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不幸を背負って、親父は笑顔で逝った  作者: 春山 潮
第三章 白い猫と神主:詠み人知らず
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命の終わり

「にゃんにゃん、にゃんにゃん」


ふくふくと、まるでこぼれ落ちそうなほっぺたをした秀明が、ワシを呼んでいる。大人と意思疎通ができる程度に言葉を操れるようになったこの子どもは、ワシの姿を見るたびこう呼ぶのだ。


人間の子どもとは、なぜこんなにも無防備なのだろうか。


人の命を弄び、これまで何人も殺めてきたこのワシに、満面の笑みで手なぞ振っておる。


ガラス戸をこっそり自分で開け、首だけ縁側の方に突き出した秀明は、近づいてきたワシを見て、目をキラキラとさせている。


「にゃんにゃん、またきたの? いいこ、いいこ」


こいつに頭をなぜられるのは、不思議と嫌ではない。子どもは無遠慮にバシバシとたたこうとする奴もいたが、秀明はまるで慈しむように、ワシの頭に優しく手を乗せる。


「こら秀明! 猫なんかバイ菌の塊なんだから、そんな気安く触んないの。ほら、シッシッ、いきな!」


箒を持った母親の姿が目の端に見えた瞬間、叩かれる前にと、縁側から急いで退き、チラリと秀明の顔を見てから隣家の塀の上に登った。


まったく、この女は乱暴にも程がある。


・・だが、このちいさな、頼りない生き物を守るためだと考えれば、それも仕方のないことなのだと最近は思うようになってきた。


(長く生きると牙も折れてなくなるものなのだろうか・・)


「にゃんにゃん、またね!またきてね!」


少し寂しげな子どもの声が、背後から聞こえた。あれから、ほとんど毎日、この家に顔を見せている。大体いつも、この母親の方に追い出されるのだが。


(ーーただ、気を紛らわせたいだけだ。他にやることもない。たまたま見かけて興味を惹かれたものを、じっと見ているに過ぎぬ)


ワシはなんだかんだと言いながら、この子どもが育っていく様を、ずっとずっと見守っていた。


人間の一生など、すぐに終わってしまう。思い入れれば思い入れるほど、後々辛い思いをするのは静江のことでわかっているにも関わらず。




そうしているうち、借り物の肉体が、やはり自分の命よりも先に限界を迎えた。


「おい、この猫、ほとんど動かねえぞ」


動けなくなったところで運悪く、この辺りの悪ガキに捕まった。


身体を捨てて別の器に乗り換えることは可能だ。本来、もっと早くそうするべきであったし、そもそも器がなくても実体を保つことだってできる。この老ぼれた猫の体など、いつでも出て行っていいはずだった。


(・・だが、器を変えたら。秀明が気づいてくれぬかもしれぬ。猫でさえ警戒されるのだから、人型では家の中に入ることもできなくなる。第一秀明が怖がるかもしれない)


「本当だ。ちょっと遊んでやろうぜ」


手持ちの絵の具か何かで、餓鬼どもはワシの体に落書きをし始めた。

もはや全てが面倒くさくなっていたこともあり、されるがままになっていたのだが。そのうちの1人がハサミを持ち出したところで、ふと我に返った。


(この小童めが、調子に乗りおって)


フゥッと、毛を逆立て、クソ餓鬼どもの方へ鋭い視線を向ける。


「なんだよ、今更抵抗しようってのかよ」


ワシはこちらに向かって走ってくる、一台の車を、術を使って餓鬼どもめがけてグッと引き寄せた。


心の中でほくそ笑み、研ぎ澄まされた牙を剥く。そうだ、ワシはそもそもがこういう存在なのだ。


人を呪い、命を奪う。

それが生まれながらに与えられた役目。いままでのワシがどうかしていたのだ。


(餓鬼どもめ、地獄でワシにした仕打ちを、泣いて詫びるがいい)


「危ない!」


そこへ飛び出してきたのは、秀明だった。すでに中学生になっていた秀明は、正義感が強く、困っている人間放っておけない、お人好しを絵に描いたような子どもに育っていた。


大方、たまたま車が突っ込んで来るのが目に入り、この生きている価値もない子どもらを助けようと飛び出してきたのだろう。


秀明が首根っこを掴んで路地に引き込んだことで、悪餓鬼二人組は難を逃れた。だが、通り側に身体を残していた秀明に向かって、ワシが操った車が目前に迫っていた。


もう間に合わないと思ったのか、秀明は、目をギュッとつむる。


腰を抜かして地べたに座り込んだ悪餓鬼どもは、呆然とその場にたたずんでいる。



ワシは車に絡めた術を、一か八か、思い切り自分の方に引き寄せた。


ーーその結果どうなるかは分かり切っていた。


だが秀明が死ぬよりは、いいと思ったのだ。

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