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不幸を背負って、親父は笑顔で逝った  作者: 春山 潮
第三章 白い猫と神主:詠み人知らず
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すべてのはじまり

 もはや、いつからこうしているのか、わからない。


 ただ流れゆく退屈な毎日を、ときには人へ、ときには昆虫へ、そしてときには動物へと乗り移り、いつ終わるかわからない自らの生を、ただひたすらに消費する。


 おぼろげに覚えているのは、まだ人間が幾重にも重ねた衣服を着て、もののあはれなどとほざいている頃の生まれだったということだ。憎い相手を殺すために、虫たちを共食いさせて作り上げた神霊とされるものが、このワシだったように思う。


 だが、一体誰を殺すために生まれたのか、そしてワシを生んだ人物の姿形や名前など、そういった細かい事情は、長い年月を過ごすうちにすっかり忘れてしまった。


 人はいつか死ぬ。


 ワシを生み出した術師も、瞬きをするほどの短い間に儚くなり、消えてしまった。

 術師の元を離れた後、気の遠くなるような長い年月をふらふらと過ごした。


 そのうち各地の魑魅魍魎ちみもうりょうと呼ばれるものを取り込み続け、ワシは巨大な力を得る。


 終わりの見えない日々に飽き飽きし、退屈しのぎに思いついたのは、人間の欲望を試す遊び道具を作ることだった。


 * * * * *


「……空から小判でも降ってこねえかな。一所懸命働こうとも、わずかな銭しか稼げねえ。母ちゃんと乳飲み子を養うにゃあ、もうちょっと実入りのいい仕事があるといいんだがなあ」


 芋の煮ころばしをつまんで口に放り込み、この店で一番安い酒を飲みながら、男はそう愚痴をこぼす。これはちょうどいい独り言を聞いたと思ったワシは、その男に声をかけた。


「旦那、いい話があるんで、この後もう一軒どうだい」


「おお? 一体どんな仕事でえ」


「……ここで大ぴらに言うのははばかられる仕事でな。興味があるならついて来な」


「あんた、よく見ると随分といい着物を着てるじゃねえか。よし乗った! おやっさん、お勘定」


 茂吉もきちと名乗ったその男は、商家の番頭をしているらしい。必死こいて働いて、ようやく三十過ぎて番頭になり、所帯を持てたのだという。


「おい、あんた……ここ、雑木林じゃねえか……。一体俺をどうしようってんだ……?」


 通りを抜け、薄暗い場所に連れてこられたことで、ようやく様子がおかしなことに気づいたらしい。酒も入っているからだろうが、間抜けな男だ。


 暇つぶしにはちょうどいいカモだと思い、うっすらと口角を上げる。

 不気味に笑うワシに恐れおののいた男の前で、両手を胸の前に出し、何もない空間から芳名帳と日記帳を取り出す。


「う……わああ! あんた、物の怪のたぐいか」


 驚いた茂吉は、その場に尻もちをつき、肩をガタガタと震わせている。


「これはな、『幸せを切り売り』することのできる道具だ。幸せを譲渡する相手と、譲渡する幸せの子細を記せ。そして譲渡した相手から、金銭を受けよ。但しな、幸せの取引は等価交換だ。余分にもろうても、余分に与えてもいかん。――疑わしい力と、はじめのうちは客もつかんだろう。最初の客引きは、手伝ってやる」


 怯える茂吉の手に、筆を握らせる。


「日記帳が契の証となる。楽に銭を稼ぎたいのであろう? であれば、何を迷うことがあろうか。こちらに名を、そしてその隣に、血判を押せ」


「本当にそんなことができるのか……? 幸せを売って金を稼ぐなんて……」


「ああ、できるとも。騙されたと思って一度やってみるといい。お前が名前を書くのは、この通り日記帳で、世間的にはなんの縛りも発生しない、ただの紙切れだ。たとえワシが言ったことが真実でなかったとしても、お前に損はあるまい。――そして真実なら、お前は楽に銭が稼げる。どうだ、乗るか?」


