四話 ダイオウグソクムシはやだ
神霊族、精霊族、龍神族、天使族、幻想族、悪魔族。
十二の文明種族の内、上位六種に値する、上位種。
長耳族、血界族、獣魔族、獣人族、小人族、人間族。
十二の文明種族の内、下位六種に値する、劣等種。
この異世界において、十二の種族は互いに干渉しあい、または反発しあう。
それら種族の間には様々な相違があり、理解し合うことができなければ、戦争にまで発展しうる。
しかし、そうも多様な十二種族を以てして、共通する事実が一つ。
人間は魔法を使えないと言うことだ。
僕は絶望した。
絶望して、地面に膝をついた。
「な、何だ、そんなにショックだったか……!?」
イリスが怪訝そうに僕を見下ろす。
「ショックもショックですよ。まさか、異世界に来て、魔法が使えないなんて」
僕の項垂れる姿に、イリスはあたふたとその水色の目を泳がせた。
「わ、悪かった、すまない。しかし、本当に人間は魔法が使えないんだ。それどころか、ありとあらゆる術と秘技に才能が無くて、雑魚種族と言う異名まで……」
「そ、そんな……」
なんて貶されようなんだ。
「それ故、人間は序列最下位なのだ」
イリスは、やや申し訳なさそうに目を伏せた。
僕はいじけた。
体を丸めて、顔を塞いで、いじけてやった。
それを見て、イリスは少し、表情を落とした。
「理解できないな。お前は、どうしてそれほどまで、現実離れした力を求めるのだ?」
「どうしてって、魔法があれば、強くなれるじゃないですか」
「強くなって、どうする」
「強くなれば、弱くなくなります」
イリスは眉を寄せた。
「それに、どんな意味がある?」
「弱くなくなるのは、重要じゃないですか。何たって、優勝劣敗が人間社会の謳い文句なんですから」
だから、弱者なんて醜い存在は、全員消えて仕舞えばいい。
ずっと、そう思ってきた。
そして、今もなお、そう考えている。
「そうか……そうだな。そう言われると、確かにその通りかもしれない」
イリスは小さく息をついた。
そしてふと遠くを見つめると、言葉を続けた。
「ところで、人間よ、この世界の夜がいかなるものか、知っているか?」
「夜……? あ」
イリスの視線の先をみると、太陽が地平線に沈むところだった。
夜の訪れである。
「私がせっかく、お前を龍から助けてやったのだ。対価を払ってもらおうじゃないか」
「た、対価……?」
僕は、頬に汗を垂らした。
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死んだ方がマシって言葉を、たまに耳にする。
生きていながらにして、死ぬような思いを強いられる。
肉体的にしろ、精神的にしろ、そうされると、人間はいっそのこと殺してくれと懇願するのだ。
しかし、僕は死にたくない。
痛いのは嫌だから。
かといって、生き地獄は味わいたくない。
つまり、何を言いたいかというと——
「こんなの、死んだ方がマシだあああああああぁけど、死にたくないいいいいいい!!」
「ハハハっ! 人間って、面白いな」
筋骨隆々の、マッチョ。
一つ目の、毛むくじゃら。
それから、よくわからない、ダイオウグソクムシみたいなやつ。
それらが大群になって、僕を追いかけてくる。
入学当初、陰のオーラを出しすぎて、誰も近寄ってくれなかった思い出。
バレンタインで、女の子からチョコをもらったことなんてなかった。
クラスの美男美女に、人が群がっているのを見て、不意に悔し涙がこぼれたこともあった。
でも、今。
僕はようやく、群がられる経験を通して、理解した。
——やっぱり、人生一人の方がいいや。
「いいいいいやああああああ!!」
走る。
とにかく走る。
頭が思いえがくは、最悪の未来。
なぶり殺しにされるか、体を真っ二つに両断されるか、むしゃむしゃと生きたまま喰らい尽くされるか。
この中から一つ選ぶとしたら、どれだろうか。
考える余地なんてない。
全部却下だ。
イリスは、遠方の崖から、地平を見渡した。
「夜。それは太陽が眠りにつき、闇が世界を覆う時間。そして、生物の中の獣が、理性の檻から解き放たれる瞬間」
あたりからは、爆音とも、破裂音とも取り難い音が、しきりに鳴り響いてくる。
そして、それら全てが、一つの点へと向かう。
そう、僕だ。
「ダイオウグソクムシはやだ、ダイオウグソクムシはやだ、ダイオウグソクムシはやだ……!」
ちらっと後ろを垣間見る。
ダイオウグソクムシが一番前につけていた。
「何でだよおおおお!」
腕をバタバタと振り動かして、足の筋肉を催促する。
——そうだ、木に登るんだ!
