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不幸を背負って、親父は笑顔で逝った  作者: 春山 潮
第三章 白い猫と神主:詠み人知らず
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初恋

(これが、恋というものなのだろうか)


 あの日から、神社の境内で、神主に化けて掃除をするのが日課になってしまった。ただ一言、彼女と挨拶を交わすためだけに掃除なぞするのは、馬鹿らしいことであるとも思っているが、気づくと箒を握っている自分がいる。


(齢九百年を超える魑魅魍魎が情けない。だが、初めて感じるこの感情は――不思議と心地よいものだ)


 彼女の姿をこの瞳に映すと、自分には存在するはずのない心が、カッカと熱を発する気がする。彼女と言葉を交わす瞬間が、永遠に続けばいいのにと思う。


(しかし彼女は、なぜこうして、毎日毎日神社にやってくるのだろうか)


 そもそも神社など、そんなに頻繁にくる場所ではない。よほど困った事柄か、叶えたい願いでもあるのだろうか。


 ほぼ挨拶しか交わさない相手から、神社に来る理由を尋ねられるのは不愉快ではないだろうか。


 もっと近づいてみたい。しかし人間の心の機微などワシにはわからない。もしも下手にちょっかいを出して嫌われてしまったら・・。

 心の中で行ったり来たりを繰り返しているうち――絶好の機会がやってきた。


「こんにちは。今日も掃除に精がでますねえ」


「今日も参拝ですか。熱心ですね」


「一体どんなお願いをされているんですか」と、口をついて出そうになったが、踏みとどまった。しかし心配そうなワシの様子から、何を聞こうとしたのか察したのかもしれない。


 彼女は一瞬目を伏せた後、ワシの顔を見て決意したようにこう言った。


「今日、参拝を済ませたら、少しの間だけで良いので、私の話を聞いていただけますか」


 ワシは、存在しないはずの心臓が高鳴るのを感じた。しかしあくまで冷静を保った様子は崩さず、「もちろんです」とだけ答えた。


(参拝なんて、一瞬の出来事のはずだのに。それがこんなにも長く感じるときが来るとは思わなんだ・・)


 参拝を終えて、こちらに向かってくる彼女を、神社の境内にある粗末な長椅子へ案内した。所作の美しさを見るに、それなりの家の出であることがわかる。制服を着た女学生はこのあたりでは珍しい。女学校に通わせられる財力があるということを考えれば、このあたりの地主のご令嬢あたりだろう。


「あの・・ご挨拶を交わす程度の私から、ご相談ごとなんておこがましいとは思うのですが・・」


「私で良ければ、いつでもお聞きしますよ」


 ワシは穏やかな微笑みを浮かべ、彼女に話の続きを促す。肩をすくめ、両手を膝の上で握りしめていた彼女だったが、ワシの言葉にすこし緊張が緩んだらしい。はにかんだような顔を見せた後、ぽつり、ぽつりと話し始めた。


「私、お医者様になりたいんです。でも、ご存知の通り、女性がお医者様になるなんて奇跡みたいな話でしょう。男の方ばかりの中に混じって、どんな嫌がらせにも負けず、信念を持って挑んで学んで、それでもなれるかどうかはわからない、夢みたいな道です。両親はもちろん、反対しておりまして。――それで、私がおかしなことをし始める前に、結婚をさせようと。・・縁談を持ってこられたんです。少し前に。女学校の勉強でさえ終えられないかもしれない。それが辛くて・・・」


 彼女は、目から大粒の涙をボロボロとこぼしている。ワシは一瞬躊躇したが、そっと彼女の肩に手をやった。そして、「結婚」という二文字に、動揺し、傷ついたような気持ちでいるところを彼女に知られまいと、うつむきがちにこう言った。


「それは・・・お辛いでしょう」


「はい・・縁談が破談になるようにと、神様に祈っていたんです。叶わぬ願いだとは思いながらも、願わずにいられず。それでも、両親が許してくれぬ限り、医の道が開けるわけではありませんが、せめて学校の勉強はどうしても終えたくて」


 ――涙を流す姿までも美しいと思ってしまうのは、ワシがどうかしているからなのだろうか。


 このまま行けば彼女は、誰とも知らぬ馬の骨の、嫁になってしまう。相手の男を殺すことは容易いが、そんなことをすれば彼女は傷つくだろう。


「でも、お話できて、少し気が楽になりました。聞いてくださって、本当にありがとうございます。・・・女性で神主をされている方って、初めてお会いしたので。ずっとお話したいと思っていたんです。神主さんの位をいただくのも、女性の身では大変だったのではないですか・・・?」


 期待を込めた眼差しを向けられ、しかも両手で手を握られ、思わず絶句した。

 ワシは人間ではないし、人間の性別の観念が当てはめられるのかはわからないが。だがしかし、今日これまで、自分が女であると思ったことはなかった。今模しているこの「形」も、男の体をしている。――確かに中性的な顔立ちではあると思うが。


(・・まさか、女だと思われていたとは)


 確かに思い当たるところがある。この時代の女性にしては、随分と距離が近いし、肩に手を置かれても、顔色ひとつ変えなかった。

 この握られた手も、女だと思ってのことか、と思うと残念で仕方ない。


 真実を伝えるべきか否か迷ったが、知ってもらわねばここから先に進めない。思い切って、ワシは彼女に向かって、口を開いた。


「あの、私は・・女性ではなく。れっきとした男なのです」


 彼女のキラキラとした眼差しは、ワシのその言葉を聞いて光を失い、そしてみるみるうちに、彼女の愛らしく、それでいて意志の強そうな顔が、真っ赤に染まった。


「た・・大変申し訳ございません! とんでもない侮辱を! 本当に、申し訳ございませんでした!」


 長椅子から跳ね上がり、姿勢よく、頭を深々と下げた彼女は、恐縮しきっているように見える。


 ワシは極力優しい笑顔を作り、彼女がこれを期にここに来なくなってしまわないよう祈りながら言葉を続けた。


「謝ることはありません。実際、よく間違われるのです。ですから本当に気にしないで――私はまた、あなたとここでお話できたらいいなと思っています。また、明日も来てくださいね。・・・私も、ずっとあなたと、お話したいと思っていたんです」


 そう言って、まだ涙で濡れている彼女の瞳を見つめた。

 すると彼女はこれまで以上に顔を茹で蛸のようにして、再び会釈して神社の鳥居の方へ早足で去っていってしまった。

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