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不幸を背負って、親父は笑顔で逝った  作者: 春山 潮
第二章 消えない傷と、あなたへの想い:鈴木淑恵
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大きな不幸

「えっ、も、もしもし? どちら様でしょうか」


 電話口の声が森本さんでなかったことに、一抹の不安を覚える。この間の典子さんの出来事が「小さな不幸」だとすると――「大きな不幸」が起こってしまったということなのだろうか。


「僕、武の弟の、森本(ひとし)です。突然、お電話してしまってすみません……。兄の携帯に、着信が残ってたのを見て、ご連絡しました」


 高校生の弟がいる、という話は以前聞いていた。電話の主がその弟さんだとすると、森本さんは自分では電話が出来ない状態になっているということだ。――そして、仁くんの声は、かすかに震えている。


 自分の心臓の鼓動が、どんどん大きくなっているような気がする。胸のあたりで拳を握りしめながら、仁くんに話の続きを促す。


「電話をくれて、ありがとう。もしかして……お兄さんに、何かあったの?」


「……母が……」


「……お母さん?」


「母が……亡くなったです」


 想像もしていなかった言葉に、思わず息を呑んだ。



 ――私は、白い猫が残した言葉を反芻する。



「残りの不幸は、あと二つだ。――ひとつは小さなもの、ひとつは大きなもの。それを乗り越えれば、完済だ。だがな……前世で自分の命を手放したことの名残か、今のあいつは自分の人生を『諦めている』フシがある。最後のひとつに耐えられるかはわからない」



(人の一生を救うってことは、こんなにも大きな代償を背負うものなの? あの人は、家族を助けたい一心で力を使って、新しい人生で家族を失ったの?)


 ――「大きな不幸」の残酷さを、私自身、受け止めきることが出来ない。人外の力を使って、運命を変えてしまうということは、こんなにも恐ろしい副作用をもたらすものなのだろうか。


 そして森本さんの今の気持ちを考え、とめどなく涙が溢れた。



「葬儀のときまでは、兄は気丈に振る舞ってたんですが……。あまり眠らなくなって、食事も摂らなくなって。それでも仕事にいってたんです。そしたら作業中に落下して……」


「……え……」


 喉に何かがつかえているような感じで、言葉が出ない。いろいろな感情が駆け巡って、仁くんの話に対して、何と返したら良いのかがわからなくなっていた。


 私の戸惑いを察したのか、なるべくゆっくりと、落ち着いた声で、仁くんは話を続けた。


「怪我自体は、足を複雑骨折したくらいで、命には別状はないんです。今、市民病院に入院してて。……ただ、食事を受け付けないんです。どんどん、生気がなくなっていって……。先生が、心療内科も受診させたほうがいいって言って、そっちもカウンセリングを受けてるんですけど……僕、怖くて……。兄もこのまま、どうにかなっちゃうんじゃないかと思って……」


 そうだ。今一番辛いのは、お母さんを失って、お兄さんも入院している、仁くんの方だ。私は仁くんに気を使わせてしまった自分の未熟さを恥じた。


「本当に……お悔やみ申し上げます。とりあえず、私、そっちへ行くわ。仁くんも不安でしょう? 住所を教えてくれたら、向かうから。もう少し話を聞かせてくれる? 仁くんと、あなたのお兄さんの力になりたいの」


 私は、手近にあった大学のノートを手に取り、仁くんから聞いたアパートの住所をメモする。そして電話を切ってすぐ、仁くんがいる森本さんの自宅へ向かった。



* * * * *



 森本さんの自宅に着いたのは、午後三時を回った頃だった。登戸駅から徒歩十五分ほど歩いたところにある、多摩川沿いの三階建ての古めかしいアパートの一階に、森本さんの部屋はあった。チャイムを鳴らすと、中からすぐ、仁くんらしき男の子が出てきた。


「みさきさんですか……。すみません、来ていただいて。どうぞ、上がってください」


 電話の時も感じたが、本当にしっかりしていて、落ち着いた雰囲気のある子だった。確か高校一年生のはず。きっとお母さんや森本さんが、愛情をかけて大事に育ててきたのだろう。


 私は改めてお悔やみを言い、お部屋にお邪魔した後、亡くなられたお母様にお線香を上げさせてもらった。


 お線香を上げる私の後ろ姿を見守っていた仁くんは、私が彼の方を振り返ると、ぽつり、ぽつりとこれまでの一月の間に起こった出来事を話し始めた。


 病気がちだったお母様は、少し前に派遣社員として仕事を再開していた。順調に仕事をこなし、収入が二馬力に増えたことで生活に余裕も出てきていたところだったが、一月前に自宅で倒れ亡くなっているところを帰宅した森本さんが発見した。死因は脳梗塞だったそうだ。


 お母様は、離婚や、自分の体調のことで、これまで長男の森本さんに負荷をかけてしまってきたことを、本当に申し訳なく思っていたらしい。親の責任を果たしたいという気持ちが裏目に出て、無理がたたってしまったのかもしれない。


 ――そしてお母様が亡くなったのは、私と森本さんが、デートをしていた日だった。


「兄は、自分がもっと早く帰ってれば、遊びになんて行かなければってずっと後悔していて……。母さんが亡くなったのは自分のせいだって、自分を責め続けてるんです……だけど」


 正座をしてうつむいたまま、膝に置いた両拳に力を込めて、仁くんは続けた。


「兄のせいなんかじゃないです。誰のせいでもない。……それに、僕嬉しかったんです。兄が女の子の話、あんな風に楽しそうにするの、みさきさんが初めてで。あの日まで、本当に幸せそうでした。母さんも、いつか連れて来なさいよって言ってて。本当に、家族のために自分を犠牲にしてきた兄が、初めて自分の幸せを見つけたって感じで」


 うつむいていた仁くんは、私の顔を見上げて、嗚咽混じりに必死に、わらをもすがるような顔で、懇願した。


「みさきさん、兄を助けて……。兄に、生きる希望を与えて上げてください。たぶん、みさきさんだけなんです。兄を幸せにしてあげられるのは。お願いします……お願いします……。もう、みさきさんしか、いないんです」


 これまで我慢していた感情が堰を切ったように溢れ出し、幼い子供のように泣きじゃくる仁くんを、私はぎゅっと抱きしめた。


「大丈夫、大丈夫よ。私がなんとかする。……そのために、私は今世(ここ)に来たんだから」


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