賢者は離れて救うもの?(タマゲッターハウス:歴史の怪)
このお話は『小説を読もう!』『小説家になろう』の全20ジャンルに1話ずつ投稿する短編連作です。
舞台や登場人物は別ですが、全ての話に化け猫屋敷?が登場します。
岐阜県には木曽三川と呼ばれる三つの大きな川があり、昔はよく洪水になりました。
江戸時代に転生した主人公が治水工事を手伝う……という小説を書く青年のお話です。
既設の小説『富士の高嶺で天を識る』の登場人物が出ますが、前作を知らなくてもお楽しみいただけます。
「ふうん。イタルは今度は江戸時代の小説を書くのね」
「そうなんだよ。前にユズナに協力してもらって書いたのが結構好評だったんだ。似たような感じで別の主人公が転生するお話を書くんだよ」
あたしは幼馴染の鈴木イタルといっしょに、地域センターの学習室にきている。
ここでは併設された図書館から本を持ち出して自習に使えるのだ。
イタルはインターネットの小説投稿サイトの会員になって、自作の小説を投稿している。
あたしは会員じゃないけど、イタルの書いたエッセイは読んでいる。
他の作者が書いた恋愛小説なんかもたまに読んでいる。
以前、イタルは転生ものの小説を書いた。
現代の知識を持っている主人公が過去の日本に転生して、そこでは未来の知識を使って活躍するものだ。
イタルは前回は明治時代を舞台にしていた。
「次の小説では、江戸時代の木曽三川の治水工事をネタにするんだ。ユズナは木曽三川って知ってる?」
「何かの資料で読んだ気もする。洪水が多い場所で、たしか輪中っていう集落があったんだよね」
今の岐阜県を流れる三つの川が、海の近くで合流していたと思う。
そのあたりは大雨が降ると、川があふれて洪水がよく発生していたんだ。
当時の農民たちは村の周囲をぐるっと堤防で囲んで『輪中』というものを作っていた。
イタルが図書館から何冊かの本を借りてきている。
そのうちの一冊を開いて昔の図面を出した。
「ユズナ、これを見て。木曽三川は、西から順に揖斐川、長良川、木曽川の三つだよ。揖斐川が一番低い位置にあって、東にいくほど高い。それで大雨の時、木曽川の水は海に行く前に西の川の方に流れるんだ」
「じゃあ、洪水は揖斐川が多かったんだ」
「そう。このあたりの住民は3つの川を分断してほしいって、要望をだしてたんだ。なかなか実現されなかったけど、1754年のその対策の工事が行われたんだ」
イタルは『宝暦治水』と書かれた資料をみせてくれた。
主な工事内容はこんな感じかな。
・三つの川の堤防の強化
・木曽川と長良川をつなぐ東西方向の川で、一部を封鎖
・川の合流地点(さっきの図面の★のあたり)を南北の壁で二つに分断する。
※ただしこの工事では中央部分は開けている。
・工事は薩摩藩(いまの鹿児島県)にやらせて、工事費用も薩摩藩が負担する。
「ねえ、イタル。この当時の薩摩藩って治水工事に長けていたとか?」
「ぜんぜん違うよ。外様大名に大工事を命令して、大金を出させて弱体化させてたんだ。お手伝い普請っていうんだって。技術も知識もないのに工事を押し付けられたんだ。なぜか工事の途中までは、技術を持った町人を雇うことも禁止してたんだよ」
「うわぁ。薩摩藩、大変だったんだね」
「最初にお手伝い普請の命令が来た時、その内容をみて薩摩藩の侍たちも怒ったんだよ。『我々を滅ぼす気か』って。工事を断って、幕府と一戦交えようかという意見も出たんだって」
「そりゃそうよね。でも、断ってたら御家断絶の口実にされちゃいそう」
「結局、『洪水で困っている人達を助けるため』ということで引き受けたんだよ。これがものすごい難工事で、薩摩藩でもたくさんの犠牲者が出たんだ。不慣れな作業と栄養失調などで、病死したのが三十人以上いたらしい。しかも幕府側から工事の妨害みたいな対応もされて、抗議の切腹をした侍も五十人以上いたんだよ。薩摩藩の代表だった家老の人も工事完成後に故郷に戻らずに切腹している。大量の犠牲者を出した責任をとったんだね」
「幕府が工事を依頼したのに、邪魔したの? もしかしたら、幕府にも『失敗した方がいい』と考えた人もいたのかもね」
失敗しても幕府の損失は少なくて、ぜんぶ薩摩藩のせいにして恥をかかせられる。
