プロローグ
二〇二一年二月五日、親父が逝った。亡くなったのが「笑顔の日(二月五日)」というのがまた、ふざけた笑顔がトレードマークだった親父らしい。
親父は、新聞の人事欄に名前が載ったことのあるような大企業の重役ではない。
類まれなる人格者で、多くの人を惹きつけたリーダー、というわけでもない。
何なら大学も出ていない。
ただの、田舎の、ちょっとユーモラスでお調子者のクソジジイだった。
すぐに軽口をたたくし、目立ちたがりで、褒められればすぐに得意になる。そんな親父を「みっともないやつ」だと揶揄する親戚もいる。
仕事にはクソ真面目に取り組むくせに、世渡りベタで人がいいために、良いように利用されてしまうことも多かった。
チャンスを逃し、仕事運にも見放された結果、ついにはうつ病になって仕事を失ってしまい、晩年はスズメの涙程度の年金と子どもからの仕送りで暮らす、残念な人生だった。
いい仕事に就いて、たくさん稼いで。そんな親父にすこしでもいい思いをさせてやりたいと思い、海外旅行にでも連れて行ってやろうと貯金をしていたが、そのうち大腸がんをわずらい、あっけなく逝ってしまった。
思い返すと、親父の人生は、本当に坂道を転がるような不幸な人生だったと思う。
歴史の教科書に載ることもない、実業家として名声を残すわけでもない。この世の中から見たら、取るに足らないちっぽけで、残念な存在だろう。
たが、この男は。強烈に人の記憶に残り、人に愛されるタイプの人間だった。
父は、初対面のどんな人間とでもすぐに打ち解ける、愛嬌を持った人間だった。落ち込む人間がいれば励まし、一緒に酒を飲み、大笑いして暗い空気を吹き飛ばしてしまう。
――そして、なぜだか親父と関わった人間は、どんな不幸だった人間でも息を吹き返すように幸せになることが多かった。