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不幸を背負って、親父は笑顔で逝った  作者: 春山 潮
第三章 白い猫と神主:詠み人知らず
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願いの代償

 それから、ワシは手際よく計画していたことをこなしていった。「手荒なことはしないでほしい」という彼女の懇願もあり、術を使って相手方の親を惑わし、穏便に破談にする方法を選んだ。


 そして彼女の親戚筋の、金払いの良さそうな持病持ちの老人を探し出し、一人目の「奇跡」を起こして見せる。彼女は金銭を受け取るのを嫌がったが、「お医者様でも医術を行った分はもらうもの。親に頼らず生きていくためには、金銭の収受は必須」と説得し、幸せの対価に見合う分を老人から受け取った。


 しかし老人を治した帰り道、彼女は自分が行った「奇跡」に動揺を隠しきれない様子で、震える手で私の着物の袖を掴んだ。


「貴久様は、本当に『神の力』をお借りになるのね・・・。私、少し恐ろしい。山田様のご病気が回復に向かわれたのは、喜ばしいことですけど・・・」


「この力はね、きちんと適切な対価を頂いている分には問題ないのです。神の力を借りる代償として、静江さんはご自身の力を使われます。その分を補填するためにお金をいただけば、等価交換が成立し、あなたには一切害がありません」


 ――彼女には、「幸せを切り売りする力」だとは説明しなかった。自分の幸せを差し出す代わりに金銭を得て均等を保つ。それはきっと彼女の耳には、悪魔のような力に聞こえるのではないかと思ったからだ。それなら、神主見習いが素質があるものに与えることのできる、借り物の『神の力』、と説明したほうが、いくらかマシではないかと思ったのだが。やはり通常の感覚では理解できない力は、畏怖の対象にはなるようだった。


 しかし回数を重ねるごとに、恐れる気持ちよりも、病気に苦しむ人々を救うことに、彼女は喜びを覚えるようになった。結婚が流れたことで、学校にも通い続けることが出来、卒業を迎えた春、静江は満面の笑みでこう言った。


「貴久様、私のことを理解してくださって、この力を譲っていただいて、本当に感謝してもしきれません。お医者様になることは叶いませんでしたが、こうして女学校も終えることが出来て、困っている方々を救うことが出来て、私は幸せでございます」


 そう嬉しそうに微笑む彼女を見て、ワシは体の中がじんわりと暖かくなるのを感じた。

 ――これが幸せというものだろうか。自分が与えたものによって、愛しいものが笑顔になる。こんなに嬉しいことはない。


 ただ、そばにいるだけでいい。この笑顔を、ずっと、ずっと見ていたい。たとえ彼女の心が、自分に向かなかったとしても。・・この力がある限り、彼女は自分から離れていくことはない。


 しかし、浮世の夢の如く、彼女との暖かな時間は、そう長くは続かなかった。


 * * * * *


 彼女と「神の力」を使って奇跡を起こす生活が、二年を過ぎた頃。静江の両親は、彼女の力が奇跡の御技であると信じ込み、偉大な巫女として崇め、彼女の人生を縛ることはなくなっていた。そして対価として得た金を使い、この地に御殿を建てる頃には、まるで教祖のごとく町民たちは彼女を崇め奉った。


 元々が謙虚な性格であった静江が、その待遇にあぐらを掻くことはなかったが、重圧を感じてなのか、少しずつ、少しずつ、塞ぎこむようになった。


「静江さん、どうされましたか。お声に元気がないようですが・・」


 ここのところの彼女は、部屋にこもりがちになり、ワシの前に姿を見せることが少なくなっていた。会話と言えば障子越しのみ。病や怪我を治してほしいとここを訪れる者たちに対しても、同じように障子を隔てて対応するばかりで、顔を見せようとしない。小間使いの人間に用事を頼んで、身辺の諸々は間に合っているようだった。


