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不幸を背負って、親父は笑顔で逝った  作者: 春山 潮
第三章 白い猫と神主:詠み人知らず
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絶望の前に現れたものは

 もう、この世に彼女はいない。


 永久にも続きそうな忌々しいこの命が、こんなにも憎らしいと思ったことはない。他の魑魅魍魎がどうしているかは知らないが、少なくともワシは、自ら自分の生を終わりにする方法を知らなんだ。


 これほどに深い深い絶望をワシは知らぬ。


 愛するものがいなくなっても、いつまでもいつまでもここに存在する我が命を、どう過ごせば良いというのだろうか。


 荘厳な御殿の主の間で、ワシはすべての出入り口を結界で閉ざし、彼女の亡骸を見つめ続けた。


 初めは病を治してほしいと押しかけてきていた金持ち連中も、扉がびくともせず、人の気配がしないところを見て夜逃げでもしたのかと思ったらしい。


 そのうち誰も来なくなり、門扉は、「ペテン師」だの「地獄に堕ちろ」だの、治してもらえなかった腹いせからか、罵詈雑言の張り紙や落書きで埋め尽くされるようになった。


 だが、そんなことなどもうどうでもいい。


 動かなくなった彼女の姿を見ると胸が締め付けられる。泣いて、自分のしたことを悔やみ、そして己に怒りが湧く。引いては来る波の如く、静と動の感情がずっと心の中を行き来していた。


 だがしかし、ワシがどんなに嘆こうが叫ぼうが、季節は待ってくれはしない。

 そのうち、若く美しかった彼女の体からは、目玉が落ち、肉が腐り落ち、もはや誰とも判別のつかない乾いた骨となった。


 そうして美しかった建物も、色褪せ、床が所々くぼみ、天井も一部落ちたような廃墟と化した頃。どこからか白い猫が入り込んできた。


(・・ついに結界も朽ち果てたか。だがこの身は未だ、朽ちる気配もない)


 恐れを知らぬその猫は、ワシの傍までやってきた。

 その白い毛玉の塊は、ワシの真横で丸くなり、大あくびをし、ウトウトとまどろみはじめる。


(そう言えば、静江も猫が好きだと言っていた。自由で、のんびりとしていて、自分の思うままに振る舞える姿が羨ましいと)


 しばらくその場でくつろいだ後、猫はムクリと起き上がり、のそりのそりと部屋を出ていった。その姿を見送って、ワシは静江の「猫が好き」な理由を、初めて理解したような気になった。


ーー自由で、のんびりとしていて、羨ましい、か。


 それからその猫は良い寝床を見つけたと思ったのか、毎日毎日、日の出ている時間の大半を、崩れた御殿の中で過ごすようになった。


 季節は夏。厳しい日差しを遮るには、たしかにもってこいの場所ではある。


 静江の亡骸と、ひたすら毎日を消化する日々に、するりと入り込んできたこの猫を、ワシはずっと眺めていた。


 そのうち、絶望しかなかった頭の中に、ある考えが浮かぶ。


 ――猫になるのも良いかもしれない。この猫の体に寄生して、その日その日赴くまま、ただ景色を眺め、餌を食べ、ひたすら寝転がる。


 ただこの場に佇んでいても、この悲しみは癒されない。それならいっそ、別の生き物になってみれば、少なくとも、気は紛れるだろう。


 重く、鉛のようになった身体を、ゆっくりと起き上がらせる。


 すると、またあの猫がどこからともなく現れた。


「ちょうど良いところに現れた。・・これまでの宿賃だ。お前の体に住まわせてもらう」


 猫は、己がいかに恐ろしい獣のそばで、呑気に過ごしていたかを今更察したらしい。だが時は遅し。逃げようとした小さな生き物の体を術で止めーー霧となった自分の体を、白い獣の中へとねじ込んだ。


 怯え、あまりの出来事にのたうち回っていた猫の体は、そのうち動きを止め、よろり、と、まるで体の使い方を初めて習う赤子の如く起き上がる。


(完全に体を奪うことは止してやろう。ワシが寝ているときは、意識を手放す。起きている時だけ、この体借りさせてもらう)


 猫となったワシは、不慣れな足取りで、のそり、のそり、と、後ろ髪をひかれながらも、最愛の人との住処を後にした。


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