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不幸を背負って、親父は笑顔で逝った  作者: 春山 潮
第三章 白い猫と神主:詠み人知らず
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淑恵

 祐也の家を後にし、ワシはそれから、思い当たる限りの、秀明の親類や親しい友人の生活をのぞいた。


 妹の佳子、甥っ子、姪っ子、昔の仕事仲間のいく人か、幼馴染・・。思いつく限りの人間たちをあたっていく。


 身体のことを思えば、本当はすぐにでも誰かに役割を託して、来るべきその時に備えて眠りにつきたい。


 だが、半端な人物に想いを託して、失敗したら?


 二度目の人生で、秀明がどんな人間に生まれ変わるかはわからない。人間は環境で育つもの。本人の性分は変わらなくとも、打たれ強さや辛抱強さは変わるだろう。


 残債の量を考えれば、最後の一回の回収は、確実に秀明の心を抉るような、とどめを刺すようなものになる。一番助けが必要な時に放り出されてしまったら。場合によっては、秀明が自ら命を絶つことも考えられる。


 それだけはなんとしても阻止せねば。


 だが、ワシが訪れたものたちの中には、残念ながら適性者はいなかった。


 皆、秀明の死については悲しんでいた。だが、心の中にぽっかりと空いた穴を、それはそれとして受け入れ、前向きに目の前の人生に取り組もうとしていた。


 誰もが皆、自分の「生」を生きていたのだ。


(そもそも、「他者の命ばかりを尊重する」、秀明の方が珍しいのだ。まぁ、それが原因でこんな事態になっているのだが)


 迷った挙句–––秀明の家族の中で、ワシが最も嫌っていた人間の元へ、崩れかけた身体を向かわせた。




 気がつけば、秀明の死から、半年を超えていた。


 茹だるような日差しが、灰色の地面の熱気を引き出している。幽体では暑さを感じることはない。だが、眼前でゆらゆらとゆらめく陽炎が、この夏の暑さを物語っていた。


 ワシは、半年ぶりにこの家屋の前にやってきていた。

 最低限の補修しかできていない、ワシの知る限り築五十年に届くであろうこの建物は、所々ガタが来ていた。


 壁は一部剥がれているし、玄関の引き戸の建て付けも良さそうには見えない。


 この家には今、一人の老婆が住んでいる。

 秀明の妻の、淑恵だ。


(もうこの女しか思いつかぬ。だが、この女が秀明を救えるものだろうか)


 小さく、丸まった老女の背中を後ろから眺めながら、深いため息をつく。ワシがこの女を好きになれない理由はいくつかあった。


 見合いで結婚した秀明と淑恵は、それなりに気が合ってて結婚したようだった。だが、秀明と淑恵の気持ちには温度差があった。一生淑恵を大切にしようと心に決めていた秀明に対し、口には出さずとも「妥協して結婚した」という態度が、淑恵からは見てとれた。


 子どもの頃から秀明が苦労する姿を見ていたワシにとって、この態度がまずいけ好かなかった。


 そして不器用な秀明の優しさを、素直にありがとう、と言ってやることのできないところも、許し難い。


 何より許せなかったのは、秀明が最後の幸せの譲渡を行い、身体が弱り果てた時、淑恵が秀明にした仕打ちだった。


 一気に衰弱し、変わり果てていく秀明の変化に、淑恵は気づくことが出来なかった。


 四十年という時間は、人間にとっては長い時間のはず。



 なぜ、弱っている秀明を、優しく労ってやれなかったのか。


 なぜ、自分の歩く速度に追いつけない理由が、それだけ病魔に蝕まれ、全身が痛みで覆い尽くされているということだということがわからなかったのか。


 なぜ——自分の夫が毎日着実に死に向かっているということに、気がついてやれなかったのか。



 そういった憤りが、最期の一年を過ごす二人の生活を見守る中で、この女に対する嫌悪感をさらに高めていった。


 久しぶりに見る淑恵は、最後に見た時に比べ、随分とやつれて、年よりもだいぶ年老いて見える。


 身なりを非常に気にする性分の淑恵は、朝起きると綺麗に髪を整え、櫛で器用に後ろにまとめていた。服も丁寧に皺が伸ばされた、洒落た衣服を普段から着ていて、夏は常にくたびれた甚平を着ている秀明とは正反対だった。


 だが今は、髪はうねり、以前は綺麗に白髪染をされていた根本も、すっかり白くなっている。


 服もよれた、所々シミがあるようなものを聞いていて、かつての淑恵の姿とは、だいぶ印象が異なっていた。

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