 それに寂しさを感じながらも、「彼女がそうしたいなら」と自由にさせていたのだが。様子をうかがっていると障子の向こうで、彼女が咳き込んでいるのが聞こえた。――そしてその咳き込み方には、聞き覚えがあった。


 急いで障子を開け放ち、ワシは部屋の中に入った。

 そこにあったのは、痩せこけ、不健康そうな顔色で体を丸め、苦しそうに咳をする、彼女の姿だった。


(間違いない、結核だ。ここを訪れる結核患者の連中の中にも、何人も同じ咳をする人間がいた)


 だがおかしい。障子越しで応対する前も、病気の感染については最新の注意を払っていた。結核が流行ってからは、咳をするものは別室でワシが応対し、書き取った願いを彼女に伝えるようにした。


 そして人間ではないワシを媒介に、彼女に病が伝染することはないはず。


(――まさか)


「静江さん、あなたもしかして・・・私に隠れて患者を診ていたのではないですか・・?」


 その言葉を聞いた彼女は、ビクッとした。そして申し訳なさそうな表情を浮かべ、うつむく。


「・・『神の力』は、大きな病を抱えた貧しい人間には使うことが出来ません。それ相応の対価を必要とします。奇跡の技だ、御仏の再来だ、などともてはやされるたびに、本当に困っている人々を救えないことに、いらだちを覚えるようになり・・・。それでたまにこっそり家を抜け出ては、少額の対価を得て、度々貧しい人々の治癒を行っていました」


 ワシはこの、怒りと、やるせなさと、悲しみが混じった、感情を何と呼べばいいのかがわからない。

 ただひとえに、愛する人を失ってしまうことの恐怖に、体を震わせる。


「与える力に、見合わぬ対価で治癒を行うことが、どういう結果をもたらすか、何度もご説明したでしょう」


 思わずワシは、今にも消えてしまいそうな程に弱った、彼女の体を優しく抱きかかえた。

 以前初めて、彼女の体を抱き寄せたときに比べ、あまりにもろくなった彼女の体の感触を感じ、はらはらと涙がこぼれる。

 人を模しただけのこの体でも、本当に悲しいときは泣くこともできるらしい。


「でもね、貴久様。対価と力の均衡が崩れ、こうして体が終わりに向かっていくことに気づいても。私は――彼らを治さないほうが良かったとは思えないのです。本来、『神の力』を借りる巫女とはそういうものなのではないのでしょうか」


 ワシの誤算は、彼女のこの優しさと真面目さだった。

 巫女という立場の意義を自問自答し、自分が救いたいと思えるすべての人間が救えないことに、心を痛めていたのだ。


(使うべきではなかったのだ。彼女の幸せのためには――。夢を絶たれても、生きていれば、生きてさえいれば別の幸せもあったはず)


 その場で泣き崩れるワシの頬を、やつれきった彼女の手が優しく撫でる。


「もう、自分が長くないということはわかっています。だから最後に、どうしても伝えたかったことをお話させてください」


「いくらでも・・いくらでもお聞きしましょう」


 愛しい人の生気のない顔ほど、心が痛めつけられるものはない。咳き込み、苦しそうにする彼女だったが、一息ついて、言葉を続けた。


「死にゆく人間にこんなことを言われるのは心地悪いかもしれませんが――私は貴久様のことを、お慕いしておりました。いつか伝えたいと思いながら、どうしても伝えられなくて・・。これまで私のわがままに付き合って頂いて、ありがとうございました。――どうかせめて、貴久様は、幸せになって」


 ようやく彼女の気持ちを聞くことが出来た。こんなにも、嬉しいことはないはずなのに。長い時の中で、これほど悲しみ、後悔することはない。


 ――ワシは、自分の欲望のために、それらしい理由をつけて彼女との時間を勝ち取り、対価として愛する人の命を奪ったのだ。


 この三日後に、穏やかな笑みを浮かべたまま、彼女は深い深い眠りについた。

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