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不幸を背負って、親父は笑顔で逝った  作者: 春山 潮
第一章 親父の背中:鈴木祐也
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告別式の日に現れたもの

 雲一つない、青々とした早春の空を見上げる。親父が関わる行事は、なぜだかだいたい晴れる。


 本人の誕生日だったり、社員旅行、家族旅行なども、雨が降った試しがない。お天道様にはどうやら好かれているらしい。親父のための喪服に身を包んだ俺は、日に焼けた、おちゃらけた満面の笑みを思い出しながら、車に乗り込んだ。



 告別式には、俺と母、叔母と、妻の七海と洸汰、そして義両親の八人が集まった。


 すでに親父の弟妹は叔母を除いて他界しており、父の兄である世田谷の叔父とは連絡がついたが、「そちらに任せる。うちは出席しない」という冷たい返答が返ってきた。


 叔母いわく、長男は昔から、親父のことを「みっともない」と嫌っていたらしい。


 都会で順調にサラリーマン生活を送っていた叔父からすると、ブルーカラーの仕事をし、ヘビースモーカーで、酒にだらしない父親は、嫌悪の対象だったようだ。地元の祭りなどで帰ってきても、ほとんど会話を交わすことはなかったという。


 親父の隠された想いを知らなかったら、「まあ、仕方ないよな」と思っていただろうが、これまでの苦労や、家族のために自分を犠牲にしてきた親父の過去を知った今、この叔父の態度は許せるものではなかった。


「誰のおかげでサラリーマン人生謳歌できたと思ってんだよ」


 申し訳程度に包まれた香典が届いた時、俺は思い切り悪態をついた。大人としての最低限の礼儀で香典返しは送ったが、今後一切関わることはないだろう。


 死装束に身を包んだ親父は、やはり穏やかな顔をしていて、これから死出の旅に向おうとしている人間には到底見えない。


 今にも、「おう、どうした、みんな集まっちゃって」と、とぼけた顔で起きてきそうな気もする。


 洸汰と一緒に、顔周りに花を入れてやる。彩りを増した棺に眠る父の顔は、こころなしか満足そうに見えた。

 


 火葬場に向かうマイクロバスに乗り込み、親父が乗る霊柩車の後をついていく。


 目的地にたどり着いて、バスを降りると、洸汰が何かを見つけたようで、俺の手を引っ張ってきた。


 まだ言葉はそんなに話せないのだが、なにか伝えたいことがあるらしい。あっち、あっち、と洸汰が指差す先には――見覚えのある猫が佇んでいた。


「えっ……あれって」


 息子は動物が好きだが、あの白い猫を指差すその面持ちは、なんとなく緊張した雰囲気があり、いつもの動物を愛でるような表情と言うよりは、何かに畏れているような、そんな顔をしていた。


 今日は火葬場が混雑していると聞いているので、ここで立ち止まっている暇はなく、とりあえずその場を離れたが――あれは間違いなく、実家に住み着いている猫だった。


 先程の猫の姿に気を取られながらも、「親父が火葬される」ということの現実感が無いまま、火葬炉の中に運ばれる父を見送る。



 係の人に案内された控室で待機していると、重苦しい空気を和らげようとしてか、七海が何気なく、親父の思い出話を始めた。


「お義父さんて、本当に不思議な魅力のある人だったわよね。ほら、覚えてる? 私が初めてお義父さんと会ったのって、横須賀のお祭りの日だったでしょ? あの日さ、友達に誘われてパパの町内の組に参加してたんだよね」



 俺の地元の祭りは、八幡神社に由来するもので、海の神に豊穣(ほうじょう)を感謝するという趣旨のものだった。


 地域の七つの町内がそれぞれ神輿と山車を持っており、祭の二日間それぞれの町内を練り歩く。そして一日の終わりに八幡神社の前に一同が会し、お囃子合戦を始めるのだ。お囃子合戦の間は近くにいる人間とも怒鳴り合わなければ会話が出来ないほどに、数多(あまた)の太鼓を叩く音が鳴り響く。


