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不幸を背負って、親父は笑顔で逝った  作者: 春山 潮
第三章 白い猫と神主:詠み人知らず
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芳名帳と日記帳

 一か八かの挑戦ではあったが、白い猫は意図した通り、秀明の住む横須賀の港町に、再び白い猫として生まれ変わった。


 約束通り、秀明のそばに寄り添う代償として、猫は身体をワシに譲った。だが、あくまで共存、という形を取り、白い獣の器の中での、二つの魂の奇妙な共同生活が続いた。

 ・・ワシに肉体を売ってまで、慕っている人間の傍にいたいというのだ。ここで完全に体を乗っ取るほど、ワシは落ちてはいなかった。


 この男には、不思議な魅力があった。人間にも動物にも平等に優しく、人のために尽くすことを厭わない。しかし、人が良い上にすぐに調子に乗るために、騙され、いいように使われる。


 だが、決して人を憎まず、気に入らなければ真っ向勝負をし、殴り合った相手と最後は大笑いするようなやつだ。


 ワシもこの猫も、そんな秀明の太陽のような人柄に惹かれて、この男の隣にいることを好んだ。猫相手にも度々冗談を飛ばし、このワシを笑わせるのだから大した男だ。


 この長閑のどかな日々が、いつまでも続くと思っていた。


 そう、あの日までは。


 運命の日は、突然にやって来た。

 秀明の一番仲の良い弟が、交通事故に遭い、瀕死の重傷を負ったのだ。


 人を呪い、あの世へ葬る道具として生まれたワシにはすぐ、三男の「寿命」が見えた。この世の中の技術では、この子どもを生かすことはできない。この世の誰も、救うことができないのだ。


 憔悴しきり、絶望に顔を歪める秀明を見るのは、本当に辛かった。家族の幸せを第一に願い、身を粉にして働いて来た次男にとって、自分より若い家族の死が受け入れ難い悲劇だというのは、想像に難くない。


 そこでワシは――この男の、一本気で、真面目な性格に掛けてみることにしたのだ。


だが、「幸せを切り売りする力」のことを知った秀明は、こう言い放った。


「俺が不幸せを被ることでみんなが幸せになれるんなら、安いもんだ。ありがとう、神主様」


(なぜ・・・そんなことが言えるのだ)


 人の一生を救う、ということが、どれだけの負荷を負うことか理解できていないのだろうか。


 弟はまだ中学生だと言った。健康に平均寿命まで生きるとすれば、七十歳前後まで生き延びることになる。――つまり、金銭による支払いを受けなければ、ほぼ秀明の寿命を使い潰すことになる。


 子どもが大人をだまくらかして金銭を調達することは難しいだろうが、ワシの力を持ってすれば、親戚のあちこちから「治療費」の名目で対価を収拾することは可能だ。


 だが。秀明の瞳の中には、揺るぎない決意があった。


 すると、自分の口から、思いもよらぬ一言が滑り出た。


「ここに署名と血判を。そして、こちらの芳名帳に、弟の名前と、受け渡す幸せの子細を書け。本来ならばお前は大きな不幸を被ることになるが、・・・私が半分受け持ってやろう。その代わり、もうお前に助言をしてやることはできなくなる。・・・大切に使え、自分の幸せが尽きぬよう」


 ワシは魑魅魍魎の一種。

 人の命を呪い、奪うもの。


 死にゆく人間の命など、取るに足らないものであったはずであるのに。


 口では「半分」と言った。だが、それでは、人間の体などひとたまりもない。四十年弱の命の負荷だったとしても、秀明はまともに生活することもできなくなるほどの災難か病魔を受けるであろう。


 ワシは、対価の不渡りによる呪いの九割を受け取った。

 自分の命を差し出し、「対価の助言はしない」という契によって、対価との釣り合いを取った。契約者が一切の負債を受けないようにすることはできないため、一割のみを秀明に課す。


 すると、猫の体の中に潜むワシの魂は、鱗の如くして一部が剥がれ落ち、所々にヒビが入った。長い生涯の中でも感じたことのない鋭い痛みに、形のない魂は七転八倒する。


(・・不思議だ。こんなにも苦しいのにもかかわらず、心は温かい)


 人のために自分を犠牲にする。

 バカバカしいとあざ笑っていた行為を自分が進んでしたことに、苦笑いを浮かべながら、残った命で秀明を見守り続けるために、ひとまず眠りにつくことにした。


 長い時の中で、最愛の人との別れを経験し、孤独を知ったワシにとって、単なる猫を「兄弟」と呼び、いつでも暖かく迎えてくれるこの男が、いつの間にか人の世で言う「家族」に近い存在になっていったのかもしれない。


 


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