないように魅了する力がある」
「確かに、キラキラしてて綺麗だしなぁ~。でもそれだけ」
「そうね。それだけ。そんな長期的に言う事を聞かせられるような都合のいい力だったら、わたくしはお前相手に苦労していないわ」
「あっは、たしかに~」
フォルクハルトは、またローザリンデの手に頬ずりして、心底いとおしい彼女を見つめた。たとえ、どれほど、この気持ちを向けられることが、彼女にとって苦痛であったとしても、それを変えたりはしない。
むしろ、精霊との交流なんてやめられるように、地下深くの光も届かない場所に連れて行き、目も耳も塞いで何も感じさせないようにしてしまいたかった。
だってそうすれば、フォルクハルトの気持ちがまっすぐに届くかもしれないから。けれどもそれはしない…………今はまだ。
それは本当に彼女が、自分を拒絶した時にでもやろうと思っている。
だから、今日もこうして、文句を言いながらも受け入れてくれようとしているローザリンデをフォルクハルトはただただ愛するのだった。




