恐怖の電話番号を電子決済すると暗殺してくれる都市伝説
今や誰もが一つだけ持つ番号。
個人番号……ではなく、携帯電話番号!
あるサイトにその電話番号分のお金を電子決済で振り込むと、どこからともなく暗殺者が振り込まれた金額の番号から個人を特定して探し出し、暗殺するという――。
――名付けて、「恐怖の電話番号を電子決済すると暗殺してくれる都市伝説」
「……自分で『恐怖の』とか言っている時点で……ちっとも怖くないだろ。なんだよその悪戯にすらならないサイト名は」
長谷川直人は原田透のアパートで今日も酒を飲んでいた。
二人が同じ会社に入社して以来、毎週金曜日に集まってビールを飲むのがほぼ日課、いや習慣になっていた。コンビニで買いこんだ安いつまみと他愛もない世間話や会社の愚痴をつまみにして缶ビールの蓋が次々と開けられていく。
二〇二一年五月七日、透がつまみに持ち出したのは最近流行ってもいない都市伝説についてで、それを聞いた直人は眉をひそめていた。誰も知らねーっつーの、そんな都市伝説。
「馬鹿馬鹿しい。都市伝説の名に値するほどのリアリティすらない」
「だよなー。だから試しに電子決済してみたのさ」
一瞬直人の手が止まった、が、何事もなかったかのように指がゲソを摘まんで口へと運ぶ。
「嘘つけ。携帯番号は十一桁。最初は0だから十桁としても九十億円以上もの金が必要になるだろうが」
缶ビールを畳の上に置き両手で桁数を数える。〇9〇―〇〇〇〇―〇〇〇〇。そんな金が安月給のサラリーマンに払えるはずがない。
「まあな。さらに八十億円や七十億円で割安な人もいる。……お前も七十億円で割安だ」
透の指もゲソを摘まみ口へと運ぶ。ゲソの先が上向きに口から出たまま喋り、080―や070―を遠回しに見下している。透は090―の携帯番号にブランド価値を見出していた。
「うざいなあ、そんなの関係ないだろ。そんなことより、政府の要人でもなけりゃあたった一人を暗殺するためにそれほどまでの金を払うなんて無理だ。どこぞの大統領とか大富豪とか」
「ああ」
「さらには電子決済には上限もあり、金のやり取りが記録されるだろ」
「ははは、だから都市伝説なのだ。電子決済してみたってのも、もちろん冗談さ」
缶ビールを傾ける。
「でも、ちょっと気になったからそのサイトのコメント欄に、『出来高での依頼って出来るんスかっ?』て入力して、試しに携帯番号を入力してみたのさ」
「出来高だと。つまり……暗殺に成功すれば支払うってやつか」
「ああ」
「バッカじゃねーの。もし、万が一にでも暗殺されたらどうやって支払う気だ」
透がスマホの画面を見せるのを覗き込むと、直人は驚愕して横一列にぶっ倒れた。
「ってえ! これ俺の番号じゃん――!」
起き上がるや否やの突っ込み。
「ウケルー!」
「アホっ! ぜんぜん受けねえって! なにやっちゃってんの~!」
慌てて手からスマホを奪い取ってサイトの詳細を調べようとするのだが、
「なんだよこれ、いったいどこのサイトだよ……ぜんぜん画面が動かねーじゃん」
安っぽい広告バナーやエロイ広告が……スライドしても微動だにしない。
「スクショだから……もはやユニフォームリソースロケータも分からない」
ピタッと操作していた指が止まる。
「それってURLのことだろ。あと、返信とかコメントとか……何か反応はなかったのか」
「なにもない。強いて言えばサイトが数分で消えた」
「……」
スマホをポイっと畳の上に投げ捨てた。透は自分のスマホを拾い上げると画面に付いた指の油分を拭きとった。ほぼほぼポテチの油分と指紋。
「お前なあ……」
缶ビールをまた口に運び一気に傾けると喉仏がゴクゴクと音とともに上下する。
「ただの都市伝説さ。気にするなって」
「俺が気にしているのはお前が勝手に俺の番号を入力して遊んでいるってとこだ――。個人情報とかをどう考えてやがる」
立ち上がると小さな冷蔵庫からもう一本ビールを出してくる。三五〇ml缶ではなく五〇〇ml缶を持ってきたことに透は文句を言えずにいた。
「まあ気にするなって」
「気にするな」「気にするな」と言われるほど人は気になることに……透は気付いていない。半ば楽しんでいるようで直人も呆れ顔にしかならない。
「もう気にしてねえよ。そんな都市伝説にもならないような悪戯サイト」
さっそくプルタブを開けて缶ビールを口にした。
ぷはー! 四角いちゃぶ台の上には空き缶がところ狭しと転がる。透の住んでいる安アパートの狭い部屋は、ちゃぶ台とベッドと冷蔵庫が場所を占拠し、二人は辛うじて空いた畳の部分に座わっている。
「お前こそ、そういう悪戯ばっかりしているから、いつになっても彼女の一人もできないんだぞ」
「うわ、でた、自慢話。自分だってつい最近までは俺と同類だったくせに」
