想いを託す相手
淑恵の身体は、衰弱しきっていた。
医師は、看護師に家族を呼ぶように指示する。
病院のベッドに寝かされた淑恵は、ブツブツと、消え入るような声で、独り言を言っていた。
ワシは、年輪を刻んだ、真っ白な顔をした老女の枕元に近づいて、その言葉を聞き取ろうと試みる。
「お父さん、お父さんに会いたいなぁ。・・自分勝手よね。あんなに酷いことをたくさんしたのに。でも、今度あなたにまた逢えたら。きっときっと、優しくするわ」
かろうじて開いていた瞼を閉じる。ひとすじの涙が頬をつたい、枕元に小さなシミを作った。
「・・でも、あなたはもう、私のことなんか嫌いよね。だから、また夫婦になりたいなんて、言わないわ。ただ・・」
息が上がり、心拍が弱っていくのがわかった。
きっと淑恵は、明日の朝日を見ることは叶わないだろう。
「どうかあなたが、生まれ変わったその先で、家庭に恵まれ、仕事に恵まれ・・あなたを大事にしてくれる人に、出会えますように。そして今度は必ず、自分の幸せを大切にしてね・・」
家族が揃う頃には、もう淑恵に意識はなかった。
ゆっくりとゆっくりと、一人の人間の生命活動が静かに止まっていく様を見ながら、覚悟を決めて、自らの体に力をこめる。
(・・託すなら、もう淑恵しかいない。身を切るほどの後悔の念は、秀明を助けることの原動力となるだろう。そして、秀明の特性を誰よりも理解している淑恵なら、不幸の残債に追い詰められた秀明を救う方法を、見つけられるかもしれない)
もう、生物の生まれ変わりの方向を、いじる力は残っていない。
今できるのは、淑恵の今世の記憶を魂に刻み、来世で秀明と淑恵が再び出会えるよう、「縁結びのまじない」をかける程度だ。
(再び二人が出会い、淑恵は前世の無念を晴らし、秀明が不幸の連鎖から抜け出せるように・・)
力を使い始めると同時に、まるで卵の殻がひび割れるように、残った上半身が崩れはじめた。
生まれ変わってからもう一度、淑恵に接触し、「不幸の残債」について伝えるための力は残しておかなければならない。
痛みに耐えながら、そのギリギリを見極めて術をかけていく。
(さあ——後は頼んだぞ——)
もうこの世で、実体を保つことはできない。
淑恵の魂に術をかけ終え、今にも消えそうな身体をかかえながら、ワシはあらかじめ見つけておいた、この世とあの世をつなぐ狭間に、身を埋め、最後の力を使うその時まで、深い深い眠りについた。
いつか生まれ変わった淑恵が、結ばれた見えない縁にいさなわれ、ワシの居場所に足を踏み入れるまで。