僕はようやく頭を使った。
咄嗟に辺りを見渡し、一本の大樹を目につける。
それに近づき、上を見上げた。
高さは十分、手のかけられそうな凹凸もところどころ見られる。
行ける。
僕は足を引っ掛け、スタイリッシュにてっぺんまで——登れなかった。
「……」
もう一度、体に力を入れてみる。
腕がプルプル震えるだけだった。
「うん。だめだ、これ」
なぜ、気づかない。
僕は自分に問いかけた。
足は動かない。
手も動かない。
ついでに木の登り方もわからない。
Q、どうして、登れないのか。
A、僕が帰宅部の貧弱だから。
何が頭を使っただ。
逆効果も逆効果だ。
しかし、引き返すにはもう遅い。
後ろには、すぐそこに異形達が迫っていた。
十中八九、今から降りたら、その瞬間にボコボコのけちょんけちょんにされる。
「ま、マッチョがいい! せめて最後はマッチョ!」
果たして、僕の願いは届いたのか、目前まで迫っていたダイオウグソクムシは、横から与えられた衝撃にどこかへ飛ばされた。
そして、その後ろから我先にと現れたのは——
「マッチョ……!」
圧倒的、肉体美。
五メートルを超える巨体には、余さず筋肉が盛り上がっている。
僕は、ゆっくりとした時間の中、その筋肉に見惚れていた。
そして、こう思うのだ。
あぁ、よかった、最後がダイオウグソクムシじゃなくて、と。
「——そろそろ、頃合いか」
そんな僕の心境が展開される中、小さな声が、空気を揺らした。
直後、爆破。
収縮、発散、爆散。
物理法則におけるすべての理が破壊され、天変地異へと変転する。
それはきっと、たった一振りの拳。
しかし、地面を抉り、空を切り裂き、岩を砕く衝撃へと昇華された拳だった。
そうして、僕の目の前にあった筋肉は、飛び散った。
ビシャリと、血飛沫が飛んでくる。
「……はえ?」
「いやはや、よかったぞ、人間の子よ」
「イリス……」
原型すら留めないほど無惨な姿になったマッチョの横から現れたのは、満足げに笑みを浮かべるイリスだった。
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「いいか、もう一度説明するぞ」
「は、はい」
ばちばちと燃える焚き火。
それを囲んで、僕とイリスは座りこむ。
焚き火の上には、獣の肉が吊られ、炙られている。
「つまりだ、ここら辺一体は、獣魔の巣窟で、とりわけ最近は獣魔が大量発生していた」
「はい」
「それで、私はそいつらの駆除を任され馳せ参じたが、そこでたまたま竜に襲われているお前を見つけた」
「はい」
「お前は私に助けられたから、代価として囮になった。な? 簡単だろう?」
簡単じゃない。
僕は項垂れた。
「わかりません。どうして僕が囮に……」
イリスは、心底面倒くさそうにそっぽを向いた。
「そんなことも説明しなきゃならんのか、面倒くさいなぁ」
「説明してください。僕が共感できるような内容じゃなかったら、文句言います」
それぐらい、怖かった。
まじで、怖かった。
イリスはウダウダと考え込むと、徐に口を開いた。
「要は、獣魔は本能に即する生き物なのだ」
「本能……?」
「そうだ。奴らは無意識のうちに、自分よりも弱い存在を探している。弱者をなぶる快感を味わいたくて仕方がないのだ」
「なるほど」
「故に、序列最下位のお前は囮として最適だった。ほら、人間だって、弱い者をよってたかって虐める習性があるだろう。どうだ、これで理解したか?」