最近、ちょっと服装がお洒落になっているところが透は鼻に付いていた。以前は上下揃いのジャージしか着ていなかったくせに今はジーンズを穿いている。靴下の指先にも穴が開いてない。綺麗に縫ってある。
「女ができると男って変わるのさ」
可愛いユルフワなトレーナーと猫耳カチューシャ。
「……お前、変わり過ぎだろ。猫耳って俺の部屋の中でも付けておく必要あるのかよ」
「はっはは、はっは。お前には分からないのさ、これの良さが」
優雅な手つきで猫耳を触りながら呟く。
「キモ~イ。マジで暗殺されてしまえ」
「……それな。お前、やっぱりマジで俺の番号を見ず知らずのサイトに入力しただろ」
笑顔で頷くのを見て直人は低い天井の丸い蛍光灯を仰ぎ見る。二本の内一本はずっと切れたままで線も抜いてある。
二人にとって狭いアパートの一室は居心地の良い空間だった。誰も来客が来ない安アパートの一室。安っぽい扉と薄い壁。両隣には誰も住んでいない。
「そういえば、お前、仕事中にもスマホ触ってるだろ」
会社から支給されたスマホではなく個人用スマホのことだ。
「ああ。うちの部署は仕事が楽だからな。だが、なんで分かったんだよ」
「お前のキャラ急に強くなり過ぎ。昼休みまでに新キャラに変わるのって午前中にガチャ引きまくった結果だろ」
「ハハハ、よく気付いたなあ。そういうお前こそスマホ触っているから気付いたんだろ」
直人もニヤッと笑う。
「まーな。でも俺はお前ほど課金していない。だがランクは上」
「ゲームのランクなんて関係ない。好きなキャラを手に入れてこそだ」
だが、透の課金癖は異常だ。給料を半分以上つぎ込んでいる。残りは家賃とビール代に全て消え去る生活を入社してからずっと続けている。
「いい加減に課金を貯金に回して将来のことを考えたらどうだ」
「考えているさ。俺なりにな」
軽くなったビール缶を片手で握りつぶして机の上に転がすと、透も冷蔵庫へとビールを取りに立ち上がった。
立ち上がらなくても手を伸ばせば取れるのだが、たまには立ち上がらないと座り続けて腰が痛くなる。横になるスペースはない。ベッドはあるが、そこにだけは横にならない決まりが二人の中にはあった。
――たとえ酔いつぶれたとしてもベッドには横にならない。絶対――。
「お前、係の部下に舐められるぜ」
透はそれを鼻で笑って答える。
「舐められたって構わないさ。どうせ辞めていく奴らばかりだからな。あんなクソつまんね―会社のクソつまんねー仕事、今の夢見る少年少女に勤まるわけがない」
「まーな」
二人とも今の仕事が楽しくて続けている訳ではなかった。いつも飲んでいる時には「もう辞めてやる」が口癖だった。
「それがいつの間にか係長とは……。他にやることって見つからねーものだな」
「ああ。だが、ちょっとは仕事も頑張らないとな」
「お、それも彼女効果か」
「まーな」
「くー! 羨ましいぞ。まさかお前が同期入社の純菜ちゅわんと付き合うなんて」
「馴れ馴れしくちゃん付けで呼ぶなよ。今は俺の彼女だぜ」
米田純菜は同期入社の中では一番可愛いと評判だった。というより、同期の女子は二人だったのでもう一人の女子はおのずと最下位扱いされた。
純菜はスラリとしたスタイルで会社のダサい社服を着ても綺麗に見えた。ハキハキと喋り周りへの気配りもでき、同期の男子の憧れの的だった。
もう一人の女子は早々に退社した。
「ブラック企業だからなあ。うちは」
「ああ。腹のどす黒いオッサンしか残らないから相当ブラックだな」
「……」
「……」
自分達も、ひょっとしてそれじゃね? とは二人の口から出なかった。
「それよりも、もう……やったのかよ」
「何をだよ」
直人は目を逸らしてビールを傾ける。
「なにって……純菜とだよ」
「……プハー。今日はビールが美味いなあ」
話をはぐらかされると透がちゃぶ台越しに顔を近づける。
「聞かせろよ、減るもんじゃないだろ」
「童貞は黙ってろって」
「かー! 腹立つ!」
透は悔しがり爪で畳をガリガリと引っ掻く。安アパートの畳はもはやゴザ。
「立てろ立てろ~! 違うところも立てろ、ハッハッハ」
勝利の美酒を飲むかのように缶ビールを傾ける。もうほとんど空に近い。
「ひょっとして、まだだろ」
「……」
「……」
急に二人しかいない安アパートが静まり返った。外では遠くの方で今日も救急車のサイレンが鳴り響く。
直人が周りを気にするようにキョロキョロ確認すると、ちゃぶ台越しに顔を近づけた。
「お前……絶対に会社でバラすんじゃねーぞ。バラしたら俺だってお前に金を貸していることをバラすからな」
聞こえないくらいの小さな声だ。
「……ああ。男の約束だ、絶対にバラさない」
二人は指切りをした。男同士の指切りは少し気持ち悪い。
「キスまでした」
「――! か~! いいなあ~! ファーストキッス!」
三十代後半のファーストキッス!
