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不幸を背負って、親父は笑顔で逝った  作者: 春山 潮
第三章 白い猫と神主:詠み人知らず
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夜逃げと提案

 彼女が去った後、鳥居の向こう側に見える海をしばらく眺めていた。

 今日はどうやら風が強いらしい。いつもに比べ、波が高く、海面のあちこちで白い水しぶきが上がっているのが見える。


(彼女の結婚を阻止し、願いを叶え且つ、自分のそばに置いておくには――)


 彼女の希望を叶えながら、自分の欲望を満たす方法について、頭を悩ませた。気に入らないものは排除し、相手の感情など関係なくやりたいようにやってきたワシにとって、相手のことを思いやりながら最善の策を考えるということは、とてつもない難題に思えた。


 ふと、もはや忘れかけていた「日記帳と芳名帳」のことが頭をよぎった。


 ワシが横にいて、不具合の出ないよう目を配っておけば――医者にしてやることは出来ないが、人の病を治したいと願う、彼女の希望を叶えつつ、この先ずっと彼女と一緒にいることができるかもしれない。


 結婚話は、人の心を操る術を得たワシにかかれば、破談にするのは容易い。そして、「病を治す不思議な力を操る巫女」として、認知を得れば。ワシは巫女を支える側仕えとして、彼女を支え続けることができる。


 ワシはほくそ笑み、思いつきではあったが、自分の身から出た素晴らしい策に、心から満足した。そして早速、その策を実行に移すことにしたのだ。


(――ただ問題は、彼女が再びここに来てくれるかどうかだ。彼女が来てくれねば、計画を実行に移すことが出来ぬ。どうかどうか、明日、またここに来ておくれ。ワシはどうしても、お前のそばにいたいのだ)


 しかし彼女は、翌日も、その次の日も、神社に姿を現さなかった。

 たった数日など、瞬きの瞬間にも届かぬ短い時間だと思っていたワシが、こんなにも焦れることは、この数百年のうち一度もない。


 一日中神社の境内をウロウロしつづけたワシは、彼女の悩みを聞いてから、ようやく五日後に、求め続けた愛しい相手の姿を、鳥居の前で見つけた。だが、彼女が現れたのは、いつもの夕刻ではなく、丑三つ時に近い頃だった。

 ――彼女はいつもの「せえらあふく」ではなく、和服を着ている。そして目に涙を溜め、決意の表情で、手には大判の風呂敷に包まれた大荷物を持ち、背中にも荷物を背負っていた。


 私の姿を認めた彼女は、力強い足取りで、小走りに私の元へやってきた。


「よかった・・お会いできた。こんな真夜中に、申し訳ありません。事前にご連絡したら、両親に私のはかりごとが知られてしまう可能性があるのではと思って。恥を偲んで、参りました・・お願いです、私を連れて、逃げていただけませんでしょうか・・」


 彼女の大きな目に溜まった涙が、ポロポロとこぼれ落ちた。


「無理なお願いを・・・無理なお願いをしているとは重々承知しております。毎日ご挨拶をして、先日初めてお話をさせていただいただけの関係にございます。・・実は正式に結婚が決まりまして・・。女学校も、退学の日取りが決まりつつあります。もう、頼れる方が、あなたしかいないのです・・」


 顔を覆い、その場で泣き崩れた彼女を、両手で抱き寄せた。

 どれだけの決意で、ここまで来たのだろう。この真っ暗な闇の中を、不安な思いを抱えて一人、ここまで歩いてくるのは、さぞ恐ろしかったことだろう。


 そう思うと、彼女を抱きしめずにはいられなかった。


「お名前をお伺いしても?」


 両腕で強く抱きしめたまま、彼女に問うた。


「・・勝浦・・静江と申します。・・あなたの、お名前もお聞きしてもよろしいでしょうか・・。神主さんと思いこんでおりましたが、こちらの神主さんはご年配の方だと父から伺いまして・・どちらかから修行か何かでいらしているのでしょう?」


 そう聞き返されて、困った。

 地の人間であれば、確かにここの神主がどんな人物かを知らぬはずがない。遠方から修行に来ている、という彼女の勘違いに乗るにしても、名前に関しては、考えたこともなかった。


 使役されていたときの呼び名はあったような気がするが、それは名前ではないし、第一覚えていない。視線を泳がせているうち、近くにかかっていた絵馬が目にはいった。彼女の直接の知り合いに当たらないことを願いつつ、絵馬から名前を拝借することにした。


「・・貴久、荏田貴久(たかひさ)と申します。貴久とお呼びください。・・それと。逃げるよりも良い方法があります。私に任せていただけますか。結婚も破談に出来ますし、お医者様にして差し上げることは出来ませんが、静江さんの『人のために尽くしたい』という願いも叶えることが出来ます。ただその代わり・・私をずっとそばに置いてはいただけませんか。結婚してくれなどとは言いません。――ただ、私はあなたのそばにいたいのです」


 ワシの一世一代の告白に顔を赤らめながらも、彼女はやはり「逃げずとも自分の希望をすべて叶えられる」という突拍子もない話に困惑したらしい。


「あの・・あなたは一体・・? どうやってそれを実現できるというのでしょう」


 それは当たり前の疑問であるだろう。今の世の中で、女が家のしがらみや、結婚から逃げるには、失踪するか駆け落ちするか、身を投げるかくらいしか選択肢はない。


「・・私はね、神の力をお借りできるのです」


 自分があやかしの類である、と打ち明けることはできなかった。それによって、彼女が恐れて自分から逃げてしまうのが怖かった。それに、世間一般のあやかしに対する認識がよくない。まあ、悪さをする人外のものの総称を言う言葉ではあるし、自分もこれまでさんざん命を弄んできたので、間違ってはいないのだが。


 この九百年で初めてワシは、今日、「見栄」というものが何かを理解したのだった。

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