 茂吉は、怯えた目でワシを見て、日記帳を見て、しばらく悩んだ挙げ句署名し、小刀で指を切り、血判を押した。


 ――この男が、ワシが「遊び道具」を初めて使った相手だった。


 術で惑わし、茂吉の元に一人目の客を連れて行く。「病気の母親の病を治してほしい」という願いを、銀十六文で叶えてやる。幸せを切り売りする価格は、この「遊び道具」の創造主であるワシが決めることになっている。


 芳名帳に記載したとおり、翌日には母親の病気は完治した。大喜びした客から、茂吉はワシの助言の通り、銀十六文を受け取り、そのあまりの簡単さに、目を丸くした。


「こりゃあ……すげえ。ただ芳名帳に名前を書くだけで銭が稼げるなら、もう主人にヘコヘコする必要もねえし、一日中店に立つ必要もねえ。俺あ、もう店辞める」


 そう言って、茂吉は呉服屋の番頭を辞めてしまった。


 それから二人で、様々な者の願いを叶えた。刀傷で動かなくなった腕を治したいもの、子宝に恵まれない夫婦、出世をしたい役人――願いを叶えた誰もが、泣いて茂吉に感謝を伝えた。この力は、適切に等価交換を行っている間は、特に所有者に害をなすことはない。――問題は、そのバランスが崩れたときだ。


 はじめは真面目にワシの提示する金額を守っていた茂吉だが、五回、六回と行ううち、願いを叶えてほしい者が列をなすようになった。


 すると商人の性か、こんなことを言い出した。


「おめえさんよ。こりゃ、需要と価格の釣り合いが崩れてきてるんじゃねえか。等価交換というが、俺は毎日、願いを叶えてほしいやつのために、時間を削り、筆をもっている。順番待ちも出てきやがった。こりゃあいよいよ、価格を引き上げるべき時期に来たんじゃねえかな」


 幸せを切り売りする力は、店頭に並ぶ商品でも、人気の占術師でもない。

 つまり、需要と供給のバランスが崩れようとも、値段を釣り上げることは出来ない。いわば自分の幸せ、つまり人生を切り売りし、失われた人生の部分を「金銭」で補うものだからだ。


「……いいだろう。だが、忠告しておく。この力は『等価交換』であるからこそ成り立つものだ。ワシはこの後、何が起ころうと知らんぞ」


「俺も商人の端くれだ。正しい値付けってのは、おめえさんより俺のほうが上手いはずだ」


 そう言って茂吉は、少しずつ、少しずつ、ワシが言った対価に上乗せをするようになった。


 はじめは特に変化もなく、日常が過ぎていった。だが、つり上げ幅がワシの言う原価の二倍ほどに大きくなってきた頃、茂吉の長男が病気がちになった。


 すると茂吉は、高額な薬代を稼ごうと、更に価格を釣り上げる。それから間も無く、茂吉の奥方が、突風で煽られた荷台の荷崩れに巻き込まれて亡くなった。


「な……なんでお富が死ななきゃならなかったんだ。せっかく何不自由ない生活をさせてやれるところまでやってこれたってのに……」


 妻の亡骸を葬ったあと。残された豪華な家屋の中で、泣きつかれて眠った長男の横でうなだれ、茂吉は蒼白な顔でそう嘆いた。


「何度も言っているが、この力は『等価交換』なのだ。余分に金銭を受け取れば、その分自分の幸せを差し引かれることになる」


 度々助言はしたが、それでもこれまでの贅沢な暮らしが捨てきれず、値段を引き下げなかった茂吉は、幻覚を見るようになり、そのうち長男とともに無理心中して命を断った。


 苦しみに顔を歪め、冷たくなった茂吉の亡骸を見下ろしながら、ワシはほくそ笑んだ。あれだけ忠告してやったのに、人間の欲望というのは一度走り出したら止まらないものなのか。


「ああ、楽しい。力に溺れ、堕ちていく人間の有様を間近に見ることほど、面白いことはない。これは良い道具を発明した。ワシは天才じゃ」


 カラカラと笑いながら、ワシは主を失い輝きを失った屋敷を後にし、次の標的を探す旅に出た。

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