反乱をおこしてくれれば取りつぶす口実になるんだ。
「それで、イタルが書こうとしている小説では主人公が薩摩藩の侍に転生するの? 当時の技術で使える土木工事を知ってるとか」
あたしが聞くと、イタルは首を振って答えた。
「いや、江戸に住む下級武士に転生するんだ。転生前はダムめぐりが好きで日本中のダムを見て回っていたんだ。長良川可動堰を見に行ったついでに、木曽三川の資料館を見ていてその工事のことも詳しいっていう設定」
「でも。江戸の下級侍が岐阜県の工事に関わるのって変じゃない?」
「土木の知識があって、江戸の水行奉行の手伝いもしていたんだ。で、木曽三川の工事に直接は関われないけど、江戸にいながら情報とか技術で支援するんだ」
「なるほど。工事の仕様書は幕府で作ったんだっけ」
「そうなんだよ。当時は九代将軍の徳川家重の時代だけど、その前の徳川吉宗の命令で素案は作られてたんだ。小説ではそのことを利用しようと思う」
そういいながら、イタルは紙に小さなゾウやキリンのイラストを描いている。
「主人公は世界中の動物の絵や特徴を江戸の絵師に売りつけるんだ。他の日本の妖怪の絵とかもね。江戸の小説家に外国の童話や怪談噺のネタも売りつけるんだよ」
イタルは西洋屋敷と化け猫の絵を紙に描いた。
「主人公はこういう絵物語も売って小遣い稼ぎもやるんだ。それなりにお金を持っているんだね。で、瓦版……当時の新聞みたいなものだけどね。ここで木曽三川の工事のことを書くんだよ」
「ふうん。みんなで薩摩藩を応援しようってやるの」
「それもあるけどね。この工事は『初代家康公や前将軍吉宗公がやろうとしてできなかった』と書くんだよ。これをやる幕府はすごいっ、って褒める内容にするのさ」
「そっか。幕府を非難する内容じゃまずいよね。でも、家康公は関係あるの?」
「間接的にね。さっきの図で説明するよ」
イタルは図面の木曽川を指さした。
「家康は尾張藩を守るために、木曽川に東側に頑丈な堤防を作ったんだ。御囲堤っていうんだよ。で、木曽川の西側の堤防は東側より低くしないといけなかったんだ」
「西側で洪水がおきやすくなるわね」
「で、『家康は西側も守ろうとしていた』ってことにするんだよ。今回の木曽川の工事は家康公と吉宗公の悲願だったって瓦版で伝えるの」
「なるほど……。その声が広まって幕府に届けば、幕府側も『絶対成功させなきゃいけない』となるかもね」
関係者全員が『絶対成功させる』のを目的にすれば、薩摩藩への負担も減るし成功率も上がりそうだ。
「そうなんだよ。ついでに、他の大名にも工事への支援を呼びかけるんだ。工事の資材とか食料とか。この工事では江戸の勘定奉行と水行奉行が目付としてかかわっている。主人公は水行奉行を通じて、工事の気になる点と対策を出すんだ。あくまでアドバイザーだけどね」
「直接現地に行くわけじゃないし、主人公ができることって他にあるかな」
「まず。尾張藩に支援を依頼する。当時でも『お砂取り』といって、川底の土砂を掘り出して、川を深くする工事はあったんだ。薩摩藩の工事の前に尾張藩に木曽川でこれをやってもらうんだ」
「今でいう浚渫ね」
「で、その土砂をワラの袋につめて土嚢にして、木曽川の堤に積み上げてもらうんだ」
「あ、そっか。木曽川の東側が高くなれば、西側も高くできるのね」
それまでこの周辺で起きた洪水は、ある意味で尾張藩を守る堤のせいで起きたとも言える。
この浚渫と堤防をかさ上げをやれば尾張藩の面目も保てるだろう。
「次に静岡の伊豆藩にも協力を要請する。この工事から三十年ぐらい前に富士山が噴火したんだよ。伊豆藩の畑は火山灰で大きな被害がでた。そこで火山灰に強いサツマイモを植えて、窮地をしのいだんだ」
「なるほどね。伊豆藩のサツマイモを工事をする薩摩藩の人たちに届けさせるのね。火山の時の恩返しにもなるし」
「実際の工事で病気が増えたのは、栄養事情の問題もあったんだ。サツマイモがあればだいぶ完全されるだろう」
薩摩藩で、サツマイモが嫌いな人もいないだろうしね。
「それから、本格的な工事の前に普通の堤防を作ったんだけど。これが問題になった」
イタルは資料を見せてくれた。