「シー! 声デカいっつーの。まあ、お前も早く彼女ぐらい作れよ」
「その上から目線、やめろよ」
「ハッハッハ。今日は酒が美味いぜ。幸せの頂点だぜ!」
「じゃあ、くれぐれも殺し屋には気をつけろよ」
「……」
話が元に戻り、酔いが一気に醒める。
「本当に番号を入力したわけ? 俺の」
「うん」
うんって……。
「気にするなって、どうせ都市伝説なんだから」
「あのなあ……。そういうことを試すのなら、一歩や二歩……いや百歩譲って、せめて俺には内緒でやってくれよ。内緒で見ず知らずの人に暗殺を依頼するのもどうかとは思うが……いや、そもそも暗殺ってそんなものだろ」
公開しちゃいけないだろう。
「なんでも、暗殺ってスナイパーライフルで遠くから狙う訳じゃなく、電車のホームでドンケツとか、踏切でドンとか、川沿いでドンとか、ドレミファドンとか……」
「ドレミファドンってなんだよ~!」
冷や汗が出る、古過ぎて。
「とにかく、暗殺者はどこでどうやって狙うか分からないってことさ。だから気を付けろよ、歩きスマホとかイヤホン付けて自転車とかマスク外して飲食飲酒とか」
「しねーよ。……今日から」
コロナ禍で不要不急の外出や飲酒は二人の勤める会社から禁止令が出ていた。
「あと、……絶対に誰にも言うなよ。その相談相手が暗殺者かもしれないからな」
「……。言うかよ馬鹿馬鹿しい。さっさと寝て忘れてしまいたいぜ」
直人は立ち上がった。足は少しフラついている。二人で飲むといつも深酒になる。
アパート前に停めていた自転車にまたがると、直人は会社の独身寮へと帰っていった。
飲んでいるのに……乗っちゃだめだこりゃ。
事故に遭わないか……心配だ。
ちょうど一か月後。
あいつは死んだ――。
あの日一緒に飲んだのが最後になってしまうなんて……透は驚きを隠しえなかった。
――まさか、本当に暗殺されたのか――。都市伝説通り暗殺者によって……。
死因は事故死ではなく……自殺だった。
度重なる仕事でのストレスか彼女にフラれたショックか……そういった証拠は何も残されていなかった。数日間に及ぶ無断欠勤で独身寮の部屋を警察が捜索した際、おびただしい酒瓶と束のような睡眠薬の残骸が見つかった……。
会社近くの市営葬儀センターでの告別式には社長や管理職をはじめ百人以上が列席した。
透の隣にはすすり泣きする喪服姿の純菜が座っていた。
「直人……くん。ごめんなさい……。ごめんなさい……」
小さな声でそう泣きながら呟く純菜の肩に……そっと手を回す透。
「じゅ、じゅ、純菜のせいじゃないよ。俺だって……あいつの気持ちに気付いてやれなかったんだ。……クソッ」
グッと反対の手で握り拳を作って見せる直人だが、誰一人としてそれがガッツポーズであったことに気付きはしない。
透は知っていた。直人が入社して以来睡眠障害になり病院で睡眠薬を処方されていたことを。普段は強がっていたが、見た目以上に精神面が不安定だったことを。
そして、純菜が柴田恭兵が好きなのも知っている……。
純菜はスタイルがいいので何を着ていてもよく似合う。喪服姿ですら美しく見える。
さらには、告別式にまで白と黒の猫耳カチューシャを付けてくるところが……より一層、可愛らしいではないか――。
――数か月後、とある高校で昼休みに囁かれていた――。
「ねえねえ、こんな都市伝説って知ってる?」
「なになに、超気になるう」
「海外の闇のサイトに、殺しちゃいたい奴の携帯番号を電子決済でピッタリ支払うんだって。そしたら暗殺者が番号から個人を調べだして……殺してくれるんだって!」
「えー、そんなの無理じゃん。高すぎるよ」
「それがね、実際には一円も払わなくていいのよ。後払いで契約したってスクショを撮って殺しちゃいたい奴に見せるだけよ」
「そんなんで殺せる訳ないじゃん」
「そ・れ・が……そうでもないのよ。じっさいにコレ見てよ」
スマホを友達に見せると、その友達は口を塞いだ。
「ちょっと、なんでわたしの番号なのよ~」
「ウケル―!」
「アハハハハ」
「アハハハハ……」
不審な死の裏には暗殺者が必ず潜んでいる。故に不用意に携帯の番号を知られてはならない。
たとえそれが心を許した友達同士であったとしても……。
読んでいただきありがとうございました。
この物語はフィクションです。