 最終日にはお囃子合戦の後に神事を行った後、それぞれの町内の神輿が、海に入っては出、入っては出を繰り返し、海の神に感謝を伝えるという豪快な祭りだ。


 普段は冴えない港町だが、この祭りの期間だけは町中にハッピを来た人が溢れ、華やかになる。

 親父はこの祭りが大好きで、だいたい毎年祭りの日には、朝から晩まで帰ってこなかった。



「あの日さあ、仕事で大失敗した翌日で、ホントはお祭りなんていう気分じゃなかったの。でもね、暗い顔して参加してたら、お義父さんに怒られて。『祭りのときにそんな暗い顔するもんじゃねえ!』って」


 そのめちゃくちゃな持論は、親父らしいな、と思った。確かに三度の飯より祭が大事な人ではあった。


「そんな無茶苦茶な、と思いながらも、なんか辛くなって泣いちゃたら、お義父さんびっくりしちゃって。一生懸命私の悩みを聞いてくれたのよねえ。祭りそっちのけで。初対面の若者の悩みを、あそこまで一生懸命聞く人、なかなかいないよね」


 親父の似たような話は、実はあちこちで聞いていた。


 祭の日の父親は、実にいろいろな人に囲まれていた。米軍基地から友達に誘われてやってきたアメリカ人に、片言の英語で話しかけ、帰る頃には肩を組んで一緒に歌うような仲になっていたり、町内の失恋した女の子の話を、ビール片手に聞きながら、慰めてやっていたり。


 気分が落ち込んでいそうな人や、新参者で、自分の身の置き場がわからなくなっているような人には、必ず声を掛け、祭に楽しく参加できるように取り計らっていた。


「それで最終的に、『そういう辛い事があったときにはな、楽しいことに目を向けたほうが良いんだよ。いい男を紹介するからちょっとまってろ』って。それで紹介されたのが、パパだったのよねえ」


 そうなのだ。わけも分からず連れてこられた俺は、その日七海の前に座らされ、親父に酒を盛られた。


 よくわからぬまま、七海とその友人の祭の間の世話をさせられているうち、意気投合し――今に至る。


「……ほんとに、人懐っこい人ではあったよな。懐かしいなあ……。親父、最後の二年は、祭り参加できなかったなあ。……祭の半纏やはっぴとかも、棺に入れてやればよかった」



 その後しばらく、泥酔して歩道を枕にして車道に体放り出して寝てた、だの、隣の町内の人間と取っ組み合いの喧嘩をしてただの、祭のときの親父の思い出話に花が咲いた。


 本当に、話の種に事欠かない人物だ。



 そのうち控室にアナウンスが流れ、親父の亡骸が無事、焼却を終えたことが知らされた。


 骨になって出てきた父は、約五年に及ぶ闘病生活を経験していたにも関わらず、太く、がっしりとした骨格が残っていた。ところどころ青みがかっていたのは、抗がん剤の成分なのかもしれない。


 先程まで、眠っているような父親の姿だったものが、このちょっとの間のうちに、砂と骨になってしまうなんて。


 祖母や親戚の葬儀で同じ場面を何度も見ているはずなのに、実の父親となると、頭がしびれたようになって、目の前の骨が父親だと認識することがまだできない。


 家族が一人いなくなるというのは、それだけ人間にとって、受け入れ難い苦痛なのだろう。



 精進落しを終え、実家に帰った俺たちは、骨になった父を仏壇の前に鎮座させ、遺影を置いた。


 遺影に写る父は、洸汰が退院してきてすぐの頃のもの。まだがんが全身に広がる前で、体調にも多少余裕があり、満面の笑みを讃えながら洸汰を抱っこしている写真だ。


 親父はこの写真を「だらしねえ顔で笑ってて、あんまり好きじゃねえな」と評していたのだが、俺たちが覚えている、家族が一番幸せだった時間を表すような親父のこの表情が、俺と母は好きだった。


 遺影の親父の顔を、しばらく眺めていると――まだ日のあったはずの窓の外が、真っ黒になり、部屋の電球がバチバチと音を立てて消えた。


「えっ、停電?」


「やだ、真っ暗じゃない。困ったわねえ……懐中電灯どこだったかしら……」


 急な停電と日食が重なったような状況に、その場に居た全員がうろたえる。


 俺も慌てて懐中電灯を探そうと、あたりを探ると、まばゆい白い光が仏壇の前に現れたのが見えた。




 ――その光の中心には、神主姿の、男とも女ともつかない、美しい顔立ちの人間が立っていた。


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