「めちゃくちゃ理解しました。文句言うとか言ってすみませんでした」
僕は頭を下げた。
イリスは、ようやく理解したかと言わんばかりにため息をついた。
「まぁ、お前の囮はなかなか助かったぞ。一体ずつしばいてたら、いつ終わるか分かったものじゃないからな」
どうやら、少なからず役には立てたらしい。
「けど、まさか、衝撃波であのマッチョたちが砕け散るとは思いませんでした」
「そうだろう、そうだろう。どうだ? 龍神族の凄さが改めて分かったか?」
確かに、すごかった。
多分、序列という概念がこの世界で大きな指標になっているという話も、本当なのだろう。
正直、この幼女には胡散臭いところもあったが、適当を言っているわけではないらしい。
なら、どうしてこの人は、僕を助けたのだろうか。
「ほれ、人間。これを食らうといい」
「これって……」
一本の木の枝を渡された。
先端には、油を滴らせる肉が突き刺さっている。
「獣魔の肉だ。なかなか美味いぞ」
僕は呻いた。
美味しそうではある。
が、しかし……。
「これって、ダイオウグソクムシの肉なんだよな……」
「なんだ、要らんのか?」
要らない、とも言えない。
お腹の虫が鳴いたからである。
イリスはというと、焼かれた肉を片端から口に突っ込んでいる。
頬が膨らんで、まるでリスみたいだ。
まるでブラックホールみたいに肉という肉を吸い込む様は、到底幼女のものとは思えない。
僕は手元のダイオウグソクムシだったものに目を向けた。
いや、これをダイオウグソクムシだと思うから良くないのだ。
もっと、思考を変えよう。
そうでなければ、飢え死にしてしまう。
僕は思い切った。
そして、肉を口の中に突っ込む。
繊維を噛み切り、溢れ出す肉汁。
僕は、ハッと目を見開いた。
「意外と、美味しい」
「だろう? 獣魔の肉は、極上の美味として知られている。特に人間族には、なかなかありつくことのできない代物だ」
さらに、肉の断片へと齧り付く。
確かに、極上の美味と呼ばれるのも、理解できる味だ。
それから、時間が経ち、僕とイリスはすべての獣魔の肉を平らげた。
「うーん、満足だ」
「美味しかったですね」
食事が終わると、急に眠気が誘ってきた。
「人間よ、私は寝る。ここらの獣魔はあらかた片付けたが、まだ残党がいるかもしれん。襲われたら尻尾巻いて逃げろ。私は何をやっても起こせないからな」
そんな不安になることを言って、イリスはバッと地面に倒れた。
しばらくして、寝息が聞こえてくる。
圧倒的睡眠効率だ。
少し羨ましい。
僕はそばの岩に腰掛けて、じっと遠くを眺めた。
異世界。
本当に来てしまった。
ドラゴンに襲われた感覚も、龍神族の幼女に助けられたのも、マッチョが目の前で爆発四散したのも。
全部リアルな感覚として、体に残っている。
——そういえば、今涼太はどうしているだろうか。
ふと、そんな思考が頭をよぎる。
「スマホは、流石に繋がらないよな……」
思い出したように、僕は後ろポケットからスマホを取り出した。
元の世界から持ってきた、たった一つのアイテム。
現代の科学技術も、異世界に来てしまったら意味をなさない。
電源をつけると、液晶が光りだした。
しかし、当然ネットワークは圏外になって——
「ない……」
圏外じゃ、ない。
僕は、その衝撃に、絶句した。
あるのだ。
それが。
繋がっているのだ。
それに。
そう、僕は先入観にとらわれるがあまり、想定すらしていなかった。
「——異世界に、Wi-Fiが飛んでる……」