薩摩藩の人たちが作った堤防が、大雨で決壊して大きな被害がでたようだ。
作ったばかりの堤防は、土が固まってないから壊れやすいそうだ。
「だから、堤防を積み上げるときはただの土だけだとダメなんだ。袋に土を詰めた土嚢を積み上げないとね。既存の堤防より高く、厚みも持たせないといけない」
イタルは堤防の断面図を描いた。
「大雨で川の水位が上がって、水が堤防を越えてあふれることを『越水』という。こうなると流れる水で堤防の反対側の土が流されて、堤防がどんどん薄くなる。だから決壊するんだ。堤防はなるべく高くして、越水しにくくすること。土だけで作った堤防は、簡単に流されないように反対側に土嚢を積んどかないとまずい」
「そういう情報を出して、注意を呼び掛けるのね。これで被害が減ればいいけど」
「木曽川と長良川を分ける工事では、『洗堰』っていうものが作られたんだ。木曽川から長良川に向かう横方向の川をせき止めるものだ。岩とか石だけで作られてて、他の堤防より低いんだよ。大雨で木曽川の水位が上がりすぎたときだけ水を流すんだ」
「そっか。岩でできてるから、越水しても流されないんだね。これがあれば木曽川の西に水が流れるのは防げるから、被害が減るわけだね」
「そうなんだけどね……。将来のことも考えると僕はここを『穴あき洗堰』にすべきだと思うんだ。木の板で四角い筒を作って、川底に沈めて、その上に堰を作るんだ」
「えーと……東西方向の川を完全にせき止めるんじゃなくて、普段から少しだけ水を流しておくんだね」
大丈夫かな。堰の効果が弱くなる気もするけど。
「穴あきにするには3つ意味があるんだ。1つは、東西方向の川がなくなると、そこの水を利用していた人が困るから」
「まぁ、その川から水を引いていたところもあるでしょうね」
「2つめは東西方向の川が完全になくなってしまうと、そこに畑なんかが作られて、越水したときに被害がでることだ」
「普段の水が少ないと『河川敷』が畑になりそうだけどね。で、3つめは?」
「川には上流の山地から土や砂が流れてくるんだ。『砂礫』っていうんだけどね。それがだんだん川底にたまって、川が高くなっていくんだ」
「そっか。穴あきだと、その砂が流せるんだ」
「実際の歴史でも、薩摩藩の工事の後で川底に砂がたまって高くなることもあったんだ。『穴あき洗堰』ならある程度、対応できる」
「そっか。ねえ。現代の木曽川の地図をみたんだけど……海のところで合流してないで、三つの川が完全にわかれているよね。この星マークより東側。初めからこうすればいいんじゃない?」
「明治になってから、木曽川を東側に移したんだよ。でもこの当時は御囲堤があるから無理だな」
「じゃあ、揖斐川の西に運河を掘って……って、意味ないか」
「木曽川の水をどうするか、だね。さっきの星マークのところは薩摩藩の時は隙間をあけてたけど、数年後にふさぐことになったんだ。僕はここも『穴あき洗堰』にすればいいと思う」
「下級役人が意見するだけだよね。本当に実現できるのかな」
「アイデアを図で説明して、水行奉行にプレゼンすればなんとかなるかも。あとは、堰を作るときの大きな岩がたくさん必要になる。岩場をもっている近隣の大名の協力をあおぐのと並行して、コンクリートを作れないかなって」
イタルが別の資料を見せてくれた。
コンクリートは明治になってから日本に入ってきた。
でも、材料のもとになるセメントは石灰石でできていて、それは日本にたくさんあるらしい。
「石灰石を鉄を溶かす温度で熱したら、セメントができるよ。ワラとセメントをまぜて『ワラ筋コンクリート』にすれば、岩よりも強度があるはずだ」
これが技術チートってやつね。
「実際の工事では、史実として伝わっていない苦労もあると思う。もしも僕が書いたアイデアが採用されてうまくいったとしても、薩摩藩では大量の出費の影響で、その後ずっと地元住民も苦しめられるんだ。僕は、小説の中だけでも犠牲者を減らしてあげたいと思うんだよ」
イタルは寂しげな顔でそう言った。
参考文献
杉本苑子 『孤愁の岸』
岸武雄 『千本松原』
社団法人農業『人づくり風土記21岐阜』
ユズナとイタルが登場する『富士の高嶺で天を識る』はこの下の方でリンクをしています。