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暗く果てしない時代

 ひろと……浩人……。

 どこからか俺を呼ぶ声がする。

 ねえ、見て。あたし髪を切ったのよ。

 似合う? ね、可愛いでしょ?!

 おどける声。

 いつもと変わらないあいつ……。 

 浩人、あたしのことスキ?

 ほんとうにあたしのことあいしてる?

 ねえ、ひろと……

 浩人────── ……!




「……と。浩人ったら、いるんでしょ?!」


 その時、部屋のドアがノックされていることに、気がついた。

「……誰だよ」

 俺はベッドの中から動こうとはせず、声だけを発した。

 家には俺以外、まだ誰も帰ってきてはいないはずだ。

「あたしよ、私。入るわよ」


 そう言って姿を現したのは、夏休みというのに制服姿の冴枝さえだった。


「電気も点けないで……。そのくせ玄関のドアは開いてるんだもん、物騒じゃない。夕食はちゃんと食べたの? おばさま、いらっしゃらないようだけど」

「何しにきたんだよ」

 ベッドから身を起こしながらも、俺はかったる気な声を出す。

「……どうして。来なかったのよ。今日の午後からだってこと、知ってたんでしょ」


 冴枝の言葉に俺は何も答えなかった。

 ただベッドの中で片膝をつき、額に手を遣ったまま、暗い部屋の片隅を見つめている。

「大勢集まってたのに浩人だけよ。来なかったのはきっと」


 冴枝はベッドに腰掛けた。


「みんな泣いちゃって……。由弘達も目真っ赤にしちゃってさ。おばさんなんて見てらんなかった。わんわん泣き崩れて……」

「お前、何しに来たんだよ」

 俺は冴枝の顔も見ず、その言葉を吐き出した。


「帰れよ」


 とっくに陽の沈んでしまった後の部屋で俺は誰の顔も見たくはなかった。

 今日もまた朝から何も食べてはいなかったが、空腹感など感じはしない。

 浅い眠りの中で俺はただ、あいつの姿だけを探していた。


「なんで。何で死んじゃったのよ……。玲美は」


 冴枝はぽつりと呟いた。

「あんな明るい顔してたのに。ロックフェス目指そうなんて、この前の練習の時。あんなにはしゃいでたの

 に……。浩人は心当たり──────」


「帰れったら!!」


 あの朝から俺はずっと悪夢を見ているに違いない。

 半狂乱になって俺へと電話をかけてきた玲美のお袋の声がまだ、耳に残っている。

 駆けつけた病院で、何故と詰問されながら、一番信じられずにいたのはこの俺だった。


 玲美が死んだ────── 

 手首を切って逝ってしまった……。


 その理由は誰も知らない。

 わからない。

 二年前のあの十三の夏に出逢い、誰よりも愛し合っていた俺でさえ、玲美の自殺は不可解としか言いようがなかった。

 俺には未だあいつの死の原因がわからずにいる。


 あの夜。

 どうして何も気付かなかったのか。

 しかし、あれが……。

 あれが玲美を見る最期の時になるなどと、どうして俺に想像が出来ただろう。


 日も暮れたあの夜、あいつは俺の部屋に忍び込んできた。

 くせのないストレートの黒髪を襟元で揃え、いつもより少しだけ短くなったボブカットの髪を揺らしながら、あいつは確かに笑っていたんだ。

 俺のギターが聴きたくなったと、あいつは言った。

 どうしてその時、気がついてやれなかったのか。

 今、俺は自分を責めずにはいられない。

 なのに俺は、あいつにせがまれるまま愛器ギターを取り、そしていつものようにあいつを抱き締めた。


 それが最期になるなんて────── 


 玲美は何も言わなかったんだ。

 ただ微かに笑って、またねとその一言だけを遺して。

 そして、あいつはその直後に、俺を一人置き去りにして、勝手に逝っちまった。


「俺に……。俺に何が出来たんだよ。わからないんだよ、俺……今でも、どうしてあいつが死んじまったのかわからないんだよ俺は……!!」

「浩人……!」


 両手で頭を掻きむしり膝に顔を伏せた俺に、冴枝はその身を預けてきたのだ。


「私……私がいるから、浩人……だから……」


 そんな冴枝の両手を掴みながら、俺は訳もわからずに冴枝を傍らに押し倒していた。


 はっきりしない思考のまま、俺は貪るように冴枝の口唇くちびるを吸っている。

 暗闇の中で俺は、まるで玲美を抱いているかのような錯覚に囚われていた。

 冴枝は何の抗いもせず、ただ俺にしがみついてくる。

 玲美のことだけで占められている俺には、冴枝の心など全く頭にはなかった。

 玲美の名を口走りながら俺は唯、男のさがを剝き出しにしている。

 そんな俺に、どういう気持ちで冴枝が抱かれているのかなど、俺にはそれを思い遣る余裕も気持ちも有りはしなかった。


 まだ十五のガキのくせして、人よりも随分早く成長していた俺たちは、ただ男と女になって諸共に堕ちてゆく。


 それは、俺の暗く果てしない時代の幕開けだった。



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